昼下りのソフトクリーム

 今日は朝からいろいろあったが、まだ昼下がりの午後二時過ぎ。

「佐伯、どこ行く? ただ歩くだけなのも味気ないから、設定した目的地に向かいつつ道中も楽しむ、みたいな感じにしたいんだよね。散歩によさそうな場所、近場にあったかな」

「M公園とか?」

 M公園は駅の近くを流れる川沿いにある公園だ。僕は足を運ぶ機会はあまりないが、景色は想像がつく。眺めがよくて、遊歩道があるので散歩をするのにちょうどいい、ということも。

「のんびり歩けてよさそうだけど、でも遠いよね。ちょっとだるいかも」

「本当にノープランなんだね」

「目的地に関してはね」

 僕たちの歩調はのんびりしている。向かっているのは、一応M公園がある方角ではある。

「佐伯はりりあとクラスメイトだったんだよね。仲はよかったの?」

「いや、まったく。そもそも、話をしたことすらほぼなくて。単なるクラスメイトって感じ」

 ここあとしては、手始めにジャブを放ったくらいの感覚なのだろう。しかし、僕はいきなり懐に踏み込まれたように感じて、少しどもってしまった。

「そっか。まあ、そうだよね。仲がよかったら、佐伯はもっとショックを受けていたはずだもんね。そっか、そっか……。でも、仲よくなくても教室での様子くらいは分かるよね。どうだった?」

「大人しかったよ。休み時間とかでも、誰かと雑談をする姿はあまり見かけたことなかったかな。ずっとスマホを触っていたね。それ以外の印象は特に、って感じ」

「存在感がなかったわけね。あんたの感想を聞いたかぎり、佐伯だけじゃなくて、クラスメイト全員の印象って感じかな。……うーん、なるほど」

 ここあは複雑な表情を見せている。

 僕がありのままを語ってくれていると信用してくれているのだろう。だから、いちいち腹を立てたりしない。

 だからこそ、僕も苦しい。

「いじめはあった?」

「なかったと思う。あったとすれば、一之瀬さんの印象はもっと残っていたんじゃないかな」

 問われなかったが、ネット上でいじめを受けている噂も聞いたことがない、と説明を追加しておく。

 ここあは考え込むような顔つきで相槌を打ち、僕が話し終えると小さくため息をついた。

「やっぱり原因はあくあくさいね。なんで学校を死に場所に選んだのかは謎だけど」

 横目で見つめてくるが、僕に分かるわけがない。謎の答えを知っているのは、被害者亡き今、おそらく加害者のあくあだけだろう。

「ちょっとあてが外れたかな。腐ってもクラスメイトじゃん? 新年度が始まって二か月になるじゃん? もうちょっと情報を訊き出せると思ったんだけどな」

 力になれなくてごめん、と言いかけて、謝られるのが嫌いだったと思い出す。言葉を呑み込む。

 そして、気がつく。

「さっきからなんか、質問ばかりされてるね。普通に答えちゃってたけど」

「どうしたの、急に。訊かれたらやばい事実でも隠してるの?」

「そ、そうじゃなくて」

 少しどもってしまった。わざとらしく空咳をしてから、

「ここあが一之瀬さんのことを僕に話すために、僕たちはあのアパートを出たんでしょ。それなのに、別の目的のために口を動かしている」

「別によくない? ちょっとした脱線くらい。あたしにとっては必要な情報ではあるわけだし」

「そうかもしれないけど……」

「期待に反して、今のところろくな答えが返ってきていないけどね。収穫が全然ない」

「……ごめん」

「謝らないでよ。残念だとは思うけど、別に恨んではいないから」

 やっぱり謝罪には敏感なんだな、と思いながら、「寛大だね」と返しておく。

「収穫が全然ない」の一言が表しているように、ここあにとって必ずしも思いどおりの展開ではないのだろう。

 ただ、「自殺した姉妹の生前について語る」という目的で外出したにしては、今のところ雰囲気は暗くなりすぎていない。

 なおかつ、互いに無理に明るく振る舞おうとしていない。

「おっ、あの店は!」

 ここあが唐突に声を上げた。

 振り向くと、彼女は前方を指差した。

 桜色の屋根のこぢんまりした店が建っていて、「ソフトクリーム 300円」の文言がつづられた幟がそよ風に揺れている。

「ご覧のとおり、ソフトクリーム屋さん。三回くらい食べたことがあるけど、美味しかったよ。コンビニで売っているやつよりも断然グレード高くて」

「食べたいの?」

「食べたい! 三回ともりりあといっしょに食べたんだよねー」

 ここあは笑顔だ。明るくて、屈託がなくて、こっちまでうきうきしてくる。

「いいね。食べよう」

「乗り気じゃん。食いしん坊だ」

「甘いものは別腹だから。でも、ここあは大丈夫なの? 甘いものは別腹理論が適用されないくらいたくさん食べてたけど」

「りりあとの思い出がある分、別腹の容量もでかくなってんの」

 満腹にもかかわらず、りりあと食べた思い出の一品だから無理やり詰め込もうとしている、わけではなさそうだ。いろいろあって、体がエネルギーを欲しているのだろう。カロリーとか、大切な人との思い出を噛みしめることとか、愉快な会話とかを。

