一之瀬家の人々
「あたしの家族は壊れているって言ったけど、本当の意味で壊れているのは一人なんじゃないかって思う。それはあたしのことじゃないし、りりあも該当しない。あの子は、五人の中で唯一の常識人だから。両親も、普通に見えて歪んだところもかなりある人たちだけど、狂っているとまでは言えないんじゃないかな」
「残りの一人は……」
「とっくにお察しのとおり、一番上の姉だよ。歪みに歪みまくって一周回ってもとに戻ったかと思ったらまた歪んだ、狂いに狂った女、それがあくあなの」
「あくあっていうのは、プリクラの一番右に写っていたけど、破られちゃった?」
「正解。破られたっていうか、あたしが破ったの。姉妹が三人揃って写っているものはあの一枚しかないんだけど、腸が煮えくり返るようなことがあった日に、怒りに任せて。……思い出したくないから、この場でわざわざ詳しく話したりはしないけどね」
吐き出した言葉が募れば募るほど、ここあの顔に滲む憎しみの色が濃くなっていく。
「あくあは事あるごとに家族に暴力を振るう女で、学校では問題児、家では暴君。高校を退学させられてからは暴力的な言動がエスカレートして。好き好んで標的にしたのは、気が弱いりりあ。被害に遭ったのは、家族全員。殴られたら絶対にやり返すあたしに対しても平然と殴ってきたし、親にも手を上げた。体格が上の父親にも殴りかかっていたからね。感情的になってつい手が出るとかじゃなくて、髪の毛を掴んで顔面に拳を叩き込むとかしてた。とにかく度を越して凶暴なの、あくあという女は」
言葉が途切れる。あくあが働いてきた蛮行の数々を思い返しているような目つきだ。
静かな衝撃、とでも呼ぶべきものの直撃を僕は食らった。
事実を告げられた瞬間に脳裏に甦ったのは、りりあにまつわるあの映像。
まさかあれは、つまり、そういうことだったのか……?
動揺する心を誤魔化し、ここあが受けたショックを和らげるために、なんでもいいから言葉をかけたかった。しかし、あいにく、適当な言葉は浮かばない。
「だからって両親に同情できないのは、あの人たち、りりあがなにをされてもなにも行動を起こさないんだよね。あくあを厳しく叱りつけるとか、然るべき機関に相談するとか、いっしょにどこかに逃げて避難するとか、手段がないわけじゃないのに。
父親はあいつにどんなに殴られても、黙って部屋から出て行くだけ。
母親に至っては、殴られたら条件反射で謝る。なにも悪いことはしていないのに、だよ? 馬鹿じゃないのって思うし、そういう下手に出る対応があいつを増長させている気がして、腹立たしかった。なに余計な真似してんのお母さんって」
「……そっか。ここあは僕に『すぐに謝るのはやめろ』って言ったけど、そういう経験があったからだったんだね」
「母親と佐伯を重ねたとかではないけど、その経験の影響があったのは、言われてみれば正しいのかなって思う。あたしはどちらかというと、目には目を歯には歯を、悪事を働いた人間は同情の余地があっても厳しく罰するべきだって考えるタイプだから。悪事と呼べるほどの行為じゃなくても、やむを得ずに犯してしまった過ちだとしてもね。
生まれついての性格というよりも、あくあっていう怪物と共生する中で確立された信念であり、処世術なんだろうね。
あたしはとにかくやられっぱなしは嫌だった。だって、相手から殴りたいだけ殴られて、文句の一つも言わずにすごすごと引き下がるなんて、情けないじゃん。不様じゃん。ましてや、悪いことをしてもいないのに頭を下げるなんて、最悪だよ。死んだほうがましって思っちゃう。だから、あくあになにか言われるたびに言い返したし、殴られるたびに殴り返した。絶対に、意地でも、壊れた女なんかに負けたくなかった」
「負けん気が強いんだね。ご両親とは違って」
「そうだね。それは生まれつき。でも、あたしがそういう対応をとった要因としては、危機感のほうが大きかった気がする。完膚なきまでにやられたことこそなかったけど、ずっと胸の片隅にあったの。いつかあくあに殺されるんじゃないかって。
……いや、違うな。どう言えばいいんだろう。殴られ続ける日常を送ることで、心がぼろぼろになって、それが遠回しの死因になる、みたいな」
僕は息を呑んだ。
繋がった、と思ったのだ。
僕の内心を察したらしく、ここあはいかめしい表情でうなずいた。
「その顔、気づいた? ――そう、りりあはあくあに殺されたの。直接的じゃなくて、間接的に」
「お姉さんからの日常的な暴力に耐えかねて、ということだよね」
「そういうこと。でも、なんで飛び降りたのが校舎の屋上だったのかは分からない。りりあがあたしに学校について話してくれることはもちろんあったけど、自殺を匂わせるような発言をした覚えはないんだよね。テストの点数、いろいろな行事について、教師のクセやクラスメイトの面白い発言……。どれもこれも当たり障りのない話題だった。
