喜ぶのは
「じゃあさ、いっしょに行こうよ。あたしの家まで。あ、もちろん今からじゃなくて、明日の朝ね」
「えっ……。なに、急に」
呆然とした直後の発言だったので、完全に虚を突かれた。声が裏返らなかったのは奇跡としか言いようがない。
「あたしのあとから入ったくせに、もうのぼせてんの? あくあからりりあの自殺の原因を訊き出す件だよ」
「……ああ」
「あたしは付き添いとしてあんたといっしょに行って、帰ってくる。でも、あいつに会うのは佐伯だけ。どうやってコンタクトをとるかを考えて、実際に訊き出すのも佐伯。これでどう? このやりかたなら、あたしは大嫌いなあくあと顔を合わせずに済むし、佐伯は単騎で敵陣に乗り込むよりも心細くない。なかなかいい案だと思うんだけど」
「折衷案ということだね。どうせ同行するなら、呼び出すところまでやってくれよって思わないでもないけど」
「でも、心強くはあるでしょ? ひとりぼっちで敵陣に乗り込むよりはましでしょ?」
「そうだね。じゃあ、それでお願いしようかな」
「おっけー、決まりね。――ああ、そうそう。一つ気になっていたことがあるから、妥協した見返りに答えてよ」
「……それ、一之瀬さんのことと関係ある?」
「あるよ。むちゃくちゃ関係ある。教えてほしいのは、あたしに協力してくれる理由」
「え?」
「言葉どおりの意味。
たしかに、あたしは強引だったよ。佐伯はりりあのクラスメイトだっていう繋がりもある。でも、しょせんはクラスメイトでしかなくて、親しい友だちとかでは全然ない。むしろ、どういう女の子なのか印象すら残っていない、半紙みたいにうっすい関係みたいじゃん。そして、今日知り合ったばかりのあたしとは、りりあ以上に薄っぺらな関係。それらにプラスして、相手をしなきゃいけないのは怖い、こわーいあくあだから、言ってみれば三重苦みたいなもの。
たしかに、あんたは嫌がったよ。怖がって、嫌がって、怖がって、嫌がって――だけど、最終的には首を縦に振った。さっき決まったばかりのとおり、あたしのためにあくあに事情を訊きに行くことに同意してくれた。
押しに弱いとか、お人好しとか、性格にそういうところがあるのを差し引いても、ちょっと人がよすぎる気がするんだよね。佐伯には、りりあの問題解決のために動かなければいけない、なんらかの理由があるとしかあたしには思えない。
まだ打ち明けていないってことは、あんたにとって大事なことなんだよね。だとしても――いや、だからこそ、あたしに教えて。明日はあくあの根城に乗り込む日だし、あんたにとってあたしはかけがえのない相棒でしょう? 知る権利、あると思うけどな」
話し始めたときのここあは、目も口も眉も、ようする顔全体で笑っていたと思う。でも、いつの間にか真剣な面持ちに変わっている。
険しい表情ではない。むしろ、ほのかに笑っている。それなのに、真剣さが伝わってくる。そんな表情で、そんな目で、一心に僕を見つめてくる。決して脅迫的ではないが、応えなければ、と強く思わせる眼差し。
――さっきから僕の脳裏をあれがちらついている。一之瀬りりあにまつわる、忘れられたくても忘れられない、あの映像が。
認めざるを得ない。
僕がここあに協力しているのは、あの映像の呪縛から解放されたいからでもあるのだ、と。
……でも。
本当のことを言ってしまってもいいのだろうか? 真実を知ったら、ここあは怒り出すんじゃないか?
ここあは、急かすこともなければ、やっぱり答えなくてもいいよと許すわけでもなく、ほのかに笑った顔で僕を見つめ続けている。
ごくり、と喉が鳴る。
「非日常を味わいたかったからだよ」
「……どういうこと?」
「行動をともにしていたらだいたい分かるとおり、僕は平凡な人間だ。必然的に日常生活も平凡。思春期の男子として当然、いや女子でもかな。刺激を求める気持ちは当然あるんだけど、平凡ゆえに平凡の枠を超えられなくて。だから、ここあと行動したら面白いことになるんじゃないか、スリルあふれる非日常が体験できるかもしれないって思ったんだよ。君が落とした財布を交番に届けるんじゃなくて、落とした場所で待っていたのは、そういう動機があったからなんだ」
嘘を言っているわけじゃない。理由を一から十まで言っていないだけで、「非日常を体験したい」というのも歴とした僕の願望で、ここあに協力する動機の一つ。だからこそ、話し相手の目をしっかりと見ながら、どもることなくきっぱりと言い切れた。
「スリルあふれる非日常を体験したい、か。それ、日常がすでに非日常なあたしからしたら、すごく贅沢な願望だね。ちょっといらっとしちゃうくらい身勝手な願望」
それがここあの感想だった。あと一歩で眉をひそめるんじゃないか、という顔つき。それでいて、怒りも呆れも笑いもしない。
「そういうことなら、明日はぜひ協力してよ。あんたが望むような体験があたしたちを待ち受けていること請け合いだから」
「それは、約束したからもちろん」
「佐伯らしからぬ力強い返事じゃん。長々と湯船に浸かって話をした甲斐があったね」
ここあはいきなり立ち上がった。僕が入っていることを考慮していないような大ざっぱな挙動。思わず身構えたが、脚が触れ合った以外の接触はなく、バスタブから出た。風呂椅子に腰を下ろして僕に微笑みかけ、
「洗いっこしよ。あたしが先行ね!」
