海外旅行

うたかた

海外旅行

 田中守は京成線の駅ホームにあるベンチに座り、肩を震わせて息を切らせていた。


 特急電車に乗る為、家族三人で家から走ってきたからだ。

 四歳になる彼の娘、麻里もしゃにむに走ったが、やはり子供の足である。刻一刻と時計の分針は進んだ。

 これはまずいと守は麻里を抱きかかえ、キャリーケースを妻の里香にまかせて急ぐ。


 結果、彼らは特急電車を逃した。

 ホームへの階段を駆け上がり、ちょうど登りきったところで、電車の扉は閉まった。

 成田空港駅まで行く次の電車は二十分後だ。守の隣に座っている里香は、彼に非難の視線を投げていた。しかし、いつもならば機関銃のように文句を言ってくるのが、今は黙ってこちらに鋭い視線を送るのみだ。

 

 おそらく今回のグアム旅行が、里香の希望だからだろうと守は思った。出不精な彼は旅行に無関心だったが、里香は久しぶりの海外旅行に大喜びだった。


 または、彼女は守を気の毒に思っているのかもしれない。

 急いでいた守は、駅に着く直前の道路で派手に転び、ジーンズの膝を破いていた。

 

 左手に麻里を抱えていたので、右によろけ、道路にひざを強く打ちつけた。とっさに出した手のひらは擦りむいたが、出血まではしていない。だが、右ひざからは血が溢れたので、上からティッシュで押さえている。

 守は恐る恐るそれを剥がして覗く。

 血は止まっていたが、痛みで顔をしかめる。


「痛いの痛いの、とんでけー」


 麻里が守の膝上、空中をつまんだ仕草をして、〝痛み〟を空に投げる仕草をした。


 すると突然、隣のベンチから野太い声がした。

 守がそちらを見遣ると、茶褐色の太い腕をむき出しにした大男が狭そうに座っており、こちらに外国語で何か話しかけていた。


 守は麻里を自分の背中に移動させ、大男の目をみて話を聞く。だが、全く分からない。里香に助けを求めようとしたが、彼女も首を傾げるのみだ。

 だんだんと男の声は大きくなり、ジェスチャーが増えてきた。外国に着く前に言語に悩むことになろうとは……。なんてついていないのだろうか。


 男は巨大なショルダーバックの中をまさぐり始め、何かを守に差しだした。

 

 野球のグローブのような彼の手にあったのは、長方形の小さな薄い〝バンドエイド〟だった。バックの隅に長期間あったのだろう。ひどく汚れている。

 

 包丁でも飛び出てくる覚悟をして身構えていた守は、拍子抜けして動けなかった。

 しばらく固まっていると後ろから、さっと麻里が男の前に飛び出す。

 

 サンキューと一言いって男の手から〝バンドエイド〟を頂戴した。


 大男は目を細めて口角をあげ、輝く笑顔で麻里に向かって親指を立てた。遅ればせながら守も彼にお礼を言って、ぎこちなく笑顔を返す。


 この旅行は楽しくなるかもしれない。

 そう思えた。

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海外旅行 うたかた @vianutakata

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