第3話

休憩が終わり、四人はまた歩いた。


今度は透と直人が先頭だった。


圭太は少し離れて後ろを歩いた。


美咲はそのさらに後ろをついていった。


透と直人は缶の飲み物を飲んでいた。


缶を開けたとき、ぷしゅっと大きな音がした。


「甘っ!」


「何味?」


「分かんねえ!」


「一口」


「ほら」


「うわ、何これ!」


二人はずっと笑っていた。


さっきまで疲れていたのが嘘みたいだった。


歩くのも速くなった。


ときどき走り出した。


金貨の山があると蹴って崩した。


硬貨が畳へ散らばり、しゃらしゃらと音を立てる。


「金持ちー!」


「王様ー!」


「俺、ここ住むわ!」


「学校行かなくていいじゃん!」


透が缶を高く掲げた。


「かんぱーい!」


「いえーい!」


二人は缶をぶつけた。


美咲には、酒を飲んで帰ってきたときの父親に少し似ているように見えた。


父親は一緒には住んでいなかったが、たまに会う。


そういう日は、いつもより声が大きくなって、同じ話を何度もする。


直人と透も、さっきから同じことで何度も笑っていた。


圭太はしばらく黙っていた。


けれど、いつの間にかまた三人で話すようになっていた。


いつの間にか、圭太も笑っていた。


それが少しだけ安心だった。


直人は怒ることがある。


圭太は人を怒らせる。


でも学校ではいつもそうなのだろう。


喧嘩しても、次の日には同じ場所にいる。


だから、美咲もそのことを忘れた。


どれくらい歩いたのか分からない。


足が痛くなった。


「お兄ちゃん」


呼んでも返事がなかった。


「お兄ちゃん」


「何」


「足痛い」


「ちょっとくらい我慢しろ」


「でも」


「うるさいな」


直人は振り返らなかった。


そのころには、三人が横に並んで歩いていた。


透。


直人。


圭太。


その後ろを、美咲が一人で歩いた。


何かがおかしい。


そう思ったのは、話の途中だった。


「もうさ」


透が言った。


「圭太、いらなくね?」


美咲は顔を上げた。


圭太は隣にいる。


「分かる」


直人が言った。


「馬鹿だし調子乗りだし、一回死んだほうがいいって」


「分かる分かる」


圭太が言った。


美咲は足を止めそうになった。


三人は歩き続けている。


「死んだほうがいい。ほんとに」


「賛成賛成」


「な?」


「うん」


「じゃあさ」


圭太が楽しそうに言った。


「次に噴水見つけたら、ナイフで殺しちゃおうぜ」


「いいじゃん!」


直人が笑った。


「死刑?」


「死刑!」


「賛成賛成」


透も笑った。


三人とも笑っている。


美咲は何も言えなかった。


今、誰の話をしているのか分からなくなった。


圭太を殺す話をしている。


それは分かる。


でも圭太もそこにいる。


圭太も笑っている。


「どうやって殺す?」


「腹刺す?」


「首じゃね?」


「首って死ぬ?」


「死ぬだろ」


「何回?」


「いっぱい」


「俺、押さえるわ」


「じゃあ直人押さえて」


「圭太逃げるかな」


「逃げるだろ」


「俺、逃げる逃げる!」


圭太が笑った。


「絶対逃げる!」


「じゃあ足から刺す?」


「いいじゃん!」


「賛成賛成!」


笑い声が響いた。


美咲の手が冷たくなった。


「ねえ」


誰も聞かなかった。


「お兄ちゃん」


直人は前を見ていた。


目がきらきらしていた。


遠足の日みたいに楽しそうだった。


美咲は兄の横顔を知っている。


怒っているとき。


眠いとき。


ゲームで負けたとき。


母親に怒られて黙っているとき。


今の顔は、そのどれでもなかった。


嬉しそうだった。


本当に、楽しみにしていた。


圭太を殺すことを。


「噴水!」


透が叫んだ。


ずっと向こうに白いものが見えた。


畳の上に、丸い噴水があった。


中央に女の彫像が立っている。


両腕で大きな水甕を抱えている。


甕から透明な水が流れ落ちていた。


三人が歓声を上げた。


「きたあああ!」


「死刑しっこー!!!」


「やっほぉおおおおお!」


走り出した。


殺されるはずの圭太が、一番楽しそうに走っていた。


「待って!」


美咲は叫んだ。


三人は止まらない。


透が走りながらポケットへ手を入れた。