「先行って、どっちが先なの。洗うほうなのか、洗われるほうなのか」
「洗われるほうに決まってるでしょ。ほら、出てきて」
自分の背中の腰に近いあたりをぺしぺしと軽く平手で打つ。背中から洗い始めろ、という意味らしい。
「えー、嫌だよ」
「えーってなによ。なんで嫌なの?」
「……恥ずかしいじゃん」
「そこはラッキーって思うところじゃないの? えっ、なんか、意外な反応なんですけど」
「ここあは変なところを触ってきそうだから。にやにやしながら余計な真似ばかり」
「いつどこで誰が触るって言ったの? それは佐伯の勝手な願望なんじゃないの。まあ、がっつり触るつもりなんだけど」
「おい」
「それ含めて洗いっこでしょうが。それとも、あたしがじっくりねっとり自分の体を洗うところを見学するだけにしとく?」
「そうするよ。僕の番もあるから、なるべく手早く頼むよ」
「なんでそんな嫌なわけ? けっこうショックなんだけど」
「理由はもう説明したよね。絶対にしないからな、洗いっこなんて」
「呆れた。なんのための混浴だか」
反射的に「親睦を深めるためだろ」と言い返しかけて、そうじゃない、と気がつく。
ここあからすれば、たしかに「親睦を深めるため」なのかもしれない。
しかし、すっかり忘れていたが、僕がいっしょに入ることに決めたのは、「ひとりがさびしい」と吐露したここあの気持ちに応えるため。
もちろん、満年齢十六歳の男子らしい下心もあるけど、その割合も無視できないくらい大きいんだけど、一番の理由はそれだ。
だったら譲歩して要求に応えるべき――なんて思いかけたが、混浴を果たした時点で欲望は叶えた。そして、同じ湯船に浸かっているあいだの、我ながら苦笑を禁じ得ない知能指数低めのやりとり。
ここあだってもう満足しているはずだから、譲歩はやっぱりなしだ。
「まさか佐伯がここまでむっつりとはね。本当はしたいくせに」
「やらないものはやらないから。さっさと洗ってくれ」
「はいはい。……あーあ。洗いっこしてくれたら家までついていってあげることにすればよかったかなぁ。またミスっちゃったな、あたし」
ぶつくさ言いながらタオルにボディーソープを含ませ、体を洗い始める。
その後も、意味深な流し目をくれながらもったいぶった手つきでタオルを操るここあにツッコミを入れたり、洗っている最中の僕に襲いかかってきたここあを阻止したりと、賑やかに時間は消費されていく。
風呂から上がると、入ってからすでに一時間以上が経っていた。僕にしては異例中の異例の長風呂に、驚いたあとで噴き出してしまった。
入浴を終えるタイミングがここあも同じだったら、きっと顔を見合わせて笑い合っていたに違いない。
佐伯はむちゃくちゃ素早く、体を拭くのと着衣とを済ませて脱衣所をあとにした。
「長々と混浴しておいて恥ずかしいって……。まったく、かわいいやつだなぁ」
ひとりごち、湯船の中でぐっと伸びをする。下ろすとき、両腕を思いきり湯面に叩きつけた。勢いのわりに中途半端な規模の水しぶきが顔にかかった。その顔に、弛緩した笑みが貼りついているのが鏡に映っている。
楽しい。充実している。
もちろん、楽しくて充実した時間を過ごせると確信したからこそ、佐伯といっしょに入ることにしたわけだけど、想像以上だった。
佐伯はイケメンじゃない。巧みな話術の持ち主でもない。男の裸に一喜一憂するほど、あたしは初心じゃない。
波長が合うんだ。リラックスして過ごせるし、くだらない会話も面白いように繋がる。馬鹿なことも下ネタも平気で言える。なにをやっても本気では怒らないだろうな、発言に苦言を呈することはあっても、あたしという人間に愛想を尽かすことはない、という安心感がある。
会話はキャッチボールに例えられるけど、佐伯の場合、ミスなくやりとりできるとか、高速でやりとりできるとかじゃない。強く投げすぎることも暴投することもあるけど、楽しいからずっと続けていたくなるのだ。
湯はぬるくなってしまったけど、長く浸かっているのには好都合だ。あたしはバスタブの中でだらりと体を伸ばし、鼻歌を歌いながら取りとめなく思案を巡らせる。
そうする中で気がついたのが、りりあと佐伯は似ているところが多い、ということ。
陰陽のどちらかに分けるとすれば、陰。大人しくて、控えめで、からかいたくなるようなところがあるけど、だからといってどんな言葉をかけてもだんまりというわけじゃなくて、言い返すときはきっちりと言い返してくる。ただし、暴言は吐かない。言動が全般的に穏やかで、いっしょにいて安心できる。引っ張るタイプではないけど、誠実に対応してくれる。いい人感がひしひしと伝わってくる。
目的達成のためだけじゃなくて、傷心のあたしを癒すためにも力になってくれるなんて。
本当に、佐伯には感謝してもしきれない。
「ま、面と向かって礼は言ってやらないけどね」
口のあたりまで湯に沈み込み、組み合わせた両手の隙間から水を発射する。勢いよく噴水するつもりだったのだけど、打ち上げ失敗したロケットみたいにちょっと上に飛んだだけだった。
面と向かってだと、恥ずかしい。
それに、まだあくあとの決着がついていない。
喜ぶのは、すべてが終わってからだ。
どんな未来が待ち受けているのかは――ちょっと想像したくないけど。
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