第10話 誤入力ください


 木曜の翌日から、自宅待機になった。


 本人の安全のため、と部長は言った。柳瀬くんに言ったのと、同じ言葉だった。同じ言葉を、今度は私が、電話で聞いた。


「記者は、来ないと思う。名前は出てないから。出るとしたら、会社が出した時だ」


「……はい」


「出さない。それだけは、俺が言っておく」


 部長は、それだけ言って切った。私は、自分の部屋で、切れたスマホを見ていた。平日に会社に行かない朝は、いつ以来か思い出せなかった。会社が止まった日も、私は会社にいた。


 昼に、柳瀬くんからメッセージが来た。


 リーダー、僕、今日から出てます。久保田さんが、リーダーは当分休みだって言ってました。


 当分休み。久保田くんは、そう言ったらしかった。端末のことも、会議室のことも、柳瀬くんには言っていなかった。言わないことを、久保田くんは、また自分で決めていた。


 よかった、とだけ返した。既読が付いて、返事は来なかった。来なくていいと思った。この子に、私から言えることは、もう無かった。


 署に呼ばれたのは、その次の週だった。


 被害届を出した窓口ではなく、二階の部屋だった。刑事は、私が被害届を書いた時の人ではなかった。机の上に、紙が二枚あった。一枚は、私の被害届の写しで、もう一枚は、犯人が会社に送った通知の写しだった。


「これ、御社から提出されたものです。届いてたんですね、あなた個人に」


「……はい。読んで、消しました」


「消した理由は」


「会社に、知られたくなかったからです」


「被害届の時は、勤め先まで書いてくださったのに」


 刑事は、責める声ではなかった。事実を並べる声だった。岸さんと同じ種類の声を、この人も持っていた。


「あの時点では、会社には、まだ何も起きていなかったので」


「起きてからは、言わなかった」


「はい」


 刑事は、それを書いた。それ以上は訊かなかった。犯人について訊かれたことは、一つもなかった。私は、被害者として呼ばれたのではなかった。会社の被害の、経路として呼ばれていた。


「カード会社にも、こちらから照会を出しました。停止の手続きの記録と、通話の記録が残っていました。勤め先に連絡が行くことはないか、と、二度、確認されていますね」


「……はい」


「原則として、と答えた、と記録にあります」


 カード会社に電話した時、私は、警察からの照会を、一番恐れていた。恐れたものは、私の知らないところで、とっくに済んでいた。二度訊いた、という記録まで、一緒に来ていた。


 七十日目に、会社に呼ばれた。


 会議室の大きいほうで、人事の部長と、うちの部長と、知らない役員が一人、座っていた。私の椅子は、机の向こうに一つだけあった。


 人事の部長が、紙を読んだ。


「就業規則に基づき、処分を通知します。事由は、社内端末の私用利用、インシデント申告義務の違反、調査に対する虚偽の報告、証拠の隠滅、および、部下への責任の転嫁。以上により、懲戒解雇とします」


 役員が、紙を見ないで言った。会見に出た人だった。


「会見で、私は、調査中です、と答えた。あの時、あなたは、開発のフロアで、お客様の電話を取っていたそうですね」


「……はい」


「答えを知っている人が、電話を取っていた。私は、それを、記者の前で知らなかった」


 役員は、それ以上、言わなかった。言わなくても、十分だった。


 並んだ言葉の中で、部下への責任の転嫁、だけが、耳に残った。書類の言葉だった。私が久保田くんにしたことに、書類の名前が付いていた。


「……分かりました」


 言ってから、私は、最後の小細工をした。したと分かっていて、した。


「一つ、お願いがあります。退職の理由を、一身上の都合にしていただけませんか」


 役員が、顔を上げた。人事の部長が、紙を置いた。うちの部長が、目を閉じた。


「できません」


 人事の部長だった。


「懲戒解雇は、離職票に、そのまま記載されます。次に理由を問われた時、隠せるものではありません。それは、こちらが決めることではありません」


「……はい」


 うちの部長が、目を開けた。


「嶋田さん。今のは、言わないほうがよかった」


「分かっています」


「分かってて言うの、直らなかったな」


 部長は、それだけ言った。怒っていなかった。怒られるほうが、まだよかった。


 人事の部長が、紙をもう一枚出した。退職日と、私物の引き取りの日と、貸与品の返却の一覧。返却の一覧の一番上に、私の端末の名前があった。返す端末は、もう、岸さんのところにあった。




 最後の出社日は、八十日目だった。


 私物は、段ボール一箱に収まった。マグカップと、私用の充電器と、去年の暮れの朝礼で配った、添付ファイルの注意の紙。自分で作った紙が、自分の引き出しの一番下にあった。


