第2話.隔世の惑い

 僕はウェールズから一人、列車へ乗り込んでいた。ボックス席の窓辺に肘を突いて、過ぎていく知らない町を眺め続けた。


(——いや、僕はなんで、列車なんかにるんだろう。こんなことしてる場合じゃないのに。)


 車両の中では、知らない大人たちの乾いた笑い声が響く。その二人と僕と、奥に何人かしか居なかったから、余計に会話が目立った。ボックス席の斜め隣、訛りのある発音で話す若い男の人の声。


「新女王が即位して以来、入国は今回が初めてでね。母親が殺されたのは気の毒だが、あのアンリエットとかいう娘は——」


(あぁ、思い出した。…あの時は、変なアイルランド人が居たっけ。あれはロンドンに来る日だ。)


「先代の信者共から担ぎ上げられ、いざ即位したら、反王政派の粛清が酷かったでしょう。あれから、王政派でもアンリエットを相応しくないと——」


 外の景色を見ながら、丁度、授業で先生が話していたことを思い出していた。

 アイルランドはずっと昔、自分たちの言葉を持っていたけど、あの戦争で失くして、その後、解放されてから研究し続けてるんだって。


 隣の国を悪く言いたいなら、自分たちの国で言えばいいのに。

 気分が悪くてよく覚えていた。


「…”退廃主義”は派閥を越えて日常的にさり気なく主張出来る。規制も難しい。黒い服を着るなとは言えんからな。」


「若い子たちは関係無しにファッション的流行。王室の親族オズボーンまでもが退廃主義に迎合し始めてるとかで。しかも、あの当主は直系の縁戚ですからね。内側はより複雑ですよ。」


自国こちらでも小耳に挟んでいた話だが…、王家神の代行とやらも、実に腑抜けな。」


「…まぁ、そんな状態ですから、商談は服装にもお気を付けて。城下では連続殺人があったりして、それだけでも物騒ですし、…近々、”ロイヤル・ツリー”にオリバー殿下がいらっしゃるとかで、過敏な時期でもありますからね。後は、——」


 窓の外は特別変わったこともなくて、ぼんやりしたまま遠くから斜め隣の会話が頭に響いていた。あんまり眠くて、頭もはっきりしなかった。


「あー…、ほら、見てくださいよ。いやこれは、城下とかじゃなくロンドン全体の話なんですがね、厚着してちゃ仕事になりませんよ。足元見られるようなもんだ。」


 通路の向こうから指差す人。向かい合わせに座る人も、こっちを向いていた。


(あの後も何か話し続けてたけど、もう覚えてないや。…でも、——)


「フランスで新素材の生地が開発されて、大陸の貴族たちの中では最先端の流行になったと言うが…。それは上流の社交界パーティーの話だろう。わたしはそんな華々しい場所には…。」


「ロンドンでは一般にまで波及してます。コートを着ているだけでも貧乏人扱い。もう、着込まないことが常識ルール。大陸と比べたら行き過ぎの流行りですよ。」


「…成る程、大陸から田舎と馬鹿にされやすい島国には、何とも示しやすい見栄だ。ハハハ、…いや、我が国では、そんなことでプライドを保とうなど考えもしないがな。流石は大英グレートブリテンじゃないか。」


「そりゃあ、わたしたちとは違いますよ。……おやおや、坊やはお昼寝の時間かな。お気楽なもんだなぁ。」


「…ロンドンを通過するのに黒シャツか。よく眠るがい。”退廃主義”の小さな紳士君。」





 それから、聞こえて来たアナウンスに、自分の耳を疑った。...頭をはっきりさせて、しっかりと、耳を澄ませてみた。

 それでも、繰り返されたのは、聞き慣れない地名と、「終点」。


 北へ北へと来てしまったらしい。時計を見ると、昼だった。

 …考えてたってしょうがない。鞄から出したサンドウィッチはぐったりしていた。家政婦キティは、結構大きく作る。

 美味しかった。初めて乗った列車の嫌な空間も、体中を逆撫でてくる失敗も、変わらない味で包み込まれる。ロンドンへ向かう、リベンジの列車の中で。


(…もしかしたら、あのまま、別の列車に乗り込んで、帰ってしまえば——。…でも、そうしたら、父さんは? )


