恐怖の克服法

「イカのお寿司チェックぅ!」

 ここあは声高らかに宣言し、バラエティ番組にゲスト出演した若手芸人も顔負けのハイテンションで拍手する。

 顔は、むちゃくちゃにこにこしている。

 スーパーマーケットの総菜について熱く語ったここあが夕食の調達場所に選んだのは、当然のごとくスーパーマーケット。

 互いの食べ物の好みなど、くだらない話に花を咲かせるなどしながら、たっぷり時間をかけて二人分の夕食と朝食を買い込み、今は秘密基地だ。

 ローテーブルの上に所狭しと並べられているのは、買ったばかりの夕食。

 多種多様な総菜が法則性なく大集合した、カオスな献立。

 その中央に燦然と輝く、イカの寿司。

「佐伯、気になる? イカのお寿司チェック。なんだと思う?」

「いや、知らないけど」

「スーパーで売っている寿司の味はピンキリだよね。でも、味が合格点かそうでないかを見分ける方法が一つあるの。それはずばり、イカを食べてみること。身が固ければ不合格で、柔らかければ合格。一発で分かっちゃうってわけ」

「なんだ。食べる前から分かるとかじゃないんだ」

「確実にグレード高いお寿司が食べたいなら、回らないお店に行けば」

「ごもっとも」

「じゃあ、さっそくチェックといきますか。いただきまーす」

 ぱちん、と気持ちいい音を立てて割り箸を割り、十個入りのパックからイカを掴み取る。掴んでから口に入れるまでが速い。

 嚥下されると同時、笑顔の花がぱっと咲いた。

「美味しい! 柔らかいやつだ。佐伯も食べなよ」

 たしかに美味しかった。柔らかくて、旨味も甘味もあって。

 ここあはイカの寿司を一点集中で攻める。寿司はその一パックしか買っていないので、競争になる。僕は一個分の遅れをとったが、巻き返して最終的に食べたのは五個ずつ。それからはランダムに料理に箸が伸びた。

 世界はどんどん暗くなる。

 空になった容器を片づけ、生じたスペースにスマホを置く。ライト機能が作動している。LEDライトの光量は、夜が始まったばかりの世界には明るすぎるくらいだ。ここあはいつもこれで秘密基地の夜を乗り切っているという。

「ぶっちゃけ、冴えたアイディアは浮かんでいないんだよね」

 食事の勢いに落ち着きが見られるようになったころ、唐突にここあがつぶやいた。辛さ控えめのエビチリを食べながらの発言だ。

「佐伯に納得してもらうための方法のことね。どうすれば、あくあから訊き出す大役を引き受けてくれるのかっていう」

「無理やり従わせるんじゃなくて、納得してから実行させるなんて、平和的だね」

「まあね。確認しておきたいんだけど、りりあの魂を救ってあげたい気持ちはある? あたしの思い出話を聞いて、その気持ちは高まった?」

「高まったよ。自殺したのは本当に不幸なことだと思うし、かわいそうだと思う。自分にもできることがあるならぜひやりたいって思うよ」

「だったら、あくあに訊いてくれない? りりあとのあいだになにがあったのかって」

「訊くだけならいいけど――」

「おっ! ついに承諾?」

「ここあの頼みたいことって、訊いてそれでおしまいじゃなくて、あくあが答えるまでがセットだよね。ようするに、ここあが納得するような答えを君のお姉さんが吐くまで粘り強く訊き出せってことでしょ」

「当り前。じゃないと意味ないでしょ」

「だったら、無理だ。難しいよ」

「なんで? まだやってもいないのに、どうしてそう決めつけるの?」

「未来のことは分からないけど、推測ならできる。あくあはりりあを自殺に追い込んだ元凶なんでしょ? 姉妹や家族に日常的に暴力を振るうなやつなんでしょ? そして、今朝、りりあの自殺を知ったここあが問い質しても答えなかった。だったら、僕には無理だよ。部外者の僕が急に現れて急に教えろって迫っても、真実が明らかにされることは絶対にないよ。断言してもいい」

「その言い分はもう聞いてる。あたしが訊きたいのは、駄目元で挑戦してみないのはなんでなのかってこと」

「何度も言っていることだけど、あくあが怖いからだよ。父親の顔面を平気で殴るとか、あくあがいかに凶暴なやつなのかをここあが話してくれたおかげでね。断られるだけならまだいいけど、問いをぶつけた瞬間に暴力を振るわれそうだから、一之瀬あくあには近づきたいとすら思えない。……言っていて自分でも情けないけど、それが本音だよ」

 ここあは春雨サラダを掴んだ箸を虚空で止めて僕の顔を正視した。

 見下したような。小馬鹿にしたような。それでいて、ほんの少し同情してみせるような。

 彼女は春雨サラダを三口続けて食べてから言った。

「そういうことね。おっけー、把握、把握。じゃあ訊くけど、どうすればいいと思う?」

「どうすれば恐怖を克服できるかということ?」

「そう、それ」

「えっと、どうだろう。……特になにも思い浮かばない、かな」

「鈍いなぁ、佐伯は」

 ここあは肩を竦めて頭を左右に振った。

「一桁の掛け算よりも簡単だよ。りりあを好きになってもらうためにはりりあのことを知る必要があったように、あくあのことを知ればいい。そうすれば恐怖も薄らぐよ。屈服させられないのだとしても、あくあに面と向かって問い質せるくらいにはなるんじゃない? たぶんだけど」

