第7話 里帰り
龍の背に一番近い、山あいの寂しい駅に降り立つと、一同は村長の家に向かった。山に登るにはまず、村長の家に行き、食料を買い受け、案内を雇うのが普通だ。その家まで丸一日、メイの住んでいた山小屋までさらに一日かかる。『背の鞍』へ登るには、メイの足で半日。慣れない者が日のあるうちに往復して、山小屋へ戻るのは難しそうだった。
計画を練りながら村長の家に行くと、そこには歴史民俗学者のウェイが待っていた。驚く一同に学者は笑って言った。
「なに、何度かここには研究のために訪れている。ルオツンの校長からメイがいないと聞いて、きっとここに来るのではないかと待っていたんですよ。この歳になると、山道は厳しいね。」
それは若い者も同じだった。履き慣れない登山靴で足は痛み、重い荷物で体の節々が痛んだ。特にクレアは疲れ切っていた。メイ一人、身軽に荷物を上げ下ろししていた。パオセンの歪んだ計画など何も知らない学者は、皆の中心に座り込んで地図を広げた。『背の鞍』の祠を最高地点に南の斜面に村が広がる。西には太古からのカルデラ湖が水を湛え、その向こうに森林限界を超えない山々が連なり、斎河の支流が細く曲がりくねっていく。学者はその独特な地形と、月の龍の伝説を重ね合わせて、説明を始めた。『背の鞍』を調査するならば、全員がある程度の基礎知識を持つべきだと考えている。この面々に疑問を感じないところが、浮世離れしていた。
メイは皆にわからぬよう、村長に呼ばれた。
「かつら。どういうつもりなんだ。一度は村を出たものを、急に戻って何しに来た。なんでよそ者を引き連れてくるんだ。」
「ごめんなさい…… なんとかしますから。村のみなさんに迷惑はかけません。
ほんとうです。」
村長は怒気も顕わだったが、その口調には畏れも混じっている。かつらの制御不能の不思議な力で、『背の鞍』に天変地異をひき起こされたら、村は全滅、月の龍は気まぐれな神なのだ。
「とにかく適当に調査して帰って貰え。」
しっかり受け取った礼金は無駄遣いしない。必要最低限の保存食と水を分けて、一晩泊めたら出ていくだろう。と村長は算段した。
その夜、村長の家の庭、といってもシラビソとダケカンバが突き立つ林だが、二人の少女は、黒い木立の隙間から眩しいほどに光る星々を眺めた。
「綺麗ね。メイはいつもこんな空を見ていたの。ああ、それにしても足が痛いわ…ふふ。クレクレアは疲れてはいたが心の方は元気なようだ。
「かつら、桂って言うのね、本当の名前。ごめんなさい。立ち聞きしてしまったわ。以前兄と会っていたところを見られたからおあいこね。ほんとの名前を西都風に勝手に変えちゃうなんて、やっぱりどこか変だわ。」
メイが黙っているのはいつものことなので、クレアは話を進めた。
「何故、かばってくれたの?兄は私に筆記の一部を託してよこしたの。とても大切な文章だから気を付けて保存してくれって。大切っていうのは、龍の秘密が書いてあるからなのか、文学的に素晴らしいのか、私にもわからなかったの。文章をそのまま読むと、チューメイと月の龍の恋物語ね。とても美しい悲しい物語だわ。」
黒々とした林の上に、濃紺の空が明るく透きとおっていた。かつらは重い口を開いた。
「だって、あのままじゃ、クレアもお家も傷つけられると思ったの。わざと語らなかった部分もあるのはほんとよ。シュイピェンさんは、初めて、私の語りを褒めてくれた人だったから…とても嬉しくて。
生まれて初めて人に認められた気がしたの。とても美しい物語だと。これほど美しい世界に入って行けたらいいのにな、って、とても悲しそうに仰った。あの…… きっと、クレアと二人、白い牡鹿と牝鹿になって、月の龍と地の龍の住まう狭間の地に、永遠に立ちつくしていたいと願われたのだと思うわ。凛とした大気の中で、静寂に包まれて。」
空を見上げるかつらの眼には、星よりももっと遙かなものが見えているんだろうか、とクレアは一瞬不安になった。
