レンコンとわたし

春日七草

レンコンとわたし

 レンコンが苦手だ。

 レンコンを薄切りにして水にさらし、酢の物にしたものが実家でよく出されていた。なんかしゃりしゃりした感触が苦手だった。

 レンコンとしいたけ、にんじん、ゴボウ、こんにゃくが入った筑前煮は祖母の好物だった。わたしは味のしみたレンコンをよけて食べていた。

 レンコンは時に紙みたいで時に石みたいだ。イモのような顔もするしごぼうの親戚ですって顔もする。口に入れるまでわからない。

 だから大人になった今も、苦手だった。


 玄関で靴を脱ぐ。通販で買ったパンプス。彼氏とたくさん歩いても疲れないローヒール。かわいらしいピンクベージュ。彼氏と選んだ靴。

 五年付き合った彼氏と、さっきお別れをしてきた。

「大阪に転勤になったんだ。一緒に来るよね?」

 わたしの仕事のことも、わたしの気持ちも、わたしの都合もおかまいなしに、彼の中ではわたしがついてくることになっていた。

 それがどうにも嫌だった。

 ついていくのが嫌なのではなくて、当然のようにわたしの都合を無視されているのが嫌だったのだ。

「え、じゃあどうする?別れる?」

 そうね、と、わたしは言った。

 よく知っていた彼がなんだか知らない人みたいに見えた。

 こういう瞬間、これまでにも何度もあったなあ。

 たとえば、言っても言っても洗濯カゴに入れてくれない靴下。

 たとえば、ささいなことでレストランでクレームを入れ始めた時。

 たとえば、公園で遊んでいる子どもたちを見て、ガキどもが騒がしいなあと、まるでささやかな世間話のような口ぶりで言ったこと。

 里芋だと思って口に入れたらレンコンだった時のような、あのジョリっとした感触のような。

 そんな瞬間を五年間、見て見ぬふりをしてきた。

 思えばここ一年は、そんな愛情も冷めてきていた。

 ただ年齢もあって焦りもあったし、別れていなかっただけ。

 きっと潮時だったのだろう。

 そう思うことにしよう。


 久しぶりに一人の朝。

 一人で食べる朝食。

「行って……きます」

 誰もいない部屋に向かってつぶやき、外に出る。

 いつも通りの街。人がせわしなく歩いている。車が行き交っている。空は白んで、雲は流れて。わたしは早足で。

 隣だけがいない。


「ここ、間違ってるよ。直しといて」

 会社に着いて早々、机にボンと置かれる紙束。

「……はあ、」

 見上げるともう彼女はスタスタと向こうに歩いていく。

 上司の麻生さん。

 わたしは彼女が苦手だ。

 上司や同期には見せるのに、わたしには見せない笑顔。

 いつも早口で、次々と意見を出し、言い終わるとこちらの話を待たずに去ってしまう。

 いわゆるシゴデキ女子ってやつなんだろうけど、わたしは苦手。

 そもそもどこを直せっていうのか?

 紙をめくってみると、いくつも貼られた付箋。

 これを渡すためだけにわたしが来るのを待ち構えていたのだろうか。

 ……考えるのはやめよう。

 わたしはパソコンを立ち上げる。

 仕事に集中していれば、昨日別れた男のことも、嫌な上司のことも、考えなくてすむだろう。


 昼休み。今日は弁当がない。

 昨日までは作っていた。彼氏の分と、わたしの分。

 もう誰かのために作らなくていいんだなぁ。

 相手が苦手なものを避けて、好きな味を考えて、朝早くに起きて作らなくていいんだな。

 コンビニでサラダとおにぎり、フライドチキンを買う。

 コンビニの棚に並んでいるサラダの中に、レンコンサラダがあった。


 昼食を食べ終えて、トイレに一人。

 フライドチキンが胃にもたれてる。

 今日のフライドチキンは、あまりおいしくなかったな。

 いや、こないだ食べた時も、期待していたほどおいしくなかったな。

 ……年か?

 最近こういうことが増えた。

 彼氏――元彼は、油の乗った肉が好きだった。

 わたしも好きだった。好きだったはずなのだけど。

 今年の五月で三十になった自分。

 三十過ぎると油ものが受け付けなくてね、と笑っていた上司を思い出す。

 ――こうして、これからもどんどん、苦手なものが増えていくのかな。

 こうして、好きなものが減っていくのかな。

 好きなもの、好きな人。好きだった人。

 ……自然と涙が出てきた。

 わたしはしばらく、流れるままに涙を流した。


 トイレから出たところで、

「あ」

 麻生さんとはちあわせした。

 わあ、よりによって。

 麻生さんはわたしを見たけど、何も言わずにトイレに入って行った。

 ……泣いてたこと、バレたかな?