「なるほど」

 相手は血の繋がった妹を自殺に追い込むような女だ。知ったところで恐怖の克服に繋がるのか、むしろ逆効果なんじゃないかという気もしたが、無策に甘んじるよりはましだろう。

「それはいい案かもしれないね。うん、悪くない案だと思う。じゃあさっそく――」

「ごめん。あたし、あいつのこと教えたくないから。というか、言及するのも嫌」

「……は?」

「だって、あいつのこと嫌いだし。悪いけど、佐伯が一人でどんな人間なのか見てきてよ。住所は教える。あくあはあたしの家にいるから」

「ちょっと、なんで急に非協力的になってるの」

「理由なら言ったばかりじゃん。言っとくけど、譲歩する気はないからね」

 口調は冷ややかというほどではないがどこか素っ気なく、無駄なやりとりを拒む雰囲気が感じられる。

 ここあは目も合わせなくなった。正面を向き合っているので重なることもあるが、一瞬で逸らしてしまう。

 本当に、心底嫌なのだ。

「ここあの気持ちは分かったよ。双子のお姉さんが自殺した元凶なんだから、強い拒絶感を抱くのも無理はないと思う。じゃあ、リサーチする人間は僕一人だと仮定して、どうすればいいわけ?」

「簡単じゃん。一之瀬家に行って、インターフォンを鳴らして、応対に出たあいつに訊けばいい。あの女はたぶん出ないと思うけど」

「だめじゃん」

「作戦を考えよう。そういう形でなら協力してあげてもいいよ」

 こうして作戦会議が始まった。

 家に火を放ってあぶり出す。

 強盗よろしく不法侵入する。

 死んだりりあを装う。

 明らかに非現実的なものから、大なり小なり実効性がありそうなものまで、さまざまな案を好き勝手に、無責任に出し合った。本気で採用に値するアイディアを見出そうとしているというよりも、自由気ままにアウトプットしているうちに当たりが出てきてくれ、という神頼み。

「クラスメイト代表としてプリントかなにかを届けにきた、というのはどうだろう?」

 自信満々な僕の提案に、ここあは小首をかしげる。

「死者相手にそれはちょっとまずくない? 不謹慎っていうか、不自然に思われる」

「それもそうか……。じゃあ、僕はここあさんの同級生で、今日はここあさんが休んでいたのでプリントを持ってきました、というのは?」

「それは無理。だって、あたし学校行ってないもん。不登校じゃなくて、そもそもどの学校にも入学していないっていう意味ね。中卒クソニートだから」

「……マジか」

「ちょっと、そのリアクション古くない? 令和の今は多様性の時代だから、いろんな生きかたが許されるんだよ。ニートでいたいやつ、働きたくないやつ、一日中寝ていたいやつ――」

 ここあは指折り数えている。ツッコミを入れてほしそうだが、僕は動揺してしまってそれどころではない。

 学校に行っていないのが悪いとか恥ずかしいとか、あるいは信じられないとか、そういうことじゃない。ここあに関してあまりにも無知であることを思い知らされたのがショックだったのだ。

 りりあと双子だから同い年。りりあと同じ学校には通っていない。この二つは把握していたが、学校に行っていないことはたった今、初めて知った。

 自殺したりりあのことも、自殺の元凶になったあくあのことも知らない。それどころか、行動をともにしているここあのことでさえも、そう詳しく知っているわけではない。

 これでは、欲しいものを手に入れるのなんて夢物語だ。

 昼前に出会ってから、夜の帳が下りた今に至るまでのあいだ、僕たちはなにをやっていたんだ? エビカツサンドにスクランブルエッグサンド、ソフトクリーム、スーパーの総菜――食べてばかりじゃないか。

 暗澹たる気持ちになった。

 しかし、絶望まではしていない。

 行動を同じくすることで少しずつここあのことを知っていったように、ここあから教えられるたびにりりあの人となりに詳しくなっていったように、アイディアを出し合ってあくあに肉薄しようとしている今のように、少しずつ着実に情報を重ねていくしかない。

「スマホだけいじっていれば満足なやつ、一生ゲームしていたいやつ――って、なんの話をしていたんだっけ?」

「『ここあのプリントを持ってきました作戦』を検討したけど、りりあのクラスメイトを装うのもここあのクラスメイトを装うのも、どちらも不自然ですよねって話。でも個人的に、プリント作戦は悪くないと思うよ。作戦の方向性自体は」

「まあね。いい線いっていると思う。でも、あくあは非常識のかたまりみたいなやつだから、礼儀正しさに固執しても上手くいかない気がする。ある種の強引さ、みたいなものも必要になってくるんじゃないかな」

「強引さ、か……」

 けっきょく、食事が終わるまでになに一つ決まらなかった。

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