ぶちのめしたいおまえへ
隣乃となり
教えて。
おまえが弾いていたのが自殺した人間の曲だと知っているのは、この馬鹿に広い空間の中、きっと私とおまえだけ。冗談みたいに綺麗な声を出す喉を、劇薬の成り損ないでいっぱいにして
おまえは静かなひとだっただろう。おまえの長い指がこうして数百年も生きる楽器のために存在していることを、私はこの瞬間まで一切、想像すらしていなかった。聴衆、と言っても点在する程度だけれど、奴らを置き去りにしながらひたすらに眼前の音に首ったけになるおまえのことを、私は危うく愛してしまいそうになる。おまえの声に鼓膜を揺さぶられたことは一度だって無いというのに、おまえは死んだ人間が作った音楽で私と初めての会話を試みたのだから。
朝日に向けるような目でおまえのことを見つめずにはいられなかった。おまえは声を発することも顔面の筋組織を歪ませることもなく何ひとつ普段と変わらないはずなのに、私には矢鱈と冴えて見える。
私はおまえのことをよく知らないし、言ってしまえば音楽のことだってよくわからない。音符すら碌に判別できない私のずっと遠くで、おまえは当たり前に呼吸をしている。先を行かれている。おまえに、おまえにだ。
殺してしまいたい。けれど抱きしめて深く口づけをしてしまいたいとも思った。
「よかったね。ピアノ、発表」
私ってば話すのが甚だしく苦手。それなのにおまえはわずかに瞼を上下に引っ張りあって、その合成樹脂みたいな眼球で私を受容しようとしてくれる。優しいね、クソ野郎が、
「痛い発表だったね」
焦れったくて、ためしにおまえの浅い部分を刺してみる。私の声でおまえのすべてが引き攣ったのがわかる、ひどく心地が良かった。もっとおまえに傷ついてほしい。あわよくば私を心の底から憎んでくれないだろうか。あの刹那。埃のにおいで満ちたあの体育館で、私とおまえが二人きりだったことに気がついていないのなら死んでしまえ。
「痛みも僕のものなんだ」
強かに微笑む唇が笑えないほどに整っている。
「僕のものである以上、痛みだって愛さなきゃ駄目なんだと思うよ」
おまえの自意識の厚さは凶悪だった。何様でも何者でもないおまえの言葉は、花紙のように薄くて、隕石みたいに眩しい。
好きと嫌いが同棲しているってどんなきもち。
私、血が滴るまで殴打し尽くして、そのあとにおまえの全部を肯定してみたいの。もう一度あの曲を弾いてくれ。使い道のないおまえの指先で、狂ったあの人の遺言を私に教えて。
痛みをもっと教えてください。
ぶちのめしたいおまえへ 隣乃となり @mizunoyurei
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