「パオセンをなんとかしなくちゃいけないわ。」
兄の死も疑いの目で見ているクレアに頷くかつらは、少し外れた返事をした。
「パオセンさんの孤独をなんとか癒すことは出来ないかしら……」
次の日、一同はかつらが住んでいた山小屋に向かった。この季節には珍しいくらいの晴天で、風も穏やかだった。夏といっても北の斜面を雪渓が覆い、瓦礫と埃で黒ずみ、所々雪庇となってダケカンバと岩の間に谷を作っている。靴底に鋲を付けた登山用の長靴を履き雪の上を歩けば、ガレ地の不安定な足場は避けられるが、いつ雪が崩れて滑落し、雪庇(せっぴ)に落ち込むかわからない。
かつらは、立ち枯れの木々とダケカンバが風雪に倒れながらも保ちこたえている、比較的足場のしっかりした場所を選び先頭を登った。クレアにはかなりきつい行程であるが、荷物は男達が運び、危ないところではお互いに手を差し伸べる。太陽が高くなってくると、朝は寒さに震えたものが、あっという間に、強い日差しに汗だくになった。夜は真冬、昼は真夏の気候と言ってよい。ここでは夏がすでに足早に去り、短い秋の気配、もっとも美しい紅葉と、一年で一番雪の少ない季節を迎えようとしていた。
時折、歴史民族学者は植物学者に変身したのか、
「そこ!滅多にない高山植物の種が付いてる。その草を踏むな!」
と、無造作に踏み荒らす男達を叱りつけている。男達にしてみればそんなことを言っている余裕はないだろう。足下を見おろせば、ものすごい高度感が襲う。森林限界を超えようとしていた。見上げれば険しい岩山ばかりの間にハイマツが唯一の緑、その上は紺碧の空。都会では見られない黒ずんだ青だった。
「両足をなるべく安定した岩に置いて、両手で体の位置を確保して、腕だけに頼らないで登ってください。」
ときどき、かつらが指示する。斜面の危険な場所は避けて迂回するので、山小屋に到着したときには、全員言葉もでないほど疲れていた。
小屋の中は、かつらがシュイピェンと一緒に出たときのまま、冬越し出来るだけの干し肉や砂糖漬け、山菜の瓶詰めも並んでいた。この山道で最後の水場となる、湧き水もまだ流れている。秋の、雪のない時期には枯れてしまうことも多い。全ては、西側のカルデラ湖が凍り付き、雪が積もり、夏の初めに豪快に溶け出し濁流となって流れ出す、それが命の水なのだった。
「これで明日は『背の鞍』ですね。いよいよだな。天気が保てばいいが。」
と学者は結構山登りになれているのか、元気に天気の心配をした。
「南側から頂上に登った途端に、突風に煽られますから気を付けて。必ず足場を確保してください。」
と説明するかつらは普段と変わりはない。クレアに至っては、体中痛んで、その美しい肌にいくつも傷を付けていた。すぐにかつらが薬草で手当てをする。
「手慣れたものだな。」とパオセンは感心した。
「ごめんなさい。私はまるで足手まといだったわ。」と頭を下げるクレアに、「初めての登山でここまでこられる人は少ないわ。頭は痛くない?痛くなったらすぐ下山しましょう。高山病は、降りなければ治らないの。」とかつらは答えた。もちろん他の人々にも伝えるためにである。「ゆっくり歩いたから大丈夫だったと思うけど。」と付け足した彼女に、男達は舌を巻いた。必死で登ってきた男のプライドが傷ついたが、黙っていた。余計な文句を言って恥の上塗りは避けたい。
小屋の中でも夜は気温が低い。男達は用意してきた寝袋で、二人の少女は、以前にかつらが使っていた寝台と毛皮にくるまり、抱き合って休んだ。お互いの体温が伝わってくると、冷え切った手足も少しずつ血が通い始める。(人の体って温かいんだわ…)と思ったのを最後に眠りについた。
翌朝は曇っていた。晴れる日の朝霧に覆われた気配ではなく、明らかにどんよりとした曇が高くなびいていた。案外こんな日はなんとか一日大丈夫なものだという地元少女の意見に従って、山小屋を出た。かつらは、以前にここを離れるときはシュイピェンがついていたのだわ、と思うと切なさが身に染みた。
