まだ踏んでいないほうが、少なくなっていた。


 波が低くなったせいだ。

 くぐって通っていた場所と、迂回していた場所の区別が消えて、地面はひと続きになりつつある。


 少女は、いちばん高い波に登った。

 いちばん高いところで、少女の背丈程しかない。


 地球は正面にある。


 指の幅で、二本。


 少女は立っていた。

 数えるものが、なくなっていた。

 どれくらい立っていたのかは、数えていない。


 足元で、塩が動いた。


 粒が向きを揃える。

 角の尖ったほうが、すべて上を向く。

 揃いきったところで、粒が地面を離れた。

 上へ行くほど速くなる。


 数えはじめて、途中でやめた。

 速さが一定ではない。


 白い柱が、空へ向かって伸びていく。


 柱の中は動いている。

 塩が下から上へ流れている。

 それだけのものが、地球のほうへまっすぐ立った。


 少女は空を見上げた。


 白い渦が、動いている。


 巻き方が、測ってきた形ではない。

 青い面の上を影がひとつ、端から端へ渡っていく。

 渡りきったあと、その下の海の色が、さっきより濃くなっていた。


 兎の記憶の中の海と、同じ動き方だった。


 少女は足を上げた。

 柱の流れが止まる。

 足を戻した。

 また流れる。

 二度そうして、二度とも同じだった。


 動かしているのは、自分の重さだ。

 乗っているあいだだけ、この世界は上へ流れる。


 少女は柱から降りた。

 昇っていた塩が止まり、粉が降ってくる。


 振り返ると、兎たちが薄くなっていた。

 輪郭が残ったまま、中の白さだけが抜けている。

 向こう側の星が、毛を通して見える。

 しばらくすると、白さが戻る。

 戻りきったのかどうかは、分からなかった。


 少女は腕を伸ばし、指を立てて、測った。


 指の幅で、一本と半分。


 触れれば減る。

 減ったぶんは自分に入る。

 この柱では、そうならない。


 少女は空を見た。

 地球がある。

 地球へ向かう塩がある。

 帯に入っていた言葉がある。


 ――自分は、この世界が地球に触れるための手だ。


 どうやって帰るのかは、帯に入っていなかった。

 方法は、立っていることだ。

 乗って、動かないでいればいい。


 半分は、もう戻らない。


 少女は、自分の前に二つしかないものを並べた。


 乗れば、この世界は空になる。

 兎は輪郭だけになり、波は消え、塩は残らない。

 そのかわり、あの星の海が動きだす。

 丸の中で犬が跳ね、皿が並べられ、誰かが誰かの名前を呼ぶ。


 乗らなければ、この世界はもう少し時間をかけて空になる。

 それだけだ。

 あの星の海は、二度と動かない。


 違うのは、そのとき、あの星の海が動いているかどうかだけだ。


 少女は何度も並べ直した。

 並べ直すたびに、同じところへ着く。


 ――乗るほうが、正しい。


 数えられるかぎりのものを数えて、少女はそう結論した。


 柱に乗った。


 塩が流れはじめる。

 足の裏から、細かい振動が伝わってくる。

 少女は動かずにいた。

 動かないことが、方法だった。


 兎たちの輪郭から、白が抜けていく。

 地面の波が低くなり、遠くの波から順に、うねりが均されていく。

 空では、白い渦がほどけながら巻き直り、青の色が深くなっていく。


 少女は測った。

 一本と半分が、一本と少しになった。


 そのとき、兎が鳴いた。

 少女は、この世界で兎の声を聞いたことがない。

 長さを数えようとした。


 数が、来ない。

 一が来て、一が来て、その先が続かない。


 順番。


 数えてから、動く。

 いつもそうしてきた。

 数えてから。


 数えて――


 気がつくと、少女は柱を降りていた。


 足が先に動いたのは、初めてだった。


 塩が止まり、粉が降り、世界は静かになった。

 兎たちの輪郭に、白がゆっくり戻っていく。

 戻りきらないものが、いくつもあった。


 少女は腕を伸ばし、指を立てた。


 一本と、少し。


 半分よりも多くが、もう戻らない。


 鳴いた兎を探した。

 分からなかった。

 どの兎も同じ白で、どの口も閉じている。

 鳴き声は一度きりで、二度目はなかった。


 少女はそれを、勘定に入れようとした。


 入らなかった。


 柱の値段は測ってある。

 二度立って、二度とも同じだった。

 一度きりの鳴き声には、比べる相手がない。

