未知の出会いは真冬からー彼がアイスティーを好む理由ー

野沢 響

未知の出会いは真冬から―彼がアイスティーを好む理由―

 私はホットミルクティーを飲み終えるとトレイとカップを返却口に戻した。


 金曜日の夕方だけど、カフェの中はそれなりに混んでいる。

 ドリンクやフードを注文する声や、お客さん同士の談笑する声が聞こえてくる。

 中には自分と同じくらいの学生っぽい女の子たちの姿もちらほら。


 ふと窓に顔を向けると、雪が降っていた。

 その光景を見て、私の気持ちは憂鬱になる。

 先ほど店内に入った時は雪は降っていなかったのに。

 そういえば、夕方から雪が降り始めると天気予報で言っていた気がする。

 今は一月。年が明けてから本格的に雪の降る日が増えたような気がする。


 ここに留まっていても仕方がないので、出入口のドアに向かった。

 店員さんの「ありがとうございました」という声を背中で聞きながら、ドアを開けた時、「すみません」と背後から声をかけられた。


 振り返って目を見開いた。

 目の前には見覚えのある男性が立っていたから。

 前にもこの男性を見かけたことがある。

 あの日は確かクリスマスの二日前。

 寒かったのでこのカフェに入って、テイクアウトのホットミルクティーを注文したのだ。

 その時、近くの席に座っていたのがこの男性ひとだった。


 銀髪に薄い灰色の瞳、透き通るような真っ白な肌にすっと通った鼻筋と形の良い唇。黒いコートに同じ色ののデニムパンツ姿も前回見かけた時と同じ。


 私がその時のことを思い出していると、男性が言った。


 「手袋落としましたよ」


 優しい声に柔らかい笑顔。

 

 私は我に返ると、差し出された手袋をすぐに受け取る。


 「すみません。ありがとうございます」


 軽く頭を下げてお礼を口にすると、男性は「どういたしまして」と笑顔で返してくれた。


 ふと男性が持っているプラスチックのカップが目に入った。

 確かあの日も同じものを飲んでいた。

 オレンジ色が綺麗なアイスティー。氷がいくつも入っていて、見ているだけで寒くなってしまいそう。

 しかも、何でかカップの表面にはうっすらと氷の膜が張っている。

 氷の膜?

 疑問が頭をよぎったけれど、出口を塞いでいることに気付いて慌ててドアを押して外に出た。


 途端に真冬の風が吹き抜ける。

 せっかく暖まった身体は一瞬で冷えてしまうように感じた。

 せめて雪が止んでくれればいいのに、と思う。

 

 続けて出てきた男性に顔を向けると、全く寒そうにしていない。

 冷たいドリンクを素手で持っているのに。


 その様子を見て、今度は私が話しかける。


 「あの、寒くないんですか?」


 不思議に思ってそう尋ねると、男性は一口カップに口を付けてから、「平気だよ」と返した。続けて、


 「熱い飲み物は苦手なんだ」


 「そうなんですか」


 私が答えると、男性はまた柔らかな笑みを浮かべて「寒いから早く帰った方がいいよ。風邪引いちゃうから」と口にする。


 「はい」


 私も同じ様に笑みを浮かべて返事をした。

 男性の優しい声が不思議と頭から離れなかった。


 ❄️


 「えー? 銀髪の男の人?」


 昨日の出来事を友達のかなでに話してみた。


 奏は顎に指を当てながら何やら考えている。

 