何万年か昔は火山であったことを思わせる黒色の火成岩が突き出ている。削り取られたように切り立った岸壁の隙間をゆっくりと登る。焦れば酸素不足ですぐに体調を崩す。クレアを気遣った歩調は、男達にもちょうど良いものだった。
穏やかだった空気が、岩を登り切った瞬間に暴れている。風の音で話し声も聞き取れないほどだ。誰もが疲れて無言である。かつらは懐かしい『背の鞍』へ帰ってきた。この乾いた風、流されてゆく雲…下から吹き上げられてくる礫、眼に痛い砂。なにもかもが同じだった。だだ、険しい山稜の向こうにある、洗練された街の空気も、今のかつらは知っていることだけが違う。
目的地は意外なほどに粗末な祠だった。自然に造形された岩穴に、禁域を示す縄と白い紙が貼り付けてあるだけだ。代々の乙女達は山の途中で滝に打たれて禊ぎをし、祠の前で祈ってきた。登山者には無縁の世界である。
立っているのがやっとの人々のなかでかつらの首にかけられた黒の勾玉がぼんやりと光を放った。祠に近づくほど引き合うように勾玉は浮いた。
「ああ、やっと手に入る。ずっと探していたんだ。」とパオセンは一人で呟いた。
「西都に持ち去られた『月の龍』の頭を葬ったと言われる遺跡、そこに祀られている宝剣、斎河の畔、チューメイの墓にある鏡、そして『背の鞍』の龍玉…。パオセンさんはそれが目的でしたか。」
学者のウェイはさすがに詳しかった。だが、それらは、そっとしておくのが一番良いのだ。何かに利用したり、金銭目的で売り買いしたり、そういったことは文化遺産を傷つけるだけでなく、人の心のよりどころも傷つける。研究のためであってもしてはならないこともあるのだ、とウェイは思った。そういう考えを捨てないから、いつまで経っても儲からない「孤高の学者」なのだが。
突風をもろともせず、パオセンはかつらの手を強く引っ張ると祠へ走った。
「禁域を侵すのは止めてください。月の龍が暴れるっ。」かつらの叫びなど一笑に付した。
「迷信だろ。だが、きみの勾玉と龍玉の力は本物だ。来いっ。」
「いやです!」
苛ついた表情で、パオセンは胸元の登山用上着の裏から、拳銃を取り出してクレアに向けた。
「発砲しては駄目。衝撃で祠に傷が付くと、月の龍が暴れ出すわ!」
長く風雪に耐えてきた祠も、澱んだ人間の気配には敏感である。クレアを助けたい一心で、パオセンの腕にしがみつく。はずみで拳銃は発砲され、乾いた音を立てて祠の縁に弾が当たった。
二人はよろめいて、抱き合うように転び、祠の西側の崖からずり落ちる。パオセンが先に宙づりになった。かつらの両腕が必死になってくい止めていたのだ。
パオセンは「た、助けてくれ…。」と声が出かかったが、実際に言葉にしたのは、「腕を放せ。きみまで落ちるぞ。」だった。
「馬鹿を言わないで!絶対に引き上げるわ。うっ。」
崖下から風は吹き上げてくる。ウェイ、クレアも一瞬は動けなかったが、すぐに助けようと近づこうとする。足場は悪く、他の男達も思うように動けなかった。(落ちる…!)かつらは絶望的な気持ちで、それでも手を離さない。パオセンは、「きみといると、いつも面白かった。ほんとうだ。」とまるで最後の言葉を伝えようとしているようだ。(ああ、月の龍、助けて!)かつらは、シュイピェンにも伝えなかった、最後の詞を叫んだ。
「偉大なる月の神、大地を引き寄せよ。龍の末裔たる純潔の我に光を。その神通力をあたえてたもれ。」
祠からなにかうねりが伝わってくるのが、そこにいた全員に感じられた。風に流される曇から、何か、細かなものが降ってくる。よく見るとそれは点滅するように小さく光っていた。ウェイが最初に気がついた。「鱗?」
無数の鱗はかつらとパオセンに引き寄せられるように降り積もった。やがて二人を覆い尽くすと白く輝き、かろうじて崖に引っかかっていた体がゆっくりと浮いてきた。
