第25話 撤退の始まり

 大隊が大急ぎで出発して二時間遅れかそれ以上とか言ってたので大隊長と大隊本体が動いたとして三時間近くは経っているわけだ。大隊の移動速度が大雑把に俺の中隊と変わらないかちょっと遅いくらいと考えれば、確かに交戦に入っていてもおかしくはない。

 おかしくはないが、おかしい。こっちの目的は時間稼ぎだ。派手に突撃とかはせずに陣地にこもって抵抗を行うだろう。敵が無視してくると困ってしまうが、無視をしないていで言えば、充足から程遠い一個大隊でも、一、二時間は時間を稼げるのではないか。陣地にこもる敵を排除するのは、陸軍の軍人からすれば骨が折れる作業だ。

 大隊長は、街への被害を嫌い、街にこもって戦うのを避けたのだろうか。それだと稼げる時間はだいぶ減る。いやどうだろう。そこまでやれるか。街の外に出て陣地を作るとして、敵がそれを無視して迂回をかけた日には目標とする時間稼ぎは失敗してしまう。その危険を考えれば敵が迂回し得ない街での防衛戦を選択するのが普通だろう。

 でも、だとすれば大隊は街から動かず、敵は街まで直線かなにかで移動していたことになる。

 顔をしかめていると、虎次郎軍曹がやってきた。

「敵がようやくこっちに近づいてきています」

「何だって?」

 俺の想像する前提が崩壊した瞬間だった。相前後して麦姫兵長が舌を見せて戻ってきた。無理をして走ってきたのだろう。犬の獣人には汗腺がなく、代わりに舌で体を冷やそうとする。

 麦姫兵長、犬の獣人の割に舌が短いな。

 一瞬しょうもないことを考えてしまった。現実逃避している場合ではない。

「伝令から報告が。街が燃えています」

 やられた。敵には別働隊がいたわけだ。

 敵の尖兵がもう一つあったのか、それとも全然別部隊があったのかは分からないが、街が陥落したか、陥落に近い状況になった。我が中隊の時間稼ぎは、何の意味があったのか。

 むなしくなる気持ちを抑えて、冷静になろうとする。

 起こってしまったことは、誰にも変えられない。変えられるのはここから先で、俺の決断次第であとどれくらいの部下が死ぬかが決まる。

 思えば、かの子軍曹が早々と撤退したのが良くなかった。あの時、もっと広域を調べるように動いていれば……。

 いや、無理だろ。と、我に返った。敵の戦略的奇襲が成功している時点で負けは確定している。敵は勝てるような状況を作り、勝てるだけの戦力を投入した。それを初手で覆せるようなら、誰も苦労はしない。

 そもそも敵の尖兵四〇〇〇人だけで荷が重いどころの話じゃないのにどうやってか別働隊まで移動させている。勇者が使った細い隧道だけでは補給が続かないはずだった。規模から見ても最近思いついたような作戦ではない。相当長いこと準備していたはずだ。

 ということで、自分の心の平安を取り戻した。俺が頑張ればなんとかなったというのは英雄願望強すぎの戯言だろう。

 エーベルバッハが暗い顔でやってくる。

「どうされますか」

「どうもこうもない。撤退だ。ここでこれ以上交戦を続ける意味がない」 

 腹立たしいが。別働隊の存在をもっと早く知っていたらなあ。いかん。また平安が破られてしまう。これでは生き残った部下まで死んでしまう。冷静に、そしてやれることをやろう。

 まあ悪いことばかりではない。いや、部下を大勢死なせた以上に悪いことなんてないのだが、不幸中の幸いというか、時間稼ぎのためにもう一戦する前に逃げることができるのは幸いだろう。

 撤退の命令を出し、撤退の場所を決める。南下して逃げる。まとまった友軍と合流する。それしかない。規模の小さな味方と合流しても、な事故との繰り返しだろう。問題はどこまで撤退すれば、有力な味方に合流できるかだ。

 ここに来て持久力に劣る獣人たちの欠点が効いてくる。撤退が長期に及べばそのうち獣人たちは人間に追いつかれてしまう。そこまで考えて移動しないといけない。大隊長の死を悼む時間もない。

 しかも食料や水の問題もある。控えめに言って大変だった。

 見通しは極めて悪かったが、それをちゃんと想像できていたのは人間であるエーベルバッハたちだけだった。獣人は特に気にした風でもなく、着いてくる。脱走兵の心配をしないでいいのは嬉しいは嬉しいか。

 それだけ、食料の手配をしなければならないのだが……

「撤退するとして、どの経路をいかれますか」

 虎次郎軍曹とエーベルバッハ軍曹が二人して聞いてくる。少尉がいなくなってしまって、俺が直接指示出しをしないといけなくなってしまった。まあそれはいいのだが。

「川沿いだな。少なくとも水の心配がいらなくなる」

 それに、運が良ければ生き残りの味方と合流できるかもしれない。

 敵に追いつかれないように強行軍で夜通しあるきたいのだが、獣人たちはそういう無茶がきかない。

 日暮れ前に、なんとか川についた。それで今日はおしまい。野営する。完全装備でやってきてよかった。なければ冬の寒さにやられて死ぬかもしれない。

 川の幅は五尋……九mというところ。水運にも使用しているという事実を疑うほどに、なんともささやかな川ではあった。かつてはもっと大きな川だったらしいが、森が失われると川の流れも減ったという。

 お陰で、河原は大きい。丸い石がたくさん手に入るのは嬉しいと言えば嬉しい。

 暖を取るのと炊事をするために、火を起こすことも許す。丸い石を投げ入れ、温まったら取り出して懐にいれるのだ。温石という。寒い冬では貴重な熱源だった。

「のんびりしていますが、大丈夫ですか」

 薄気味悪い場所にいるような顔で、エーベルバッハが言う。大丈夫だろうと気楽にいいかけて、この言い方では不安を煽るだけだなと思い直した。

「大丈夫だ。人間とはくらべものにならない獣人たちの見張りの力を信じろ」

「確かに。失礼いたしました」

 エーベルバッハはそう言って詫びた。実際のところは獣人の見張りや歩哨の力など関係なしに今日は大丈夫だと思うのだが、説明すると長くなるので黙った。

 敵が奇襲効果を最大限使うために夜通し動く可能性はないでもないが、およそどこの軍隊でも夜間行軍での兵士の損耗率は一割と見ている。一夜で一割だ。五日も夜間行軍すれば歩けば半分近くになってしまう。この数字は大抵の戦闘損耗より遥かに大きな数字だ。

 敵からすれば勝ち戦だからそこまでの離脱は出ないだろうが、それでもまあ、軍に所属していながら、いざ戦争になるとそっといなくなる連中というものはいるもんだ。

 そういうのが出るのを最小限にするのであれば、まあ、昼間に行動すると思われる。それに賭けようというわけだ。そもそもこっちは、獣人の関係で休む時間はたっぷり必要だ。

「野営準備。それと食物を隠しても、また取りにこれるかはわからないので、なるべく埋めるな」

 そんな命令を出した。麦姫兵長が、え、じゃあどこに埋めればいいんですかという顔をしたのは面白かった。

 ああ、そうだ。と、言葉を付け加える。

「味方を見ても気安くは話しかけるな。当たるときは複数だ。相手が脱走兵だと捕まるのを恐れて襲ってくる可能性がある」

 意外にあるというか、敗残兵と脱走兵が合体するとまあ夜盗に早変わりするなんてのはよくある話だ。処罰を恐れて襲いかかるなんてことはよくある。


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