 僕たちは自動ドアを潜る。イートインスペースも用意された、広くないが明るい店内。ボードに表示されたメニューを眺めていると、

「バニラ味、二つお願いします。テイクアウトで」

 ここあは僕の顔を一瞥さえせず、さっさと注文を済ませた。

「もしかして、りりあといっしょに食べていたのって、バニラ味?」

「そう。初めての店で、食べたいものが特に決まってないときって、看板メニューを選びがちでしょ。この店だとバニラ味。そしたらとびきり美味しくて、以来食べるのはバニラばかり。他にもいちごとかチョコとか、専門店だけあって味のバリエーションは豊富なんだけどね」

 すぐに注文の品が完成した。支払いはワリカンで済ませている。商品を手に店の外へ。

「んまい! やっぱり美味しすぎるよ、ここのバニラ味のソフトクリーム!」

 ここあはソフトクリームを舐めるのではなくぱくつきながら味をべた褒めする。自動ドアを潜る前からすでに口をつけるという、行儀の悪い真似をしていたが、目くじらを立てるのは野暮だろう。

「どう? 美味しいでしょ」

「うん、とても。バニラの味が濃厚で、甘さが程よくて。ここあがはまるのも分かる気がする」

 僕たちはソフトクリームを賞味しつつ、M公園の方角へ足を進める。

「ここ、二年くらい前までペットショップがあって」

 ここあは唇についたクリームを舐めとり、顎をしゃくった。チェーンの百円ショップが建っていて、広い駐車場の七・八割ほど車が停まっている。

「りりあといっしょにこのへんまで遊びに来たときは、いつも寄ってた。お互い特別に動物好きってわけじゃないんだけどね。家で飼いたいっていう話も出た記憶ないし。ガラスケースに入っている動物を十分くらい眺めて、帰る。ただそれだけなんだけど、定番のお出かけスポットだったんだよね。懐かしいなぁ」

「そうだったんだ。僕はペットショップがあること自体知らなかったよ」

「需要がなかったみたいで、けっこう早くつぶれちゃったからね。でも、あたしとりりあにはあった。一回、ソフトクリームを食べながら店に入ろうとして、りりあに制止されたことあるよ。『ソフトクリームなんて食べながら動物に会いに行ったら、羨ましがられて吠えられちゃうよ』って」

「その止めかた、なんかかわいいね。店内は飲食禁止だからだめ、じゃなくて」

「でしょ? かわいいでしょ。どこそこに遊びに行こうとか、なにかしようとか、提案して行動するのはあたしなんだけど、保護者みたいなムーブをするのはりりあなんだよね。役割分担ができあがっちゃってた。しっかり者なんだか、頼りないんだか、よく分かんなかったな、あの子は。でも、むちゃくちゃ馬が合うんだよね。食べ物とか音楽の好みも似ていたし。ぴったりではないんだけど、共通点が多いの。凸凹コンビみたいな」

「僕はきょうだいがいないから羨ましいなって思うよ。そういう友だちみたいな仲睦まじいきょうだいは」

「羨ましいでしょー。佐伯も欲しかったら、お父さんお母さんに頼むことね」

「いや、それはさすがに厳しいでしょ。十六歳差だと、きょうだいっていうよりも親子みたいになりそう」

 きょうだいがいないから羨ましい。

 友だちみたいな仲睦まじいきょうだい。

 危うい発言だったな、と思う。ここあは双子の姉を失ったし、一つ上の姉と現在進行形で対立しているというのに。

 ただ、受け答えをする彼女はいたって平然としているし、明るい。

 感情を押し殺している、というわけもなさそうだ。

 現実逃避が上手くなっている――。

 そんな皮肉っぽい考えが過ぎり、切ない気持ちが込み上げた。しかしそれに少し遅れて、そんな捻くれた見方をした自分を嫌悪する気持ちが追いかけてきた。

 僕は心の中で自分自身に反論する。

 現実逃避をするくらい、許されてもいいじゃないか。急に姉妹に死なれたのにそうしないなんて、よほど心が強い人間か、心が壊れている人間だけだ。

 思い出の味を賞味して、楽しい思い出話をして、笑顔になる。

 それでいい。今のところは、それで。

 ソフトクリームの功績は偉大だ。食べ始めたのが引き金になって、ここあの口から盛んにりりあの思い出が語られるようになった。

「りりあは信号無視を絶対にしない子だった。車が全然通っていなかったとしても、危ないよ、青に変わるまで待とうって。そういう馬鹿真面目な態度にいらいらするときもあったけど、赤信号を平然と無視して横断歩道を自転車で渡るじじいとかばばあとかを見るたびに、うちのりりあは偉いなって誇らしく思ったよ」