 測っていないものを、測ったものの隣に置くことはできない。


 勘定は変わらない。


 ――乗るほうが、正しい。


 結論は、そのままそこにある。

 少女はそれを持ったまま、乗り直さなかった。


 理由は、ない。

 あるのは、先に動いた足だけだった。

 足は、勘定のどこにも入っていない。


 あの星の海は、このまま二度と動かないのかもしれない。

 犬は跳ねず、皿は並べられず、誰も誰かの名前を呼ばない。

 それを決めたのは自分だ、ということになる。


 決めたことを報告する相手は、この世界のどこにもいなかった。


 柱にいつまで乗れるのかも、分からない。

 世界は少しずつ、あの星から離れている。

 それも、小箱に入れた。


 少女は柱に背を向けて歩いた。


 まだ踏んでいないほうは、もうほとんど残っていない。

 少女は初めて、自分の足跡の上を歩いた。


 歩きにくい。

 歩きにくいことは、知っていたとおりだった。


 そうして歩くうちに、白い大地の上に、緑を見つけた。


 小さい。

 指の先ほどしかない。

 塩の割れ目から、二枚だけ葉を出している。


 少女はしゃがんだ。


 手を伸ばしかけて、途中でやめた。

 触れれば見えてしまう。

 見えたぶんだけ減る。

 それはもう、値段を知っている減り方だ。


 膝の上に手を戻して、少女は自分の中を探した。


 丸の中の雪がある。

 犬がいる。

 石がある。

 氷の味がある。

 海がある。

 月がある。


 この芽は、ない。


 数えられないほど入っているもののなかに、これはひとつも混ざっていない。

 覚えていた者はいない。


 なのに、ここにある。


 少女は割れ目のふちを見た。


 水のことを思い出す。

 この大地に水があったのは、一度きりだ。

 場所は、数に変えてある。


 いちばん深い割れ目。

 降り口の岩が、三つ。


 ここではない。

 ここの割れ目は浅く、岩はひとつもない。


 あの水では、ない。


 この芽の出どころは、少女の持っているどの数からも、出てこなかった。


 少女はもう一度、手を伸ばせるいちばん高いところで塩をひとつまみ持って、離した。

 数えた。


 十六。


 前は十二だった。

 高さも量も、体で揃えてある。

 この世界は、少女を落とす力を失いつつあった。


 兎を数えた。

 朝が二つ、必要だった。


 二百九十。


 二つの数は、同じ向きに動いていた。


 勘定は、それでも変わらない。


 二枚の葉。

 一度きりの鳴き声。

 先に動いた足。


 どれも、測ったものの隣に置ける数を持っていない。

 小箱の重さだけが、増えていく。


 少女は手を後ろで組んだ。

 もう、触れないためだ。


 箱は白い海に置いたままにした。

 つまみを逆に回し、帯を頭まで巻き戻してから、置いた。

 次に来たときに、また鳴らせるように。


 少女は首の後ろに手をやった。


 結び目は固かった。

 指が二度滑り、三度目でほどけた。


 自分で結んだのなら、こんなには固くならない。

 誰かが結んだのかもしれない。

 触れても何も見えない紐に、確かめる方法はない。

 少女はそれも、小箱に入れた。


 赤い布は、思っていたより長かった。


 少女はそれを、芽のそばの割れ目に結んだ。

 風がないので、布は垂れたまま動かない。

 垂れたまま、白いもののあいだで赤い。


 目印だ。

 次に来たときに、ここが分かるように。


 少女は初めて、同じ道をもう一度通るつもりでいる。


 空には地球がある。


 少女は腕を伸ばして、指を立てた。


 一本と、少し。


 数は、変わっていない。

 指の幅は、粗い目盛りだ。

 この目盛りが次に動くとき、細くなる向きにしか動かないことだけが、決まっている。


 少女は、しばらく腕を下ろさなかった。

 下ろす理由なら、いくつでも数えられる。

 数え終えてから、下ろした。


 それから、赤いものの前にしゃがんで、葉を数えた。


 二。


 明日も数える。


 ――測れるものは、変わったときに、変わったと言える。


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月のない海で、兎は地球を見上げる。 裡桜 @Boon56228

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