銀色のナイフが見えた。


その瞬間、美咲は別のことを思い出した。


去年の夏。


家の前で直人が虫を捕まえていた。


細長い緑色の虫だった。


美咲は名前を知らなかった。


直人は友達としゃがみ込み、その虫の脚を一本ずつ取っていた。


なぜそんなことをするのか訊いた。


「どこまで動けるか見る」


直人はそう言った。


虫は脚が減っても動いた。


直人は笑っていた。


美咲が泣いたら、


「虫じゃん」


と言った。


あのときの顔と、今の顔は違う。


でも美咲には急に同じに見えた。


「お兄ちゃん!」


三人はもう噴水の近くまで行っていた。


「あたし先に帰る!」


美咲は叫んだ。


兄は振り返らなかった。


「あたし帰るから!」


声が広い場所へ消えた。


美咲は反対へ走った。


どこから来たのか分からない。


それでも走った。


畳。


水路。


金貨の山。


彫像。


どれも同じ。


足がもつれそうになった。


水路を跨ぎ損ねて、靴が濡れた。


冷たかった。


泣きながら走った。


「やだ、やだ」


後ろを見た。


誰もいない。


兄の声も聞こえない。


走った。


さっき通った場所なのか、新しい場所なのか分からない。


羽のある女の彫像。


金貨。


銀の杯。


小川。


畳。


また彫像。


「お兄ちゃん」


呼んだ。


誰も答えない。


帰りたい。


母親に会いたかった。


もやしを勝手に持ってきたことを謝る。


廃墟に入ったことも謝る。


兄についてきたことも謝る。


だから家へ帰りたかった。


涙で前が見えなくなった。


足が痛かった。


息が苦しかった。


それでも止まれなかった。


どこかで声がした。


「おーい」


美咲は止まった。


息を吸った。


「おーい!」


子供の声だった。


兄ではない。


透でも圭太でもない。


女の子だった。


遠くで、小さな人影が手を振っていた。


「おーい!」


こちらへ来る。


美咲は目をこすった。


女の子だった。


自分より少し大きいかもしれない。


黒い髪。


肩くらいまで。


ピンク色のTシャツ。


胸のところに、目の大きなアニメの女の子が印刷されていた。


その女の子が、こちらへ向かって走ってくる。


女の子には、腰から下がなかった。


ピンク色のTシャツの裾から下に、何もない。


脚も。


スカートも。


血も。


何もない。


それでも女の子は走ってきた。


手を振りながら。


「おーい!」


近づいてきた。


美咲はその先のことを覚えていない。


     *


その日の夜、美咲は古い社宅から少し離れた道路脇で見つかった。


近所の人が泣き声を聞いた。


午後九時を過ぎていた。


美咲は裸足だった。


靴がどこへ行ったのかは今も分からない。


服の裾が濡れていた。


ポシェットには、破れたもやしの袋が入っていた。


中身はほとんどなかった。


兄の直人。


久世透。


田辺圭太。


三人はその日からいなくなった。


廃社宅はその夜から警察に囲まれた。


翌朝には大勢の人が入った。


階段。


部屋。


押し入れ。


床下。


屋上。


周辺の藪。


古い排水設備。


何日も調べた。


三階の踊り場も調べた。


何もなかった。


時空の歪みなどなかった。


ただの壁だった。


美咲は何度もそこへ連れていかれた。


「ここ?」


そう訊かれた。


「ここ」


指を差した。


「この壁?」


「うん」


「このあたり?」


「ここ」


警察官が壁を叩いた。


こん、こん、と固い音がした。


裏側も調べた。


何もなかった。


「本当にここだった?」


「ここ」


「違う階じゃない?」


「ここ」


「別の建物だった可能性は?」


「ここだもん!」


大きな声を出すと、また大人たちは優しい顔になった。


「分かったよ」


分かっていない。


美咲には分かった。


金貨も見せた。


あの日ポケットへ入れた、王冠の絵の金貨。


裏には髑髏。


警察官は最初、それを玩具だと思った。


けれど調べるために持っていった。


帰ってこなかった。


母親が何度か訊いたが、


「現在も調査中です」


と言われた。


あとで美咲は、母親が電話で、