 「見たことないなぁ。いつもの駅前のカフェでしょ?」


 「うん、そう」


 「その人、名前とか分からないの?」


 そう言われて、彼の名前を知らないことに今更ながら気付いた。聞いていないので、当たり前かもしれないけど。


 「うん、聞いてないから」


 「えー! 聞けばよかったじゃん」


 「でも、少ししか話してないし。別に親しくなったわけでも……」


 「そういうのがきっかけで仲良くなる人だっているよ? 雪華せっか、彼氏欲しくないの?」


 真面目な顔で奏がいてくる。

 そりゃあ、私だって恋愛してみたいと思う。

 奏は去年の夏に彼氏が出来て、時々嬉しそうにデートの話を聞かせてくれる。

 去年のクリスマスも彼氏と過ごしたと楽しそうに話していた。

 私もそういう経験をいつかはしてみたい。


 「欲しい、けど……」


 あの男性と仲良くなったとしても恋愛に発展するとは限らない。友達止まりの可能性だって十分あり得る。


 「あの人だって彼女いるかもしれないし」


 うつむきぎみにそう言うと、向かいに座っていた奏が身を乗り出して、私の肩をバンバンと叩く。


 「いたらいたでその時はしょうがないじゃん! 取りあえず今度会ったら、こっちから話しかけてみなよ?」


 奏の気迫(?)に気圧されて、私はこくこくと頷いた。


 「わ、分かった……」


 「よし、決まり!」


 そう口にすると、奏はスマホに視線を落としたまま言った。

 

 「次の講義までまだ時間あるね。もう一杯カフェオレ飲も~。雪華は?」


 「じゃあ、私ももう一杯カフェオレ飲もうかな」


 私が立ち上がると、奏は「いいよいいよ」と言いながら片手で止めた。


 「私、雪華の分も買って来るからリュックとスマホ見ててよ?」


 「分かった」


 私は頷くと彼女にカフェオレのお金を渡した。奏はにかっと笑うと、背後に設置されている自販機へと歩いて行った。


 ❄️


 一週間後の土曜日。

 バイト帰りで駅に向かって歩いていると、「これ、ホットか……」というがっかりした声が聞こえてきた。

 気になって声のした方を見てみると、自販機の前で黒いコートを着た男性が購入したペットボトルを見下ろしていた。

 

 (あっ、この人……)


 こちらの視線に気付いた男性が振り返る。


 「君はあの時の」


 「こんばんは。この前はありがとうございました」


 前と同じ様に軽く頭を下げてお礼を言うと、


 「全然。これから帰るの?」


 その笑顔はこの前見た時と同じで相変わらず優しい。


 「はい。バイト帰りなんです」


 「そうだったんだ。お疲れ様。何か飲む?」


 自販機を指さして男性が訊く。


 「大丈夫です。水筒持ってるので」


 バッグの中から白い水筒を出して彼に見せると、「そっか」と返ってきた。


 男性が手に持っているペットボトルはホットティーだった。


 「ああ、これ? 間違えたんだ。よく見ないでボタン押しちゃってさ」


 苦笑しながらそう言うと、男性は持っているペットボトルのフタを開けた。

 飲み口からは白い湯気が昇っていて、冬の夜空に溶けて消えていく。

 数秒それを眺めた後、「そろそろ飲めるかな?」と独り言のように呟くと飲み口に口を付けようとした。


 私はその言葉に驚いて、すかさず止める。


 「いや、さすがにまだ熱いんじゃ……」


 「大丈夫だよ。


 男性は続けて、「持ってみて」とペットボトルを差し出してきた。

 私は差し出されたそれに手を伸ばす。


 「熱く……ない」


 掴んだペットボトルは熱さがだいぶ和らいでいて、ほんのりと温かい程度だ。


 確かに飲み頃の温度かもしれないけれど、いくらなんでもぬるくなるのが早すぎる。


 「でも、どうして……?」


 男性にペットボトルを返しながらそう口にすると、彼はふっと笑ってから、


 「俺の正体がだって言ったら、君は信じる?」


 (雪男……?)


 私は目を見開いた。


 にわかには信じられない。

 でも、ふざけて言っているようには見えない。

 何て言ったらいいのか分からなくて言葉に迷っていると、男性がコートのポケットから個包装になっているチョコレートを出した。

 

 手を出してと言われたので片手を出すと、その袋を私の手のひらに置く。

 ポケットに入っていたせいかそこまで冷たいとは思わなかった。


 男性の手のひらがそっと置かれる。

 自分の手に触れてしまいそうでドキドキしていると、突然強い冷気が私の手に伝わった。

 でも、それは一瞬で止んでしまった。


 不思議に思っていると、


 「握ってみて」


 私は言われた通りチョコレートを握る。


 「冷たい。凍ってる……?」


 男性は驚いている私を見て微笑んだまま、

 

