第X章:地球編

第X話:蒼海―Nier―

 それは彼にとっては酷く昔の事――――波が静かに音を立てる夜に彼はある男の元へ駆けつけていた。近くに寄ったから、だけではなく今のうちに会っておかないと、という理由が出来てしまったからだ。


「お久しぶりです」

「あぁ。確か八年ぶりか」

「そうですね。それぐらいになりますね」


 酷くやつれた男はそう言って少年のように微笑む。それは少年だった頃を思い出すが今のその笑みは痛々しいものであった。病床に伏した彼は懐かしき恩人の再来に喜びを感じているようである。


「今は何を?」

「まだ世界と戦っている。それが俺がツバキに託された使命だからな」

「そうでしたか……」


 柔和な笑みを浮かべて訪れた彼の今を聞き出す元少年。訪れた彼はその容姿などほとんど変わっておらず、まるで世界に取り残されたかのような面立ちをしていた。やつれた男はそれに不思議など覚えていない。


「お前は……どうなんだ?」

「そうですね……後一年、ですかね?」

「……そうか」


 弱々しい笑みを浮かべる彼に訪れた男は苦虫を齧ったような表情を浮かべる。また一人、自分を知る人物が消えてしまうという感覚に襲われているのだ。いつまで経っても慣れない、その酷く心を喰い破るその感覚を。


「落胆しないで下さいよ。僕はあなたに感謝しているのですから」

「感謝?」

「えぇ。僕を助けてくれて、そして僕を導いてくれたあなたに。だからこそ、僕はここまで生きてこられたのです」


 やつれた男にとって訪れた男の出会いがあったからこそ、それが全ての始まりであったのだから感謝するのは当たり前であった。これからも失い続ける彼に、せめてそれだけは伝えたかった。


「僕は幸せですよ。子供にも恵まれた。妻にも恵まれた。恩人にも恵まれた……生きる事に恵まれた」

「それはお前が掴み取った物だ」

「いえ、あなたがその手段を分け与えてくれたのです」


 そうなのか、と訪れた男は呟く。無自覚であったようで、やつれた男は、変わりませんね、と笑った。

 やつれた男と訪れた男はしばしの談笑を行い、そしていつしか訪れたような別れの時が近づく。


「僕は、長くはありません。だからこそ、今のうちに、生きているうちにあなたに伝えたかった」

「何を?」

「ありがとう。あなたのおかげで、僕は生きる事ができた。あなたのおかげで、僕は自分を知る事ができた。あなたのおかげで……生きる事を駆け抜けられた」


 愛機であったある機体の名前を呟く。今はもう動かす事も叶わない、そんな自分自身と言っても過言ではない愛機を。自分が付けた、あの名前と同じ意味を。

 男は立ち去る。世界は彼を待ってくれはしない。だから、この小さな時間はすぐさまに計画に押しつぶされるだろう。だからこそ、この今生の別れは必要不可欠な儀式だった。


「さようなら」

「えぇ。さようなら――――ヒューマさん」



     ◇◇◇◇



「ニーア」


 それはとても酷い過去の話。まだギアスーツが存命していた頃の話。彼がここに立ち寄った際に思い出した小さな少年であった男の最後。

 ニーア・ネルソン。彼の最後に立ち会えなかった男――――ヒューマは数千年の彼方から彼を想う。その最後は病であったが、ほとんど老衰に近いものであったと言う。皆に愛された彼は、皆に送り出されて自分より先に逝ってしまった。

 時代は移り変わる。進化と争いを残して。英雄は時代に取り残されて、少年は時代によって死んでいった。それは当然の摂理であり、それは必然の結末だろう。

 残された者は過去を想う。彼は世界の行く末を見守る者。蒼海を駆け抜けた彼の記憶を内包し、彼が立ち上げたこの場所を見つめる。


「ヒューマさん」

「……きたか、トーヤ。カナデ」


 自分を呼ぶ声が聞こえて、ヒューマはゆっくりと振り返った。自分に似た少年と、自分が恋焦がれたある人にとても良く似たある少女がそこに不思議そうに立っていた。自分が呼んだのだ。未来を生きている彼らに、未来を信じて戦ったある男の事を教えるために。


「ニーア・ネルソンを知っているかい?」


 ヒューマのその言葉に二人は解らないように首をかしげる。当然だ。この二人は生まれこそ地球だが、そのほとんどは宇宙での記憶となっている。それに、ニーアはさして有名人でもない。せいぜい、アルネイシアの歴史にほんの少しだけ関与した人物に過ぎない。

 ヒューマはそんな二人にこの地球の記憶の一部を与える。


「私が知る限り、彼はこの地球の海を駆け抜けた人物だ。その人生は虚ろで、しかし蒼く彩られていた」


 昔を思い出すようにヒューマは彼を語る。蒼海を生き抜いた少年の話を、生きるために突き進んだ彼の話を、せめて自分の末裔に伝えるために。

 ヒューマ・シナプスは最後に、彼の人生をまとめてこう呼称する。


「彼を――――蒼海のニーア、とでも言ってあげようか」


 それが彼に今できる最大の感謝のお返しであった。未来を信じて駆け抜けた少年、彼の事を未来を生きている子供達に教えるために。ヒューマは変わり変わらないこの世界の中で、彼の名前を語った――――

 西暦4216年。蒼海は未だに人の生き様を映している――――

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機動鎧装RR 蒼海のニーア 紅葉紅葉 @inm01_nagisa

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