 —初めて一人で乗った列車の空間も、知らない町の蛇みたいな動きも、聞きたくない世間話も、きっと僕を惑わす悪い夢だ。

 きっと目を覚ませば、暖かいあの病室で、母さんが毛布を掛けてくれている。…それでもいんだ。父さんと一緒に早く帰ろう。


 ようやく辿り着いたロンドンは、地元の駅と比べ物にならない程広くて、案内図も複雑になっていた。僕の一人の列車経験なんて、ちょっと隣駅になら行ったことがあるくらいで、たった一人立ち尽くす、こんな時では頼りなかった。案内板の前で悪戦苦闘している僕を誰も見向きはしないし、それどころか、僕の体は人の流れの外に弾かれていく。


 こんなに人で溢れてるのに、不安なのはなんでだろう。


 駅を出ると、夕方だった。やっと捕まえた駅員さんから、城下町に入るには許可証パスを作らなくちゃいけないことと、もうこの時間では入れないことを教えてもらった。そして、案内通りに、近くの宿泊所ホテルに泊まることにした。


 ...あの時、結構ぼったくられたんだと思う。次の日、城下へ入る許可証パスを作ってもらった頃には、所持金が底を尽きそうになっていた。許可証パス一つだって、安くはなかった。


(僕がもっと、ちゃんとしていれば、もっと父さんを探しやすくなってたかもしれないのに。)


 ……お爺さんの丸い背中が、鍋の中で牛乳ミルクを温めていた。僕は起き上がって、部屋を見回しながら、湯気立つ牛乳ミルクに誘われる。それはきっと、口にしたら蜂蜜の味がほんのり溶け出る、落ち着く味に違いない。


(……あれ? そっか、ここはお爺さんの…。じゃあ、間違いだって分かったんだ。)


 かく、起き上がって、お爺さんに話し掛ける。


「…おはよう、お爺さん。薪がないなら手伝うよ。寒くないの?」


「……。」


(どうしたんだろう。なんだか、お爺さんの背中が小さい気がする。)


「…その、ありがとう、……説得、して くれ——? 」




 …………。


 自然と目が覚めて、身震いしながら暗い天井を眺めていると、そこはやっぱり、お爺さんの家の天井でもなければ、母さんのる病室でも、妹のる子ども部屋でもなかった。…日の差し込む部屋の中、先生にペンで叩き起こされた方がずっとかった。


 底冷えする床の上、足の低いベッドにペラペラの毛布をかけても、寒いことには変わりない。天井近くの小さな穴に格子の影も浮かばない、そんな真夜中だった。昨日の出来事の所為で寝付けない。そして、この異常な体の冷え方。


 捕まったんだ。


 僕はただ、困っているお婆さんに手助けしただけの筈で、やってもいない万引きの為に、こんな冷たい格子の奥へ詰め込まれた。狭い独房で、コートまで没収されて、朝まで寝ていられるわけはなかった。


 どうして僕がこんな目に…、そう思わないわけがない。いくら、僕が田舎者だからって、こんな目にまで遭うのはおかしいじゃないか。ロンドンに着いた日から、異常なことばかりだった。




 ……。

 ロンドンに着いて1日目。今度は城下町に入れなかった。

 城下は幅の広い深い川と白い壁に囲まれて、肝心な入り口が分からないんだ。宿泊所ホテルを出てから、なんとなく、体もだるい。

 川の向こうの高い城壁を見上げてみても、カリフラワーの太い茎から突然ブロッコリーが生えているような、国王の大樹ロイヤル・ツリーの頭が見えるだけ。これがなかなか、周りを水で満たした鉢植えの中の、芽の生えた白いキャベツみたいだった。


 川沿いに歩いて行くと、近くで小さい子が遊んでいるのを見付けて、聞いてみることにした。


「……。いよ、連れてっても。…こっちなよ。」


「ありがとう、助かるよ。」


 快い感じでもなく、男の子は歩き出した。僕もあとを歩き始めようとした時、後ろから小枝を踏みつける音と、水の跳ねる軽い音が聞こえた。押し殺して漏れ出る笑い声まで聞こえた違和感に、振り向こうとしたその時だった。


「…………ッッ!!?」


 ボタボタと散らばり落ちる水の音。

 それだけじゃない。服の隙間を這い回った跡が気持ち悪い。冷たい布がべっとりと纏わりついた。

 容赦なく打たれる次の手は、頭に向かってぶち撒けられる。重く垂れ下がった前髪から見えたのは、吊り上がった口角や嘲笑う目付き。


「オレたち、城下町のシンエータイだぞ!」


「もっとかけてやろう!!」


 案内しようとした子の仲間たちは、小さなバケツを隠してた。僕が驚いたまま震えていると、薄く張った川の氷を割り始める。いていた穴はどんどん大きくなって、次の準備も始まった。


 逃げなきゃいけない。でも、…何処どこに?