 赤信号に引っかかったさいに、ふと思い出したようにそう話したり。

「うちはどうも音痴の家系らしくてね。カラオケは友だち付き合いのために嫌々参加することもある、程度の関わりなんだけど、一回だけりりあと二人で行ったことがあって。下手だったよ。むちゃくちゃ下手。でもりりあ、恥ずかしそうに小声で、もじもじしながら歌うのがかわいくて。マイクの力を借りているのに小声なんだよ? あり得なくない? かわいすぎでしょ」

 カラオケ店の前を通ったときに、とっておきの話がある、と言わんばかりの口ぶりでそんなエピソードを語ったり。

「あたし、雨が降るか微妙なときとか、小雨の予報のときとかは傘は持ち歩かない主義なのね。面倒くさいから。でもりりあは、『濡れちゃうと困るから、どっちか分からないときは持っていくようにしないと』って口酸っぱく言うの。持っていくだけでも面倒くさいよ、濡れたら乾かせばいいじゃんって返しても、しつこく注意してきて。あの子、ああ見えて強情なところがあるから。

 で、本当に雨が降り出したときは、必ず教室まで迎えに来てくれて。走って帰ろうとしたら追いかけてきたこともあったよ。水たまりの水を跳ねさせながら全力ダッシュで。転ばせてびしょ濡れにするのも心苦しいから、傘の下に入ったけどね。あたしはどうせ自分では差さないから、もう一本持ってくるんじゃなくて、相合傘をしてくれるの。

 雨の日は楽しかった記憶があるなー。バカップルみたいにはしゃいじゃうんだよね。ブロック塀を這っているカタツムリを捕まえて、りりあに押しつけるとかして。あの子、虫とかそういう系の生き物は大の苦手だから」

 雨の日の思い出話を語ったとき、僕たちの上空は見事な快晴だった。

 では、なにがきっかけになったのかと周囲を見回して、見つけた正解に僕は微笑を禁じ得なかった。近くに建つ民家の玄関先の壁に、子ども用の黄色い傘が立てかけられていたのだ。

 一つ過去を思い出して語るうちに関連する過去を思い出し、それについて語っているとまた別の過去を、というふうに話は繋がっていく。

 おかげで、一之瀬りりあに対する解像度が上がった。

 大人しくて控えめ、という印象を僕は持っていたが、ここあも同じ認識らしい。

 一方で、ここあの行きすぎた行為に苦言を呈する、制止する、フォローするといった思いやりのある振る舞いも、時と場合によって見せていた。

 これは、学校にいるときには目にしたことがなかった姿だ。

 一之瀬りりあの彼女らしいところ、彼女らしくないところ、さまざまな一面を知ったことで、脳内に保存していた彼女にまつわる映像を、今までとは違った気持ちで眺められるようになった。

 たとえば、休み時間、誰とも話さずに自席でスマホをいじっているシーン。

 今までは、空き時間にちょっとした雑談をする相手すらいないから、孤独感を誤魔化すためにスマホに向き合っているのだろうと僕は解釈していた。

 ここあの話を聞いたあとでは、捉えかたががらりと変わった。

 読書とか好きそうだし、電子書籍で恋愛小説でも読んでいたのかも。あるいは、撮りだめしてあるノラネコの画像でも眺めていたとか。クラスに親しい友だちがいなかったのは事実としても、それを恥じるんじゃなくて、一人でもできることを自然体で楽しみ、彼女なりに充実した休み時間を過ごしていたんじゃないかな。

 モノクロだった映像が、色彩鮮やかなカラー映像に変わった。

 生前の一之瀬りりあは、もう少し僕と深い関わりを持つ子だった気がした。

 今は疎遠になってしまったが、かつて親しくしていた友だちの思い出話を、同じく親しかった友だちといっしょに語っている、くらいの感覚だろうか。

 しゃべっているのはもっぱらここあだけど、無理にしゃべりたいとは思わない。

 愛していた――いや、今も愛している人について楽しく語っているここあを、横から見ている、聞いている、それだけでお釣りがくる。

 ここあは本当にりりあのことが好きなんだなぁ。

 微笑ましい気持ちで胸がいっぱいだった。

 でも、ポジティブな気分一色ではない。

 一之瀬りりあの命が失われてしまったのは、もしかすると僕にも責任の一端があるかもしれない――。

 そんな思いが、どうしても消えてくれないのだ。

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