霧のような女性がかつらを包み込んで鎮めた……
「あのときと同じだわ。」とクレアは言ったが、少し違う。水の蛇ではない、月の龍の鱗、かつらがメイとして夜会で暗唱した、牡鹿と牝鹿に降る鱗…。二人を祠の前に降ろすと光は徐々に消えて砂となり、風に吹かれていった。
その場の全員が呆然とするなか、最初に我に返ったのはクレアだった。
「かつら…かつら!」名前を呼びながら、胸の辺りに耳を付けて呼吸を確かめた。生きている。先に目を覚ましたのはパオセンで、肩を痛め、肋骨にひびでも入ったか、動こうとしてうめき声を上げそのまま仰向けになり、空を見た。拳銃は祠の脇に落ちていたのを、ウェイが拾い上げて胸のポケットにしまった。
「登山には無用の武器です。雪崩や落石を引き起こす原因にもなりかねない。」
と言いつつ、パオセンの脈をとった。クレアはここまで登ってきた過程を考えて不安になる。
「下山…できるでしょうか?日のあるうちに山小屋まで戻らないと危険なんですね?かつらは気がつかないし、パオセンは怪我をしているわ。くっついてきた男の人達で運べるかしら。」
ところがウェイからは意外な返事が来た。
「大丈夫でしょう。もうじき、救助隊がやってくるはずですから。」
クレアも男達も、パオセンも、声を揃えて、「はぁ~?」と声をあげた。
「私たちに少し遅れて、ここまで登ってくる手はずになっていたんです。最初から、ですね。」
ウェイは、相変わらず浮世離れした話し方で、実に現実的な話をした。
「学者というのはですねえ、どこの学派にも所属せず、誰からも援助無しでは、食っていけないものなんです!出来れば、誰にも縛られず自由に好きな研究をしたものですが、それでは生活できませんので、当然どこかに雇って貰います。私を雇っているのは西都の西都学究諮問委員会。パオセンさんが所属していらっしゃる反都取り締まり組織とは縁もゆかりもない分野の、予算の少ない機関なんですけれども…お金の出所は同じ都でありながら、どうも仲の悪い組織同士で、お互いに寄らず触らず、だったんですが、今回『背の民』の研究と月の龍の伝説と、反都活動とその取り締まりが重なってしまいまして…。メイさん、いえかつらさんがいなくなった時点で、龍の背に先回りして全員待機していました。」
そこまで話を聞いたパオセンは自嘲した。彼の行動は全部筒抜けだったわけだ。救助され手当てされたあとには逮捕が待っているだろう。
組織に報告せず行った数々を追求されるに違いない。全身打撲と、多分骨折で、息が荒かった。口惜しい気持ちも、泣き叫びたい気持ちも当然あったが、だが彼は、まだ目覚めないかつらにちらりと目をやった。本当に、彼女とやり合っていたときが一番楽しかった気がした。探りを入れても嫌味を言っても、ご機嫌をとろうとしても、靡かない、頑なで、それでいて世間で生きていけそうもないくらいの素直さ。シュイピェンも彼女のそういうところに惹かれたに違いない。性別を感じさせない、心の根本にある人間性、そのようなものをかつらは見せてくれる。
「あの鱗は、月の龍のものだったのかしら。」とクレアがぽつりと言った。学者の顔に戻ったウェイは、いろいろと理屈を付けた。文明や理論で割りきれないもののために、誰かが理屈をつけるしかないではないか。あとはまた、何年、何十年と経つにつれて、新しい語り部の新しい詞が生まれるだけだ。
「多分、月の龍は、西都から一人嫁いできたチューメイの勇気や心根の美しさを愛して止まなかったのだと思いますよ。殺されて、八つに切り裂かれて葬られてもなお生き続けていたのは、一人の女への恋情で、かつらさんには巫女としての素質とチューメイの血と、なによりも人の気持ちを大切にしようとする強い意志が、チューメイに似て、月の龍の力を引き寄せていたのではないかと…。いや、学者らしくない分析で申し訳ない。」
