第9話 五つの空き場所

 最初の失敗は、石を頭の上へ出そうとしたことだった。


『やめろ』


 鋭い声に、コンラートは反射的に手を下ろした。


 意識の中にあった石が、物置の床へ現れる。拳ほどの大きさでも、木の板へ落ちると重い音がした。


「危なかった……手に戻すつもりだったのに」


『落とした』


「次は落とさない」


『つぎも?』


 言い返す言葉はなく、コンラートは石を拾い上げ、頭ではなく床の上へ出す練習に戻った。


 触れた物が音もなく消え、念じればまた現れる。何度試しても、その瞬間だけは胸が浮き立った。前世なら手品でしか見られなかったことを、自分の手で起こしている。


 だからこそ、頭へ石を落として終わりにはしたくない。札には、何がどれだけ入るかも、安全な取り出し方も書かれていなかった。


 屋敷の外れにある古い物置なら、使っていない桶や壊れた椅子、空の木箱しかない。扉には内側から掛け金を下ろせて、窓も高い。人に見られず試すには都合がよかった。


 床へ並べたのは積み木、小石の袋、水筒、布袋だった。端には、生きた虫を入れた瓶と、床へ釘で固定した木片も置いてある。


「よし、順番に試してみよう。何ができるか、全部知りたい」


『ぜんぶ、いれろ』


「駄目だ。一度に入れたら、どれで失敗したのか分からないだろ」


『つまらない』


「僕は楽しいけどな。物が消えるんだぞ。それに、怪我はしたくない」


 積み木を一つずつ入れてみる。一つ目から五つ目までは消えたが、六つ目だけが手の中に残る。札の奥に、空きがないという感覚が返った。


「五つか。じゃあ、一つ出したらどうなる?」


 一つ取り出すと、新しい積み木が入った。同じ形でも、裸なら一個ずつ場所を使う。


 今度は10個の積み木を布袋へ詰め、口を固く縛った。袋ごと触れると、10個まとめて一か所へ入る。口を開けたままでは入らず、縛り直すと消えた。


「10個を裸で入れるなら10枠。閉じた袋なら1枠か。荷造りを考えるのも面白そうだ」


『袋に、ぜんぶいれろ』


「何でも一緒にはできない。中で混ざったら困るだろ」


 続いて虫の瓶へ触れ、収納を念じた。瓶だけが手から消えかけ、すぐに戻る。中で虫が動いている限り、入らないらしい。


 蓋を開け、虫を逃がす。空になった瓶は収納できた。床へ打ちつけた木片も入らず、釘を抜いて触れると入った。離れた場所に置いた石へ手を伸ばさず念じても、何も起こらない。


「生き物は入らないのか。そこまで見分けるんだな」


『死んだ虫は?』


「それは試さない」


『どうして』


「確かめるためだけに殺すのは嫌だ」


『虫だぞ』


「虫を怖がっていたのはお前だろ」


『こわくない!』


 クロムが声を荒げた。コンラートは笑いながら、次の道具を出した。


     ◇


 容量を量るには、台所から借りた秤と升を使った。母には、数字の勉強をしたいと頼んである。嘘ではない。使用人が物置の入口まで道具を運び、中で一人になることだけは、考え事をしたいと言って許してもらった。


 丈夫な革袋へ石を1キロ入れ、口を縛って収納する。いったん取り出して1キロ足し、また口を縛る。それを何度も繰り返した。


 10キロでも問題なく入る。11キロ、12キロも収納できた。13キロへ増やした袋だけが消えず、手の中に残った。正確には、収納の入口で押し返される感覚だった。無理に念じると胸の内側から魔力が抜け、指先が震える。


「12キロまで入った。でも、13キロは入らないんだ」


 震える指とは反対に、声が弾んだ。


『もっと、いれろ』


「入りそうならやってる。これ以上は無理みたいだ」


『石をへらして、水』


 石を全部出し、今度は空の革袋へ升で水を入れた。1升ずつ量っては口を縛り、収納する。11リットルを少し超えたところで、革袋ごと押し返された。ただし袋にも重さがある。これだけでは、重さと容積のどちらが限界に達したのか分からない。