充実した高校生活ではなかったんだろうね。親しい友だちもいなかったみたいだし。学校は特に魅力的な場というわけではないけど、十六歳で就職するのはなにか違うし、せっかく親が学費を払ってくれるって言っているんだから、消去法で通っておこうかな、みたいな。だってそうでしょ? 学校が死ぬほど楽しいなら、そんな場所を死に場所に選ぶはずがない」
静かに憤るといった口ぶりでここあは断言した。
胸が痛い。呼吸が苦しい。
僕はりりあと同じ学校に通い、同じクラスに所属するという関係だ。
りりあが自ら命を絶った責任の一端は佐伯剣にもある――ここあから遠回しにそう言われた気がした。
「りりあの死については、現時点では分からないことも多い。でも、確実にあくあが絡んでいる。だったら、あくあから直接訊き出すしかない。問い質すしかない。それがあたしの目的」
「訊き出す……」
「なに、そのリアクション。もしかして、復讐してほしいとでも言うと思った?」
ここあは少し白けたような表情をこちらに向けた。
「ちらっと思ったかな」
「あたしはあくあと違って理性的な人間だから。右の頬を殴られて左の頬を差し出すようなお人好しではないけど、秒で殴り返したりはしない。でも、か弱い妹の無防備な右頬を殴り飛ばした動機は知りたい。それだけだから」
「あくまでも平和的な解決を目指していますよ、と」
「基本的にはね」
「安心した。でも、そもそもの疑問なんだけど、どうして僕に任せようと?」
「頼れる人間が佐伯くらいしかいないからだよ。両親は役立たずだし、頼りになりそうな友だちはいないし。佐伯は頼りない感じはするけど、嫌と言いつつやってくれそうな雰囲気はあるから」
「気が弱くて断りたくても断れない、みたいな」
「そうとも言う」
「僕みたいな人間に頼らざるを得ないということは、もう自力での解決は……」
「諦めてるよ。気持ちよく言い切っちゃうのも情けないけど、無理なものは無理だから。りりあが自殺したっていう連絡が来てから、あくあを問い詰めたんだけど、いつものように暴れて、でもその暴れかたが今日は尋常じゃなくて。事情を訊き出すことは叶わなかったけど、あくあが深く関与しているって確信した。だからこそ、なにがなんでも訊き出したいの」
「いきさつはよく分かったよ。でも、もう一つ質問なんだけど」
「なに?」
「ここあが挑戦したけど無理だったんだよね。外者の僕が『事情を訊きたいので、教えてくれませんか』って願い出たところで、どうにかなる相手なの?」
「無理でしょ。だって他人じゃん」
「なに馬鹿なこと言ってんの」と言わんばかりの、冷めた目つきでの即答だ。
「……だよね。普通に考えたらそうだよ。それなのに、どうして僕に?」
「だから、あんたしか頼れる人間がいないんだってば」
語気が強まった。眉の角度も上がっている。
沈黙が数秒間流れて、ここあはため息をついた。再びしゃべり出したときには表情に冷静さを取り戻している。
「現状ではあんたに頼るしかないの。他に頼れる人間がいないから。だから、引き受けてほしい。引き受けるべき。――引き受けてくれるよね?」
「いや、それはちょっと……」
「えっ、なんで? どう考えても承諾する流れでしょうが」
怒りを露わにした、という感じではないが、声がひと回り大きくなった。
「いや、だって、だってだよ? あくあは凶暴だ、あくあは恐ろしい、みたいなことを、ここあはさんざん語ったじゃないか。そんなふうに脅されたら、当たり前だけど怖いよ。積極的に会いたくないな、関わり合いになりたくないなって思う。臆病者じゃなくてもそう思っただろうね」
「それもそうか。……くそっ。もう少し言い回しを考えるべきだったな」
ここあはふてくされたような顔で押し黙った。
ありがちなことだが、要求を呑むのを気乗りがしなかったとしても、断られてしょげている姿を見るととたんに後ろめたくなる。
しかし、ここあは大人しく引き下がるような女ではなかった。
「第一ラウンドは作戦負けか。でもあたしは諦めないよ、佐伯」
「なにをするつもり? まさか、殴って無理やり従わせるとか……」
「しないよ。あくあじゃあるまいし、そんなことは絶対にしない。そうじゃなくて、りりあだよ、りりあ」
「え?」
「佐伯にりりあの魅力を知ってもらって、りりあのために一肌脱ぎたいって思わせるの」
ここあはローテーブルの天板を両手で押して立ち上がる。
「じゃあ佐伯、出ようか。移動しよう、移動」
「なんで? ていうか、もう? 来たばかりなのに」
「話題にふさわしい環境ってものがあるでしょ。明るくておしゃれなカフェでは親睦を深める。おんぼろ秘密基地ではシリアスな話。じゃあ、かわいい双子のお姉ちゃんの魅力を知ってもらいたいときは? 外でしょ。薄暗い秘密基地じゃなくて、まだ明るい屋外。ニュアンス、分かるよね」
「まあ、なんとなくは」
「じゃあ、行こう。歩きながらりりあのこと、いろいろ語ってあげる」
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