Thread 04|あなたは、誰ですか(終)
帰宅した夫は、まるで何事もなかったかのように夕食をたいらげ、テレビを見ながら笑っていた。
まるで「完璧な夫」だった。
けれど、わたしの中では何かが軋んでいた。
この人は、ほんとうに、村瀬雅人なのか――。
「ねえ……会社、辞めたんじゃないの?」
そう問いかけると、夫は箸を止めて、ゆっくりとこちらを見た。
少しの沈黙のあと、笑って言った。
「何言ってんだよ、辞めてなんかいないよ。俺は毎日、ちゃんと働いてる」
その笑顔に、わたしは強い違和感を覚えた。
“毎日ちゃんと働いてる”――その言い方が、どこか不自然だった。
まるで、それが「彼の役目」だと言わんばかりの口調だった。
「じゃあ……この退職届は?」
わたしは引き出しから、あの夜、机に置かれていた封筒を差し出した。
夫は一瞬だけ、目を見開いた。
それから、にっこりと笑った。
「ああ、それ……冗談だよ。ちょっとカッとなっちゃってさ」
まるで“村瀬の感情”を演じるような、その微笑みが怖かった。
「あなた……“あの夜”から、何かが違う。
ねえ、本当の夫は……どこにいるの?」
そう問うと、夫は静かに笑ったまま立ち上がった。
「俺はずっとここにいるよ。
――最初から、君の前にいた“俺”だよ」
その声は、確かに夫の声だった。
でも、その中に聞き覚えのない“何か”が混じっていた。
その夜、わたしは眠れなかった。
リビングから聞こえる夫の足音が、いつもより軽く、機械的なことに気づいたからだ。
翌朝、目を覚ますと、夫はもう出社したあとだった。
けれどダイニングのテーブルには、見慣れない社員証が置かれていた。
名前は「村瀬雅人」。
けれど、顔写真は――うっすらと、知らない誰かに変わっていた。
恐る恐るカードを裏返すと、そこには小さく、こう印字されていた。
《配属先:13階》
終
[Thread Story]13階シリーズ:退職届を出した男、妻の視点 風光 @huukougensou
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