 舗装された川沿いの並木に、子どもたちの笑い声が響く。

 冷たくて、寒くて、並木道から逃げ出して、僕はひたすら王城に背を向けて森の中を駆け抜けた。わらい声は遠ざかったけれど、走れば走る程、体から熱が抜けていく。宿泊所ホテルの中でも感じた、鈍い頭痛が湧き出てくる。

 着ていたコートが役立たない。指先から冷えていく体は震えて、口の中で歯がぶつかり合って煩いし、新しい空気に触れるだけで、柔らかい氷に撫でられてるみたいだ。


 城下を囲む森は簡単に抜けられそうでいて、意外と広かった。一直線に進んできたのに、振り返ると城下の影も分からない。そんなに走ったのか不思議だった。呼吸の荒さ。空を見上げる。木の茂みに太陽の光が遮られている。そして、落ち葉の積もった暗い地面。

 すぐ近くの木に手を掛けた。…筈だったけど、手は届かない内に膝から崩れる。どうすればいのか分からない。頭もはっきりしない。瞼も重くて、背中は寒いのに、何処どこか熱い気がする。


 森の中で迷う僕を、誰かの腕が引っ張った。声を掛けられもした気がする。

 真っ赤な口紅ばかり、今でも覚えている。




(ただ、城下に入りたかっただけなのに。)




 …思い出すだけでも寒くなってくる。

 硬いベッドの上で毛布一枚なんだ。あの日の寒気を思い出すには十分過ぎる。余計に体が震えて、自然と瞼が落ちた。

 蜂蜜入りの牛乳ミルクが飲みたい……。やさしいあの味を、身体からだの芯から味わいたくなった。


 あのあと、僕はそのまま倒れたらしくて、気が付いたらお爺さんの家だった。ゴミだと思えるもので散らかっている部屋の奥から出てきたのは、白くて髭の長い知らないお爺さん。




 そうだった。

 第一印象は最悪で、それでも僕を助けてくれたお爺さん。

 湯気の立つコップを二つ手に、目を覚ました僕の様子を見ると、開口一番に出てくるのは嫌味だった。


「なんだ、坊。目が覚めたのなら帰れ。」


(もしかして、これが走馬灯フラッシュバックだなんて言うのかな…。)


 聞くところには、水を掛けられた日、…森の中で倒れてから3日も経っていたらしい。そろそろ死ぬかと思った、だなんて言う割には、心配する素振りも見せずにコップを渡してきた。


 手の中のコップが程良ほどよく温かい。乳白色ミルクが陶器の鏡みたいだ。火傷も心配せず飲めた最初の一口。蜂蜜入りの牛乳ミルク。ちゃんと混ざってないから、最後の一口がやけに甘ったるい。乾燥しきった喉の奥に、安心感と一緒に飲み込んだ。殆ど蜂蜜の味に包まれていた。


「菜園の横に倒れておったが、…まさか儂の野菜をっとらんじゃろうな。」


 倒れる直前、周りにそんなものは見てない気がした。それに、真っ赤な口紅の女の人。部屋にはお爺さん以外に誰も居ない。

 そのことを聞いてみたけれど、僕の言葉に信用なく応えたお爺さんの説明だと、お爺さんは一人暮らしで、この家も他の人は寄り付かない。家族もない。

 元々人の気配のない場所だし、そんな所に僕は一人で倒れていた。でも、僕自身は大人のコートにくるまっていて、横には別の冷たい湿ったコートが畳んであったのは不思議だったらしい。


「…僕、多分、その人に助けられてるんだ。ロンドンには来たばっかで、知ってる人もないから、…知らない人だと思うんだけど。」


 綺麗な女の人だった。

 そう、顔ははっきりと覚えてなくても、綺麗な人だと思ったことは強烈だった。


「混乱でもしとるんじゃろ。化粧っ気のある女が来る場所じゃあない。」


 お爺さんは、呆れ顔のような、少し怒ってるような顔をして、指で僕を振り向かせる。後ろには丁度、小さな円窓があった。窓の奥は、菜園の先に暗い森で、昼間か夕方かも分からない。