 まあいいや。もうどうでも。どうせわたしのことなんて、気にもかけてないだろうし。


「これ、実家から大量に送られてきちゃって」

 夕方、麻生さんがほかの人たちに何かを配っている。

「もらってくれる?」

 わたしの机にもゴトッと、袋に入ったそれが置かれた。

 うっすら土がついた、レンコン。

 ……わあ。

 思わず顔をしかめてしまい、あわてて真顔になる。

 麻生さんを見ると、麻生さんもわたしを見ていた。

 まずい。顔をしかめたの、絶対見られた。

「えーと、あの」

 言い訳をしようとすると、麻生さんは早口で、

「あのね、きんぴらがオススメなの。わたし的には。絶対。油で焼くの。ごま油があればごま油がいいわ。きんぴらにしても、照り焼きにしても、しょうゆだけでもね」

「……きんぴら?レンコンだけのきんぴらですか?」

 思わず聞き返す。

「ええ、わたしよくそれ作るのよ。ニンジンもゴボウも入れないの。入れたっていいけど……レンコンは厚めに、そう2センチぐらいの厚さで輪切りにして。皮は剥かなくたっていいわ」

「皮剥かなくていいんですか?」

 わたし的には初耳の調理法だ。「ええと、でもわたし、レンコンはあんまり」

「口に合わなかったら明日返してくれていいから、とにかく騙されたと思ってやってみて」

 麻生さんは言いたいだけ言ってさっさと去って行った。

 いや、返せるかい。

 ……困ったな。

 まあでも、ごま油は家にあるなあ。好きだし。


 元彼は野菜嫌いだったし、別れてなかったらやってなかったと思う。

 というか、自分でもやるとは思ってなかった。

 ただ、何かしてないと、また暗いことを考えてしまいそうで、だから。

 わたしはレンコンを洗い、包丁で輪切りに切る。

 ザクッ、トン。

 レンコンって硬いのに意外と切りやすいな。薄く切ろうとしなくていいのは気持ち的に楽かもしれない。

 水にさらさなくていいのかな?

 迷ったが、水にさらさず、皮も剥かずに、ごま油をしいたフライパンに並べた。

 じゅうじゅう。ごま油のいい匂いがたちのぼる。

 ひっくり返して、赤唐辛子を入れる。なんとなく、レンコンが少し透き通った気がする。

 しょうゆ大さじ1、みりん大さじ1。砂糖をさじの半分くらいバサっと入れ、軽く混ぜる。そしてフライパンへ投入。

 ああ、馴染み深いきんぴらの香りだ。

 しばらく炒めた後、火を消して、お皿へ投入。

 ご飯と、あと缶ビールを持ってテーブルへ。

 ひとり酒ってやつですね。

 ビールをプシュッと開けてぐいっと飲む。

 そしておそるおそる、レンコンを箸で口へ運び――カリッ、とかじってみた。

 ……おお?

 おお……

 サクサクしてるのに、ねちっというか、もちもちというか、そんな歯ざわりがある。

 ……うまいな?

 うまいな……。

 うん、うまい。

 わたしの苦手な繊維感もあまりないし。

 皮もむしろいい感じだ。リンゴの皮みたいな存在というか。なくてもいいけどあったらあったで悪くない、というか良い。

 きんぴら味はビールにもご飯にも合うし。

 あ、いけるいける。


 あっという間にからになった皿を眺める。

 あと半分残っているレンコン。明日は照り焼きにしてみようか。

 麻生さんのことを考える。

 珍しく仕事以外のことでわたしに話しかけてきた麻生さん。

 もしかして、気をつかってくれてたんだろうか。

 泣いてるところを見られたわけだし。

 それにしてはやり方がガサツというか、らしいというか。

 もしかして、これまでも意外と、気をつかわれていたこともあったんだろうか。

 いつも真面目な顔で早口で、言いたいことだけ言って去ってしまうから、気づかなかったけれど。

 もしかして、彼女はわたしが思ってるより少し、気づかいとかに関しては不器用なところもあるのかもしれない。

 そう思うとなんだか、心がポッと暖かくなる。なんだかうれしくなってくる。

 麻生さんに抱いていたはずの苦手な気持ちは、いつの間にか薄らいでいた。

 明日はお礼を言おう。笑顔で。

 レンコンを送ってくれたというご実家はどこなんだろう。聞いてみよう。

 朝、お菓子でも買って行こう。

 ――大丈夫。こうやって、これからも、きっとわたしは、新しい好きなものを見つけていけるだろう。

 根拠はないけれど、そんな気がした。

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レンコンとわたし 春日七草 @harutonatsu

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