浮き世離れの学者はやたらと照れて頭を掻いた。もうすぐ救助隊も登って来るだろう。逆巻く風もいつか止んで、曇の切れ間に青空が見えてきた。光射す尾根の辺りが色鮮やかに模様を作っている。クレアは、かつらが山を求める理由が少しだけわかった気がした。
「ふふ、でも私はやっぱり街のなかで生きるように、体の構造が出来上がっているみたい。よし、この体験を生かしてまた小説を書くわよ!」
けが人は助けられ、自力下山できそうな人々は、危ない足もとに苦労しながら岩をおりた。山小屋にはかつらとクレアとウェイが残り、パオセンは救助隊に連れられていき、同行の男達も確保され、シラビソの斜面を下りていった。やがてかつらが目を覚まし、鱗が降ってきたあとの話は、クレアが説明した。黙って聞いていたかつらは、その時のことをうっすら覚えていた。
「鱗が光って、その一枚一枚がチューメイの名前を呼んでいるような感じがしたわ。パオセンさんもチューメイの家系だと話していたし、二人の子孫が揃ったので助けてくれたのかもしれないわ。あとは、心が自分の体から離れて、少し高いところから倒れている自分と、パオセンさんの怪我と、ウェイ先生の話を聞いていた気がするの。クレアが小説を書くって張り切っていたところも。」
その話をして二人は爆笑した。笑いが収まった頃、ウェイは、クレアとかつらにそれぞれ手紙を渡した。手紙の差出人はシュイピェンだった。亡くなる前に、ルオツン女子寄宿学校宛てに出したものらしい。
内容はどちらも似ていた。自儘な政治活動に二人を巻き込んだことを詫び、かつらには、口伝のすばらしさに魅せられたことを、妹のクレアには、『背の鞍』の厳しい自然に感動したことをしたためていた。
『クレア、僕のバラの花。岩山の頂上では植物は生きられないんだ。それでも見たこともない高山植物が雪の間から芽を出す。とても強いんだ。僕も君のためにそうありたいよ。』
そして、かつらには、
『アン・メイなんて勝手に付けて済まなかった。君はかつら、桂だね。桂花は西都では秋になると柿色の小さな花を付ける樹木だ。遠くまでよく香る。ときどきどこにあるんだろう、と樹を捜したものだ。どこにあっても、かつら、君は君らしくあってくれ。一緒に来てくれてありがとう。』と。
山小屋の窓は風で軋み、薪のはぜる音がやけに大きく響いていた。 その名を聞いた瞬間、外の冷たい空気の中に、ふっと甘い香りが混じった気がした。
「桂花は西都では秋になると柿色の小さな花を付ける樹木だよ。遠くまでよく香る。ときどきどこにあるんだろう、と樹を捜したものだ」 彼の声は薪の火よりも温かく、私の胸の奥にしみ込んでいった。
二人の少女と、学者は肩を寄せ合って泣いたり笑ったりした。深夜からすっかり晴れて、星が美しかった。寒さを凌ぐために薪を燃やし、砂糖漬けや干し肉を分けあって食べた。
「かつら、これからどうする?」とクレアは訊いたが、答えはもう知っている。
「もちろん、学校に帰るわ。まだまだ、知らないことがたくさんあって、街の向こうにもまた、別の世界があるんだわ。わだつみの一族、月の龍は長い旅の末、この地にやってきたんだもの。世界の果てを知るまで勉強したいわ。」
ウェイは楽しそうに笑った。この子達がいるから、私もまだ頑張れる。ますます研究に没頭したいものよ…おっとその前に、もっと大切な、「愛しのシェン・ユンウェイ校長」に求婚しなくては。あの知的な美人が他の男にとられる前に。そう考えて学者は一人で赤面した。
クレアは『背の民 地の龍』の続編が書けるだろう。そして、それがまた評判を呼び、世界中に辺境と呼ばれる珍しい人々の、サンプルなど必要なくなる。その前に、とクレアは思った。「どうやってリンを慰めようかしら。かつらの『癒しの詞』も効かないような気がするわ。」
おわり
地の龍・天の龍 tokky @tokigawa
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