 人通りなんてなさそうだ。城下に用のある人間が歩いて来る訳でもないらしく、僕はお爺さんの次の言葉で振り向くしかできなかった。


「それとも、元々、おかしいんかね。」

 その白髪頭を人差し指で、—— あ た ま が ——そう小突きながら。


「そんなことよりも、だ。家は何処どこだ?」


 どうにかして、野菜泥棒なんかじゃないことを信じてもらいたくて、お爺さんがどんな人か分からなくても、ウェールズから来たことや、父さんのこと、妹のこと、少しは信用してもらえるように話してみた。


「…居たきゃ好きにせい。」


 その一言が嬉しくて、お爺さんはきっと根の良い人なんだって安心した。……けど、やっぱり別にそうでもなかった。

 酔っ払った時なんて、愚痴まみれの昔話が始まる。学者だったけど、城下の大学から追われた話だとか、難しい話を聞かされて、僕が知らないことを聞いても話したいだけ話し続けては途中で寝るし、城下の人たちの悪口ばかり聞かされた。

 でも、これでもお爺さんは命の恩人なんだ。なんだかんだ言って、言葉通りに僕を置いてくれた。


 それから、どうしても、出来るだけ早く、父さんと家に戻りたくて、具合が良くなればすぐに城下の入口で探し始めた。

 あんなことがあったから、お爺さんが暫くは寄らない方がいって言ってくれたけど、少しでも手掛かりが欲しかった。通行証パスは作りたてだったのに、水浸しにされたおかげでぐっちゃぐちゃだから、入り口の前で人の出入りを待ち続けた。お金もあんまりないし、再発行はすぐに出来ないらしくて、暫くはこんな状態の人探しだ。

 お爺さんが何着か用意してくれた服は暖かくて、冬でもコートが要らない。それが城下の流行らしかったけれど、お爺さんが何時いつに買ってくれたのかは分からなかった。


 …かく、僕は暫く、お爺さんの家で居候していたんだ。

 昨日きのうまで、二週間くらいはお爺さんと一緒に居た。一昨日おとといに僕が、こんなところに連れて来られるまでは。




 ……。

 この寒さももう限界だ。体はいつの間にか震えが止まっている。瞼が下がっているようで、落ちてこない不思議な感覚。

 …瞬きしてみたら、はっきりと瞼が閉じるのを感じられる。でもやっぱり、不思議な感覚は残ってる。閉じようとしていないのに閉じそうになるし、閉じるかと思うと閉じない。

 気が付けば、格子まで明るくなってきた。天井はさっきよりも全然明るいし、格子の向こうに人影まで……


「——!?? え、誰!? ……っ。」


 無意識に肘を立てて飛び退きかける。さっきまで、誰もなかった筈なのに。肘の痛みは後からじわじわ来たけれど、暫くは気付けなかった。


(人形…、でもないか。)


 だって、…こんな牢屋ところに、僕と同じくらいの女の子。左寄せの長い前髪に隠された、ある筈の左目が眼帯に覆われる、睫毛も長い綺麗な子。


「――ジェド=マカリスター、面会だ。」


 女の子に気を取られて、隣に居た人にも変な声を漏らした。

 なんでこの子が僕と面会なんて。きっと知らない子だ。父さんを探している時だって、覚えもない。……でも、もしかしたら…、昨日きのう見掛けた子に似ている気もした。


「聞かせて。貴方あなたのお父様のことを。…此処から出す代わりに。」


「…君の父、ジェイミー=マカリスターは市内の刑務所から囚人を逃してしまっただろう。家には本当に来てないんだろうね? …これは取り返しもつかない犯罪なんだ。それくらいは分かるだろう。」