「でも本物だったんでしょう?」


と言っているのを聞いた。


「純度がどうとか、そういう話じゃなくて。あの子がどこで拾ったのかって聞いてるんです」


母親の声は震えていた。


その日の夜、美咲は少しだけ、母親も信じ始めたのかと思った。


でも違った。


「美咲」


電話を切った母親が、美咲の前にしゃがんだ。


「もう無理して思い出さなくていいよ」


「無理してない」


「うん」


「あそこにあったの」


「うん」


「お兄ちゃんたち、まだいるかもしれない」


「うん」


「だから探して」


「探してるよ」


「違う。黄金のところ」


母親は黙った。


その顔を見て、美咲は何も言わなくなった。


ピンクのTシャツの女の子について話したのは、それからだった。


警察官が紙を見ながら質問した。


髪はどれくらいだったか。


何歳くらいに見えたか。


服は。


顔は。


美咲は覚えている範囲で答えた。


数日後、知らない女の人が家へ来た。


母親と別の部屋で長く話した。


帰るとき、その人は泣いていた。


美咲は後で知った。


昔、この近くで女の子が一人いなくなっていた。


七歳。


行方不明になった日の服は、ピンク色のTシャツ。


胸に当時流行っていたアニメの女の子が印刷されていた。


美咲が話した顔立ちも、よく似ていたらしい。


それでも、大人たちは黄金の場所を信じなかった。


「どこかで写真を見たんじゃないか」


「ニュースで記憶していたのかもしれない」


「何か別の出来事と混同している可能性がある」


そういう言葉が増えた。


誰も、美咲を嘘つきとは言わなかった。


嘘つきと言われたほうが、まだよかった。


嘘じゃない、と怒ればいいからだ。


けれど大人たちは、美咲が嘘をついているとは思っていない。


本当にそう見えたのだろう。


本当にそう思っているのだろう。


怖かったから。


混乱したから。


兄がいなくなったから。


だから、ないものを見た。


そう思っている。


秋になった。


廃社宅には新しいフェンスができた。


立入禁止の看板が増えた。


やがて建物そのものを壊す話が出た。


兄のランドセルは玄関近くの棚に置かれたままだった。


母親は片づけなかった。


ゲーム機も、机の教科書も、脱いだまま椅子に掛けてあったパーカーも、そのままだった。


冷蔵庫には、もやしが入っている日があった。


母親が買ってきた普通のもやしだった。


美咲は食べなかった。


一度、夕食に炒めたもやしが出た。


母親が皿へ取り分けようとしたとき、美咲は首を振った。


「いらない」


「嫌いだった?」


「いらない」


母親は何も言わなかった。


兄なら、


「食えよ」


と言ったかもしれない。


兄は、美咲に優しくなかった。


歩くのも速かった。


母親に面倒を見ろと言われなければ、一緒に連れていこうとはしなかった。


お菓子を勝手に食べた。


テレビのチャンネルを変えた。


ゲームをしているときに話しかけると怒った。


虫の脚をもいだ。


圭太を嫌っていた。


圭太に落としたもやしを食べろと言った。


それでも美咲は、兄が嫌いではなかった。


いなくなってほしいと思ったこともなかった。


だから今でも、ときどき考える。


あの噴水のところで何が起きたのか。


透は本当にナイフを使ったのか。


直人は圭太を押さえたのか。


圭太は逃げたのか。


それとも、笑ったままだったのか。


そのあと三人はどうしたのか。


今も畳の上を歩いているのか。


黄金の山の向こうにいるのか。


白い蛇を見つけたのか。


もっと奥へ行ったのか。


美咲には分からない。


大人たちにも分からない。


ただ一つだけ、美咲には分かっている。


大人たちは、自分の話を信じていない。


金貨が本物でも。


兄たち三人が本当に消えても。


ピンクのTシャツを着た女の子が、昔いなくなった女の子とよく似ていても。


あの場所を見ていない大人たちは、そこが存在するとは信じない。


だから、島田美咲は大人を信じていない。

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放課後黄金宮殿 字幕派アザラシ @jimakuhaazarashi

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