Thread 03|誰も知らない、夫のフロア

翌朝、夫はいつも通りにネクタイを締め、出社していった。


昨日の不気味な夜の記憶は拭いきれなかったけれど、わたしは見送るしかなかった。

いつも通りの声、笑顔、所作――

けれどそれらが、完璧すぎて、かえって怖かった。


その日の午後、わたしは、夫が勤めるオフィスを訪ねてみることにした。


ビジネス街の中にある、大手企業が集まる高層ビル。


受付で「村瀬と申しますが、夫が忘れた会社の資料を届けたいのですが……」と頼んだところ、

「ご主人様のお名前、リストに見当たりませんが……?」

不思議そうに首をかしげる女性。


そんなはずはない、と強く出ると、ようやく上司らしき男性が現れた。

彼は怪訝そうに言った。

「村瀬さんは先日、退職されたはずですが……?」


――え?

わたしの背中に、冷たいものが走った。


昨夜も今朝も、いつも通りに出かけた夫。

それが“先日辞めた”?


思わず「今日も出社してるはずです」と伝えると、彼は口ごもった。


「……いえ、13階フロアの者には我々もあまり接点がなくて……」

その言葉に、耳がざわついた。

「13階」?

「このビル、確か12階建てじゃ……?」


そう尋ねると、男性は少し間を置いて、

「ああ、13階というのは、まあ……倉庫のような扱いでして」と笑った。

ごまかしているのが見え見えだった。


それでもどうにか、その“13階”とやらに行けないかと食い下がるわたしに、

「……そうですね、ただ……そこに行く“必要がある人”以外、ボタンは押せないんですよ」

などと意味の分からないことを言って、彼は静かに視線を逸らした。


必要がある人だけが、13階に行ける。

都市伝説じゃあるまいし、そんな非現実的なこと…。


その瞬間、昨夜の夫の笑顔が脳裏によみがえった。

説明のつかないことなら、確かに自分も目にしているかもしれない。


だとしたら、あれは、本当にわたしの夫だったのか。

それとも――存在しない13階から現れた、存在してはいけない“何か”だったのか。

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