「…………は?」


「…此方のご令嬢は君の父についてお調べなさっている。協力の意思さえあれば、すぐにでも自由の身だそうだよ。好待遇ではないか。」


 冷や汗が出てきそうだ。僕は今、どんな顔でいるんだろう。「血の気が引いていく」って、きっとこのことだ。…それとも、この冷え込んだ空間にずっと居た所為かもしれない。

 下がった視線を眼帯の子に直すと、無表情な、それでいて冷たいような目に合ってしまう。


「……。先ずは、話しましょう。昨日きのうのことからでい。…貴方あなたの話によっては、取引する迄もないから。」


 父さんが囚人を逃したと言った収容所の男の人は、女の子に頷くと、格子の扉を開けた。


「…話すつもりならば、別の部屋に移動しましょう。毛布と、それから、暖かいスープも用意させて。……此処から出たいでしょう、ジェド=マカリスター?」


 ……。


 …そっか、そうだ。


 …此処から出られれば、帰れるならば、誰でもい。話を聞いてもらおう。


 大人はまともに聞かなかった、”犯罪者”の僕の話を。




 それから僕は、意外と丁寧に、綺麗な部屋へ運ばれた。手錠も足枷もあるけれど、収容所の人たちは誰も入って来なかった。

 壁と鉄格子しか見えない空間とは違って、壁は一面真っ白で清潔感がある。木製の白い棚の中には色とりどりの本やファイルの背表紙が見えたり、紙の束が置いてある。そんな部屋で、僕がスープを飲んで落ち着くのを待ってから、女の子と一緒に来た男の人も入れて三人、ぽつぽつと話は進んだ。


 ロゼと名乗った女の子は、僕と同い年だ。長い睫毛に囲われた、赤い宝石みたいな右目。ロンドンのどの大人よりも、この子はちゃんと話を聞いてくれたし、決めつけた言い方だってしなかった。


「…貴方あなたがお世話になっていたかたなら、城下町の中でも噂になっていたわ。それも、い話ではなかった。普段から、城下町に来なかったそうね。そして、貴方あなた通行証パスが使えなかった。…なら、昨日きのうなにをしに来たの?」


「……元々、川で釣りをするつもりだった。野菜なら菜園から取れば良いけど、魚は川で釣って、肉はたまに何処どこかで貰ってるらしくて。」


 足先に冷たさは残るけど、それでも温まってくる。一呼吸入れて、僕は昨日きのうの話を始めた。




 お爺さんはいつも、城下とは反対側の少し離れた川まで釣りに行くみたいだった。僕が父さんを探すようになってからは、どうせ近くに川があるんだからって、城下の周りの深い水堀で魚を調達していた。


 川の上に架かる橋は、城下への入り口に直結している。橋の横には、下の川に向かって狭い階段が伸びていた。昨日きのうもいつも通り、お爺さんと二人、その階段を降りようとすると、苔の染み付いた冷たい石段に腰掛けているお婆さんが見えた。

 話し掛けてみると、城下にある有名なパン屋まで行きたいらしい。

「足が悪いものだから、あと少しの距離が遠くてね。ちょっと休んでいたの。」…そんなことを言っていた。


 お爺さんは黙って階段を降りて行こうとしたけど、「僕、後から行くね。」って言ったら、振り向いてはくれた。


「こんな所で座り込んでたら冷えるよ。入り口までなら背負ってあげる。…ちょっと、通行証パス使えなくて。」


 人を背負うのは妹で慣れてると思ってたけど、意外と重かったお婆さんを背負ってみると、かなりゆっくり歩いた方が良さそうだ。お爺さんを僕のお祖父じいさんだと勘違いしていたのを訂正すると、僕が父さんを探しに来た話をした。妹のことは殆ど伏せた。

 お婆さんは、たまに聞き返したりしながらでも、真剣に僕の話を聞いてくれていた。


「…早く会えるといわね、お父さんに。」

 そう言ってくれた。


 城下の入り口に着くと、守衛さんが事情を聞いて、特別に通しても構わないと提案してくれた。守衛さんにお婆さんをパン屋まで連れて行くことを頼まれたし、お婆さんにもなにかお礼がしたいから付いてきて欲しいって言われて、城下に入ることにした。

 初めて入った城下町。目的の店は、王族がお忍びに来ることもあるらしいけど、親しみを感じる雰囲気だった。


 会計を済ませるお婆さんが、店員の女の人と他愛ない会話をしているのを、のんびり待っていた。


「どれも美味しそうで迷ったわ。これは別でつつんで頂戴。」


 その歳相応に震えた手で、バッグの中から長財布を取り出した時だ。手を滑らせて落とした衝撃で、盛大にお金をばら撒いてしまった。

 近くに居た買い物客の女の人が、拾うのを手伝おうと声を掛ける。僕も入り口から手伝いに向かうと、片手で掻き上げられる長い金髪ブロンドの揺れに、視界が遮られた。お礼を言うお婆さんに、その女性ひとは柔らかく真っ赤な唇の口角を上げる。