 開発フロアに、代替端末が並んでいた。私の席には、もう誰も座っていなかった。隣の席に、久保田くんが座っていた。リーダー代理、と部長が言った。


 柳瀬くんが、私の箱の横に来た。


「リーダー」


「……もう、リーダーじゃない」


「嶋田さん。僕、嶋田さんのこと、恨んでないです」


 恨んでいい、と思った。言わなかった。恨んでいいと言えば、柳瀬くんは、恨まないことを、また私のために選ぶ。


「動画、もう見てません。仕事中は」


「……そう」


 見ていいよ、とは言えなかった。言える立場ではなかった。柳瀬くんは、少し待って、私が何も言わないのを見て、自分の席に戻った。私の書いた評価を読んだあとも、この子は、私に言葉を持ってきた。持ってこられる側の資格が、私には無かった。


 隣の島のリーダーが、通りすがりに足を止めた。


「嶋田さん。あの朝、俺、禁止を守った結果、何も無い、って言ったよね」


「……言ってました」


「撤回する。何も無いのが、一番だった」


 嫌味ではなかった。この人は、自分の部が回っていなかった間のことを、そのまま言っただけだった。私は、頭を下げた。下げる以外に、返せるものが無かった。


 久保田くんは、こちらを見なかった。


 画面を見ていた。画面には、六人分の進捗表が出ていた。私が紙で書いたものが、久保田くんの手で、画面に戻っていた。数えるのは、久保田くんの仕事になっていた。私は、それを言わなかった。久保田くんも、言わなかった。


 箱を持ち上げた時、久保田くんが、画面を見たまま、言った。


「共有プリンタ、自分の機に入れました」


「……そう」


「もう、借りなくて済むので」


 それだけだった。こちらを見なかった。私も、それ以上、言わなかった。借りた日のことを、久保田くんは、そういう形で終わらせた。私が終わらせたのではなかった。


 箱を持って、部長の席に行った。


「工場は戻った。ひと月半かかった。客のデータは、戻らない。戻らないものは、戻らないまま、会社は続く」


「はい」


「次、決まってるのか」


「いいえ」


「離職票、見られるぞ」


「はい。……見られる側に、私がしました」


 部長は、頷いた。否定しなかった。否定されないことに、もう慣れていた。


「嶋田さんがいてよかった、って、あの時、俺は言った。あれは本当だった」


「……はい」


「本当のまま、残る。それと、これとは、別だ」


 部長は、箱を持つ私の手を見た。握手はしなかった。


「元気で」


「お世話になりました」


 言えたのは、それだけだった。




 エレベーターの前で、岸さんに会った。


 岸さんも、荷物を持っていた。リュックと、紙の束が一つ。最後の報告を、今朝、役員に出したのだと言った。今日で引き上げるらしかった。


「お疲れさまでした」


「お疲れさまでした」


 二人で、同じ言葉を言った。エレベーターは、なかなか来なかった。


「一つだけ、報告しておきます」


 岸さんは、紙の束を持ち直した。


「開いた人は、他にもいました。同じ偽サイトの、同じ添付を、社内で四人が開いています。全員、最初の二日のうちに、自分から申告しています」


「……はい」


「消した記録があるのは、あなたの端末だけです。それだけです」


 決め台詞ではなかった。報告だった。岸さんは、報告の口調を、最後まで崩さなかった。私は、その口調で言われることを、この何週間かで、覚えた。


「報告書の最後に、提言を書きました。申告した人を処分しない制度を、規則に入れること。あなたの件から、書きました」


「……私の件から」


「あなたが、最初に言えなかった理由は、規則の側にもありました。それは、報告書に書きました。あなたの処分とは、別です」


 別です、と岸さんは言った。部長と同じ言葉だった。別のものは、別のまま、両方残る。


 エレベーターが来た。岸さんが先に乗って、私が乗って、扉が閉まった。一階に着くまで、どちらも、何も言わなかった。


 一階で、岸さんは駅の方向へ歩いて行った。振り返らなかった。私も、振り返らなかった。




 帰りの電車で、私用のスマホが震えた。


 メールだった。社員名簿が公開されてから、私用のアドレスには、この種類のメールが毎日来る。件名は、先着限定。本文は、オープン記念、二割引、会員登録はこちら。


 知らない店だった。焼き菓子の店だった。


 会員登録はこちら、の文字は、青かった。あの日と、同じ色だった。押せば、あの日と同じ画面が出る。押さなかった。


 私は、本文を読んだ。一行ずつ読んだ。誤字を探していた。誤入力ください、のような、赤で囲む一箇所を。


 無かった。


 文は、どこも間違っていなかった。丁寧で、正しかった。間違っていないメールが、間違っていたメールより、少しだけ怖かった。


 閉じた。


 閉じたメールは、受信箱の一番上に、そのまま残った。消さなかった。消しても、向こうには残る。それだけは、もう知っていた。


 次の駅で、人が乗ってきた。私は、スマホを鞄に入れた。窓の外を、見ていた。



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