第9話 聴取
一
誰がいましたか、と訊かれてから、答えるまでに、たぶん五秒かかった。五秒は、部長が椅子から立つのに十分な時間で、久保田くんが私の顔を見続けるのにも十分な時間だった。
「……私です。会議から戻って、席にいました」
「ありがとうございます」
岸さんは、画面を見たまま言った。
「登録はしました。それは、最初に報告したとおりです。でも、添付は、開いていません」
言いながら、自分の声が、いつもの声だと思った。部下に設計書の赤を返す時の声だった。
「登録の控えに、クーポンの画像が付いていました。画像だと思って、保存しただけです。開いた覚えはありません」
「保存では、展開は起きません。展開しただけでも、実行は起きません。実行は、展開した中身を開いた時に起きます。十四時十二分に、それが起きています」
「……画像だと、思ったんです」
「画像だと思って開いた、ということですね」
岸さんは、そこで初めて顔を上げた。責める顔ではなかった。確認する顔だった。私は、頷けなかった。頷かないことを、岸さんは書いた。
久保田くんが、机の横から、一歩、離れた。
「リーダー」
「……うん」
「リーダーが開いたなら、昨日、僕を貸した日って言ったのは、何だったんですか」
答えられなかった。事実を言っただけです、と部長に言った時の答えは、久保田くんには使えなかった。久保田くんは、その事実で疑われた本人だった。
「時刻を先に見てくださいって、僕が言ったの、リーダーのためだったんですけど」
「分かってる」
「分かってて、昨日、立ち会うのって訊いたんですね」
久保田くんは、それ以上、待たなかった。自分の席に戻った。戻って、自分の机に、両手を置いて、しばらく画面を見なかった。証明できます、と言った本人が、最初に離れた。
部長が、私の背中を見ていた。見ているのが分かった。振り向かなかった。
「嶋田さん」
「……はい」
「開いたのか」
小さい声だった。フロアに聞かせない声だった。部長は、まだ、私を庇う声を持っていた。私は、その声に、答えなかった。答えないことが答えだと、部長にも分かった。
「あとで、時間もらう」
「はい」
岸さんは、解析を続けた。私の端末の中身が、隅の机の上で、一行ずつ、時刻の順に並んでいった。私は、それを、自分の席から見た。見えなくなるまで、席を立たなかった。立てば、久保田くんの横を通る。
二
昼に、犯人からメールが来た。
私宛てではなかった。会社宛てだった。総務の代表アドレスと、広報と、会見に出た役員の名前のアドレス。西村さんが受け取って、岸さんに回して、岸さんが#障害対応に、件名だけ貼った。
帝電工業の対応について。
本文は、貼られなかった。私は、貼られる前に、呼ばれた。
隅の机で、岸さんが画面をこちらに向けた。日本語だった。翻訳の文だと分かる、少しだけ変な日本語だった。
支払いがないので、公開を続ける。払わない会社には、社内で疑い合ってもらう。他の会社への見本にもなる。初期の感染者には、暗号化の前に、個人宛てに事前の通知を送った。支払えば会社に知られずに済む、と伝えた。帝電工業の従業員嶋田やつでは、これを無視した。以下は、送った文面と、日時と、端末名である。
その下に、金曜の夜の、あの一行があった。あなたが最初だ。日時。端末の名前。私の私用アドレス。
消した一通が、そこにあった。私が消したのは、私の手元の一通だった。向こうの手元には、送った控えが、当たり前に残っていた。
「払わなかった会社への、見せしめです。社内で疑わせるのが目的でしょう。向こうは、この会社がこれで揉めるところまで、計算しています」
岸さんは、計算、と言った。私が四十四日かけて隠したものを、向こうは一通で使った。
「嶋田さん。このメール、届いていましたか」
「…………」
「届いていて、消した。そう読めます。違うなら、言ってください」
違う、と言えば、向こうの記録と、私の私用アドレスの受信記録を突き合わせられる。プロバイダに照会が行く。警察が動いていれば、行く。
「……届いていました」
「いつ読みましたか」
「金曜の夜です。届いた日です」
「いつ消しましたか」
「読んで、すぐです」
岸さんは、手帳に書いた。金曜、と書いて、その横に、三分、と書いた。私は、三分、と言っていない。読んで、すぐ、と言った。岸さんは、私の顔を見て、三分と書いた。
西村さんが、隅の机に来た。紙を一枚、岸さんに渡した。
「警察から、返答です。岸さんが先週、あの偽サイトとの関連を問い合わせていた件で。偽サイトの詐欺で、うちの社員が被害届を出しているかどうか。被害届に、勤め先が書いてあるそうで。総務が名簿と突き合わせました」
「何人ですか」
「一人です」
西村さんは、私を見なかった。見ないまま、紙を岸さんに渡して、戻った。紙には、私の名前と、被害届の日付と、二百万、と書いてあった。
久保田くんの姉と、同じ額だった。金曜の飲み会で、私は被害は受けてなかったよ、と言った時の額だった。
#障害対応に、西村さんが一行、打った。
警察照会の件、対応済み。該当一名。
名前は、出なかった。出なくても、フロアの全員が、隅の机に誰が座っているかを見ていた。
三
午後三時に、会議室の大きいほうに呼ばれた。