 …そういえば、この時、お爺さんの家で初めて目が覚めた日を思い出していた。


「ありがとう、僕が拾います。」


 散らばったお金を拾い集めて、お婆さんが財布の中に戻したのを確認していた時、違和感があった。

 商品棚に近い左ポケット。何かが入ってきた感覚。

 見てみると、少し小振りのクロワッサンが入れられてた。


「……? なんで——」


「...坊主。何してる。」


 それまで他の人の接客で離れていた、人の良さそうな店主の、低く唸るような声。

 頭は真っ白だ。だって、何もしてない。ただ、お婆さんが財布を落としたから。だって、お婆さんもあの女性ひとも、見てたじゃないか。


 —お婆さんの姿が見当たらない。


 大きな影に包まれて、そのまま、広場に連れていかれた。知らない大人から殴られる為に。知らない人たちの見世物にされる為に。


 暫くすると、入口でお婆さんの事情を話した、守衛さんがやって来た。お婆さんと一緒に。


 言われた言葉は覚えてる。


【——あぁ、あの爺さんとこに居たんだろ? 毎日、城門覗いてきてたんだよ。】


【あたしゃ、ずっと怪しいと思っててねぇ。あの人の孫だって。目付きの悪いのが似てるんじゃないかい? 怖いねぇ、見てよ、あの目。いつか人を殺しそうだよ。怖い怖い。】


 憩いの場だなんて呼ばれる、あの場所で。




 ……。


「—誰も、本当のこと言ったって信じてくれなかった。あの守衛の人とお婆さんが適当に言ったこと、みんな、信じてるんだ。」


「……言葉も出ないわ。」


「…まぁ、エディス王女に助けられたけどね。びっくりしたよ、王族の人たちは本当に城下に降りてくるんだ?」


 白い机の光沢に、痣の残る僕の顔が映る。その先には、ロゼの顔が逆さまに映る代わりに、紙が置いてあった。意味も分からず署名サインさせられたあの紙。ロゼの言うところには、半分罪を認めたようなものらしい。


 昨日見掛けた女の子。目の前に座るロゼ。

 やっぱり僕の思い違いなんかじゃなかった。髪型と片目の隠れ方が、どうしても重なってたんだ。


「……。言い辛いけれど、憩いの場で貴方あなたを見ていた時、連続殺人にも関わっているとまで噂されて——」


「連続殺人…?」


「そう…。今のところ、城下の中だけでしか確認されていない、統一性のある殺人だから、メディアが連続殺人事件だと囃し立てて…。少しでも聞いたことは?」


「無いよ。…まさか、お爺さんが!?」


「ただの噂よ。何方どちらにしても、今の情報では、決めつけること自体が早計。」


「…そんな、確かに変な人ではあるけど、人を殺すようには見えないのに。」


わたしは個人的に、彼を悪く言おうとは思わないわ。けれど、これは貴方あなたの為になる情報と思って受け取って。そして、今後一切、彼から離れることを、出所の条件に加えさせて頂く。」



 そう言いながら、ロゼは机の上に紙を置いた。パッと目に入った文に、ロゼに協力する間は僕の身と生活の安全を約束するだなんてことが書かれている。


「これは…、出してくれるの? ——信じてくれるの?」


 独り言に取れる僕の言葉に同調したように、ロゼと一緒に来た男の人が、初めて口を開いた。


「誠に宜しいのですかな、様。」


わたしが問題ないと言っているの。…手続きを。」


 男の人は、立ち上がると、ロゼに一礼して、僕には「申し遅れました、——」なんて言って、挨拶した。

 ロゼのお付きの人だった。本当に、ロゼは何処どこかの家のお嬢様らしい。様子を見てたんだろう。僕とどう接するか。


(ロゼなんて名前も、偽名かもしれないな。)


 子どもの頃読んだ探偵ものを思い出した。そこに出てくる貴族の男の人が、偽名で身分も隠して、退屈凌ぎに探偵の手伝いをしていたんだ。

 どんな終わりだったっけ。


「その紙は貴方あなたが持っているもの。よく読んでおくこと。…それから、貴方あなたのお父様の話を……。」


 ロゼの目はしっかりと僕を見て、まるで試されているような気もして、不安に思えた。


貴方あなたのお父様を探しているのは、先代女王の暗殺者を探す為。何故なぜなら、——」




 続く言葉が、聞き取れない。君は本当に何者で、父さんをなんだと思ってるんだ。


 先代の女王様が殺された時、僕らは6才だった。ロゼはきっと何処どこかのお屋敷で、僕は妹と母さんと家の中で、その時を見ていた。


 じゃあ、父さんは何処どこに居た?


