第3話 黄金色 [kogane-iro]

 廃屋の壁に、二枚のキャンバスが並べて立て掛けられている。一枚は私の紅梅色こうばいいろを宿した灰色の塊。もう一枚は、ミナが藍色あいいろの布を押しつけた新しいもの。夜の闇が深まる中、割れた窓から冷たい風が吹き込み、キャンバスを微かに震わせる。ミナの息遣いが近くで聞こえる。彼女は眠っていない。私もだ。 


「あの布、どこから手に入れたの?」と私が問う。声は低く、慎重に。ミナが少し身じろぎする。「市場の奥。おばあさんが隠してた」と短く答える。彼女の声に、初めての揺らぎがある。藍色の温もりが彼女の心に小さな波を立てたのだとわかる。私は微笑む。見えない目で、でも確かに。 


 翌朝、市場は異様な静けさに包まれていた。いつもなら瓦礫の道を抜けて聞こえてくるざわめきがない。ミナが私の手を引いて外へ出る。「母さん、みんな集まってる。中央の広場に」と彼女が囁く。足音が重い。私たちは急ぐ。泥濡れた道を、ミナの小さな手が私の指を強く握る。 


 広場に着くと、住民たちの息遣いが渦を巻いている。誰かが震える声で言う。「黄金色こがねいろの種が……見つかったんだ」。黄金色。母が教えてくれた、豊饒と希望の色。かつて田畑を輝かせ、人々の腹を満たした光。私は息を飲む。ミナの手が熱を帯びる。 


 広場の中央、廃材の山の上に、小さな壺が置かれていた。昔の農夫が隠したという。スラムの外、荒野の奥で掘り出されたものらしい。壺の中には、乾燥した種子が数粒。触れた者の指先が微かに温かくなるという。住民の一人が壺を掲げる。「これを植えれば、昔の麦が戻るかもしれない。黄金色に実るんだ」と。声に、久しぶりの熱が宿る。 


 だが、次の瞬間、空が裂けた。AIドローンの群れだ。唸りが地を震わせ、光の刃が広場を切り裂く。住民たちが悲鳴を上げる。ミナが私の体を庇うように抱きつく。「母さん、逃げて!」と叫ぶ。私は動けない。ドローンの風が私の髪を逆立て、壺の種が散らばる音がする。黄金色の魂が灰となって舞う。 


 だが、その時だった。一人の老人が壺を胸に抱き、ドローンの光の中に立ちはだかった。昔の農夫の末裔だという。彼の声が響く。「白光びゃっこうよ、お前が奪えるのは色だけだ。種は生きる!」ドローンが光を集中させる。老人の体が照らされ、影が長く伸びる。次の瞬間、奇跡が起きた。散らばった種の一つが瓦礫の隙間に落ち、微かな光を放ち始めた。黄金色の、ほんの小さな輝き。私の指先がそれを捉える。温かい。太陽の欠片のような熱。 


 ドローンが一瞬、動きを止める。まるで戸惑ったように。住民たちが息を飲む。ミナの手が私の手を強く握る。「母さん……見えた? 光が」と彼女が囁く。私は頷く。見えない目で、でも確かに感じる。黄金色は、豊饒の火だ。どんな荒野でも、芽吹く光。 


 老人は倒れた。光に焼かれ、息絶えた。だが、種は生きていた。住民たちがそれを囲み、守るように手を差し伸べる。ドローンは去っていく。空が再び灰色に戻る。でも、私たちの胸には、小さな黄金の炎が灯った。 


 廃屋に戻り、私とミナは三枚目のキャンバスを準備する。灰色の絵の具に、瓦礫の隙間から拾ったあの種を押しつける。冷たいキャンバスに、微かな温もりが加わる。ミナの指が、私の指と重なる。「母さん、黄金色って……希望のこと?」と彼女が問う。私は答える。「そうだよ。ミナ、黄金色は命の火。どんな厳しい冬でも、春を呼ぶんだ」


 外で住民たちの声が低く響き始める。種を守るための歌。昔の豊作の唄。私の心に母の声が重なる。「アヤ、色は心だよ。信じなさい」ミナの息遣いが穏やかになる。彼女の心に藍色の深みと黄金色の光が交わる。私は知る。これはまだ途中だ。白光はさらに強い光を放つだろう。でも、私たちはもう灰色だけではない。 


 キャンバスに三つの魂が宿り始める。紅梅の情熱、藍の叡智、黄金の希望。私の指が震える。ミナの小さな手が、それを支える。世界はまだ消滅していない。


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