 そこで同じ大きさの小箱を4つ用意し、軽い乾燥布を隙間なく詰めた。1箱、2箱、3箱までは入る。4箱目は、角一つ消えずに丸ごと押し返された。


 箱の外寸を、ゲオルクに教わった方法で掛け合わせる。1箱がおよそ12リットルで、3箱なら36リットルだった。


 重さは12キロ、容積は36リットルほど。どちらかへ先に達すれば、それ以上は入らない。荷車には遠いが、小箱といくつかの道具なら運べる。


 3箱を出すと、胸の奥に空腹に似た冷たさが残った。中へ置いておくことではなく、出し入れそのものに魔力を使った感覚だった。


 休んでから、12キロの石袋を入れては出す動作を繰り返した。四度目で指先がしびれ、六度目には頭の奥が脈打ち始める。


『もう、やめろ』


 クロムが言う。


「もう中には残ってない」


『じゃあ、おわりだ』


「一日に何回までか、もう少し――」


『そのあと、だれが歩く』


 同じ体なのだから、コンラートが倒れればクロムも物置から出られない。もっともな指摘だった。頭痛が消えるまでは、扉の近くへ座って休むしかない。


「今日はここまでだ。続きは日を分けて試そう」


『やめる、じゃないのか』


「やめるわけないだろ。せっかく魔法が使えるんだ」


 座り込んだまま、コンラートは口元を緩めた。


『つまらない実験は、きらいだ』


 クロムの声からは、さっきまでの刺々しさが消えていた。


 穀物袋なら一つにも満たない。


『役にたたない』


「そんなことない。薬も手紙も、これなら濡らさず運べる」


『石も』


「石はもういい。危ないから、頭の上には出すなよ」


『おまえが、した』


 コンラートは記録へ「取り出す場所に注意」と大きく書いた。


 出し入れの瞬間だけ、愚者の札がわずかに明るくなる。他の黒い札へ意識を向けると、札を置けそうな場所が3つあった。


 愚者はそこへ入らず、もっと手前で常につながっている。今は他の札が開いていないので3つとも空だが、いずれは何を同時に使うか考えることになりそうだった。


     ◇


 最後に、収納の中で時間が進むかを試した。


 台所から受け取ったばかりの丸パンを二つ用意する。一つは皿へ置き、もう一つは収納する。側面に目印を付けた短いろうそくを灯し、炎が次の印へ届くまで待った。


 取り出したパンへ触れると、温かくなかった。皿のパンと比べても、ほとんど同じ冷たさだった。割ると内側の湯気も消えている。


「冷たい。時間は止まらないのか」


『食べる』


「どっちがいい?」


『あたたかい方』


「残念だけど、どっちも冷めた」


 腹の奥で、クロムが呆れたように唸った。


『おまえのせいだ』


「仕方ないだろ。すぐ出したら、分からない」


『冷たい』


「僕が食べれば、お前にも味は分かるだろ」


『おれが、がまんする』


 コンラートは笑うしかなかった。一つを布へ包んで収納し、借りた升や革袋も順に入れていく。もう一つは割って口へ入れた。固くはなっていない。味も変わらない。ただ冷めただけだった。


 それでも、何もない場所からパンが現れた瞬間には、つい口元が緩む。


『なにを笑ってる』


「やっぱり、魔法は面白い」


『冷たいパンだぞ』


「それでもだよ」


 中でも時間が進むなら、生肉はいずれ腐り、薬も古くなる。温かい食事の保存には使えない。それでも火口や書類を雨から守り、小さな道具をなくさず運ぶことはできそうだった。


 コンラートは実験記録を折り、外から見えないよう服の内側へ入れた。紙も収納しようとしたが、5つの場所はすでに埋まっている。何か一つ出さない限り、紙は入らない。


『はやく食べろ』


「お前が文句を言うから遅いんだ」


『おれは悪魔だ。冷たいパンは食わない』


 腹の奥で、言葉とは裏腹にクロムが鳴いた。コンラートは苦笑いしながら、残りを口へ押し込んだ。

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愚者と悪魔の異世界生存戦略 ―アルカナに呪われた悪役貴族の跡取りと、アルカナ嫌いの番人― アルモア @gramglan

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