 一緒になかった。


 覚えてない訳ないんだ。あの日は丁度、先代オリビア女王が、誰もが見ていた映像の中で、御披露目の儀アンベーリング・セレモニーの為に祝福されていたんだから。映画で見る昔の銃みたいな音のあと、前の女王様が血塗れで、目を見開いたまま亡くなられたのを、僕は見たから。

 …妹が音に驚いて泣き出したから、僕は怖いなんて言ってられなかった。泣きむのを待ってから、父さんの部屋に行こうとした僕を、母さんはめたんだ。


【——お父さんは、仕事に行ってるの。…此処になさい。ジェドも怖かったでしょう。あの子もまだ落ち着いていないから、一緒に居てあげて。】


 父さんが、あの女王様と同じロンドンにると思うと、余計に怖くて泣き出したくなった。


 ……。

 約束したじゃないか。


【——…この子と一緒にられなくなるその時まで、必ず一緒に居てあげるんだ。名前も与えられないなら、生きている間に、誰より幸せにしてあげるんだよ。……約束出来るね。】


 言ったのは父さんだ。

 妹が生まれた時、父さんは優しく僕に言ってくれたのに。


 妹が生まれると、母さんは塞ぎ込んだ。誰の所為でもないのに、ただ、あんな時に妹を産んだことを後悔していた。父さんは、それまで通り家の近くで仕事をして、出来るだけ妹と一緒に居られるようにしていたのに、何年前からか単身赴任でロンドンに行くことになった。それでも定期的に帰って来て、休暇を家族で一緒に過ごした。


 父さんは急に、家に帰って来なくなった。

 元々、帰って来るのは月に1回で、ぱったり帰って来なくなったのは、丁度、1年くらい前。まめに送ってくれていた手紙も、そのから途絶えた。

 人一倍正義感や責任感の強い、優しい父さんだ。信じて待っていた。

 妹は、なにも知らないまま、ただ、父さんに会えないことを寂しがっている。母さんだって本当はとても心配している筈なのに、僕らを励まして。


 妹との別れを、黙って待ってるだけだった。父さんなしに、見送る未来も待っていた。


 だから、病院の大部屋で、こんなことを切り出した。


「…僕が、父さんを連れて来るから。」


 母さんは驚いていた。看護師さんも、相部屋の患者さんも。

 皆が驚いていた中、声を上げたのは妹だった。


「お兄ちゃんまで居なくなっちゃう。」


 妹はまだ7歳だ。今にも泣き出しそうな顔で、抱えていたぬいぐるみを落とした。

 駄目じゃないか。折角、僕が、誕生日にあげたものなのに......。


「絶対帰ってくるよ。」


 拾ったくまのぬいぐるみを力なく投げつけて、「お兄ちゃんなんか嫌い」ってさ。痛いじゃないか。そのぬいぐるみ、鼻が硬いんだぞ。


 そんなこと言っておいて、僕が家を出る日には、小さな紙を渡してきた。家族皆が揃った似顔絵が、くまのぬいぐるみの顔を囲んで笑っている。


 妹と2人で病院へ行くと、母さんに何度もめられた。病院を出る時には、妹がくまのぬいぐるみをかかえて見送ってくれた。


 肩掛けの鞄に少ない荷物を詰めて歩き出す。「絶対帰って来て」の言葉を背に、駅に向かって歩いて出した。妹がくれた似顔絵のように、また、家族が揃える日を1日でも取り戻す為に。家を出た日の約束だった。


「行ってきます」


 …だから、家で待っていて。大丈夫、来月までには帰ってみせる。


 父さんのことが嘘なら、…もしかしたら、ロゼの力を借りて連れ戻せるかもしれないんだ。



 ——廻り始めた歯車は、僕にめられないことくらい分かってる。それでも、ほんの少しでも。

 ——…緩めることが、出来たなら。




【第1章-2話.隔世の惑い- 終】

第一稿 2015/03/26(初出:FC2ブログ)

前回改稿 2016/08/26(カクヨム、小説家になろう)

【ヘスペリデスの園で 第1章「―序―」 To be continue...】

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ヘスペリデスの園で 第1章-後を負う者- 葛宮 真琴。/2019年~活動再開未定 @M_Kazuramiya

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