 「信じてくれた?」



 優しげな声でそう尋ねると、目を細めながら更に続けた。


 「俺は冬月ふづき。冬の月って書くんだよ。君は?」


 ❄️


 「ねえかなで、雪男っていると思う?」


 丸いテーブルを挟んで向かい側に座る奏に尋ねてみる。

 手鏡でメイクが崩れていないかチェックしていた奏はテーブルに鏡を置くと、身を乗り出してきた。


 「ええっ? 雪男って何?」


 奏は訳分からんといった様子で、私を見つめている。

 

 午後の大学のカフェテリアには数人の学生が集まっていた。

 本を読んだり音楽を聴いたり、友人たちとの会話で盛り上がっていた学生たちの何人かが、こちらに顔を向けた。

 周りの視線を気にしつつ、奏が声をひそめる。


 「何でいきなり雪男よ?」


 「いや、昨日たまたまUMAの動画見ててさ。本当にいるのかな、とか思って」


 一瞬、土曜日の冬月さんとの出来事について話そうと思ったけれど、それはやめた。

 

 似たような例で、雪女の話が頭に過る。

 雪女は確か最後には結婚した男性の元を去ってしまうはず。

 奏に話したら(話しても信じてもらえないと思うけど)、もう二度と冬月さんに会えなくなるような気がした。


 「うーん。信じられないけどさ、見てみたいって気持ちはあるかな」


 「そっか」


 「雪華せっかどうしたの? 大丈夫?」


 奏の心配する様子に、私は笑顔で「大丈夫だよ」と返す。続けて、ありがとう、とも。


 その時、奏のスマホが鳴った。

 画面に奏の彼氏の名前が表示されている。


 置いていたスマホを手に取ると、彼女は元気に電話に出た。


 「もしもし、今学校にいるよ。え? 買い物? うん、いいよ。あと講義一つだけだから、終わったら連絡するね!」


 奏の嬉しそうな声を聞きながら、私は冬月さんの顔を思い浮かべていた。


 ❄️


 それから数週間が過ぎた。

 久しぶりにカフェでゆっくりしたくなって、いつもの駅前のカフェに向かった。

 

 カフェの中は前回来た時よりも混んでいて、ソファーが置いてある奥の席は満席だった。


 トレイと注文したホットドリンクを手に移動する。

 冬月さんの真似をしてアイスティーを頼んでみようかと思ったけれど、どうしても寒さには勝てなかった。

 今日はホットのストレートティーだ。


 空いている席を見つけようと窓際のカウンターに目を向けた時、名前を呼ばれた。


 「雪華ちゃん!」


 カウンター席から名前を呼んだのは冬月さん。

 

 「久しぶり」


 私がそちらに向かうと、笑顔でそう声をかけてくれた。

 

 「お久しぶりです。冬月さんも来てたんですね」


 「うん。ここのアイスティー美味しいからね」


 そう言うと、カウンターに置かれていたグラスを持ち上げる。 

 今日はミルクティーを注文したらしい。


 「よかったら隣に座って」


 「お邪魔します」


 お言葉に甘えて、隣に座ることにした。


 「今日もバイト?」


 「いえ、今日は大学の帰りです」


「そっか、大学生だったんだ。学生さんかなとは思っていたけど」


 それからは大学やバイト先での話をした。

 冬月さんは私の話を楽しそうに聞いていた。

 頷いたり、一緒に笑ったり。

 こんなに楽しいと感じたのは久しぶりだ。


 「あの、冬月さん」


 「ん?」


 「あの、もし嫌でなかったら、このあと一緒にイルミネーション見に行きませんか?」


 「うん、いいよ」


 断られたらどうしようという不安はあっという間に消えた。

 

 「それから、連絡先も、交換したいんですけど……」


 私がリュックからおずおずとスマホを出すと、冬月さんも傍に置いていたスマホを手に取った。

 

 「もちろん」


 そう言って、また柔らかい笑顔を向けてくれる。

 

 もっと冬月さんのことが知りたいと思った。

 自分のことを雪男だと言う、未知な存在である彼のことを。

 そして、もっと親しくなりたいと思う。

 この想いが恋愛と呼べるものなのかはまだ分からないけれど、いずれそう呼べるものになったらいいな、と思う。


                             (了)


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