岸さんと、部長と、西村さん。それから、久保田くんがいた。立ち会いの続きです、と岸さんが言った。久保田くんは、私から一番遠い椅子に座っていた。
画面に、犯人からのメールの写しと、岸さんの時刻の表と、私の端末から復元された、あの控えのメールが並んでいた。
あなたはちょうど100番目の会員様でした。購入の際に誤入力ください。
「記録と、これまでの報告が合わない箇所を、順番に出します。答えたくなければ、黙っていて構いません。黙った箇所も、記録します」
岸さんが、表の一行を指した。十四時十二分、展開、実行。
「画像だと、思ったんです。クーポンの画像だと」
「リーダー、zipは開くなって、僕たちに言ってたの、リーダーですよ。去年の暮れに、朝礼で」
久保田くんだった。声は小さかった。小さいまま、部屋の全員に届いた。私は、黙った。
次の一行。岸さんの手帳の写し。二十八日目、開発一部、該当なし。
「あの時は、西村さんが、関係ないと」
「私は、検出されていない、と言いました。関係ない、とは、言っていません」
西村さんは、私を見ないで言った。私は、黙った。
次。端末一覧の、私の行。私用利用無し。解析の必要性は低いと考えます。
「これ、俺が、岸さんの前で急ぐなって言った、その前に書いたやつか」
部長だった。私は、頷いた。頷くしかなかった。部長は、それ以上、訊かなかった。
次。聴取の記録。柳瀬さんについて、分かりません、決めつけたくありません。
「柳瀬さんのお母さんの電話、僕、横で聞いてました。リーダー、できる限りのことをしますって言ってましたよね」
久保田くんの声は、まだ小さかった。
「柳瀬くんが開いてないことは、知ってた」
「知ってて、分かりませんって言ったんですね」
「……そう」
岸さんが、次の一行を出した。出す前に、久保田くんが立った。
「すみません。もういいです。僕、出ます」
「はい」
岸さんは、止めなかった。久保田くんは、ドアを静かに閉めた。静かに閉めたのが、一番、痛かった。
次の一行は、貸した日だった。久保田くんがいなくなった部屋で、岸さんは、それを読み上げなかった。表を指しただけだった。私は、黙った。
最後。金曜のメール。三分。
「読んで、払おうと思いました。払えば、会社に知られずに済むと、書いてあったので。土曜に、免許証まで出して」
「もういい」
部長だった。
「もういい、嶋田さん。それ以上言うと、もっと悪くなる」
私は、口を閉じた。閉じてから、自分が何を言いかけていたかに気づいた。払おうとしたことを、払わなかったことの手柄にしようとしていた。部長が止めなければ、言っていた。
岸さんは、手帳を閉じた。
「削除の件は、ご自分で認められました。それは、そのとおり記録します。削除を自分から認めた方は、初めてです」
褒めていなかった。初めてだ、という事実だけだった。
「今日は、四十四日目です」
部長が、顔を上げた。
「嶋田さん。あの朝に言えば、済んだ話だろ」
「済まないと、思っていました」
「済んだよ。開いた奴は他にもいる。何人か、自分で言ってきてる。全員、済んでる」
私は、他の人が言ってきていることを、今、初めて知った。誰も教えてくれなかったのではない。私が、訊ける立場を、自分で捨てていた。
言えば済んだ。私は、済まないと思って、済まなくした。四十四日かけて。
四
夕方、部長が柳瀬くんに電話をした。
自宅待機は解ける、明日から来ていい、原因は別の端末だった、と、部長は電話で言った。別の端末、と言った時、部長は私を見なかった。柳瀬くんが、電話の向こうで何か言って、部長が「ああ、うん」と答えて、切った。
「明日から来るってさ」
誰に言ったのでもない声だった。フロアの、私の周りの、空いている席に向けた声だった。
久保田くんが、席から立って、私の机の前に来た。朝、離れた場所に、また立った。
その前に、久保田くんは、一度、自分の机で、私の書いた評価を開いていた。公開された記録の、自分の行だと思う。上司の判断に依存する傾向。読んで、閉じて、それから立った。
「リーダー。柳瀬さんの待機、解けたんですよね」
「うん」
「原因は、別の端末だった、って部長が言ってましたけど」
「……うん」
「リーダーの端末ですか」
「そう」
「本当ですか」
「本当」
「……僕、昨日、リーダーは関係ないですって、岸さんに言いました」
「知ってる」
「言った時、リーダー、止めなかったですよね」
「止めなかった」
久保田くんは、それ以上、訊かなかった。何も言わなかった。頷きもしなかった。自分の席に戻って、私用のスマホを出して、少し打って、置いた。
置いたあとの画面が、私の席から、見えた。柳瀬くんへの一行だった。
明日から来ていいそうです。
それだけだった。誰の端末だったかは、書いていなかった。書かないことを、久保田くんが決めた。私が決めたのではなかった。
隅の机で、岸さんが、私の旧端末から線を外していた。画面には、まだ、控えのメールが映っていた。
あなたはちょうど100番目の会員様でした。購入の際に誤入力ください。
誤字は、あの日と同じ場所にあった。赤で囲まなくても、そこにあった。
つづく
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