第8話 はて籠釣瓶はよく斬れるなあ
四十九日も終わり、ようやく母とわたしの気持ちの整理もつき始めたころ。わたしは現実の厳しさに直面せざるを得なくなった。
稽古中に倒れた父は、そのまま意識を取り戻すことなく他界した。享年53歳。
13年前に大病して以降は、健康そのものだったので、まさに青天の霹靂だった。
父の死は悲しかった。だけど父が残した現実的な問題は、わたしたちを悲しみに浸らせてくれなかった。
我が家は江戸時代から代々続く歌舞伎の名門。都内に稽古場も備えた広大な邸宅も構えている。外から見れば裕福に見えるかもしれないが、その内情は火の車だ。
歌舞伎興行を行うためにはお金がかかる。興行を行うとなれば、衣装や大道具・小道具の調達、それにお弟子さんの面倒まで、羽根が生えたようにお金が出て行く。
父は一座の座頭として興行の費用のほとんどを賄ってきた。しかも父が急死したことにより予定していた興業が中止になり、その費用を賄うはずのチケットも払い戻すことになった。
ほとんど唯一の財産である自宅には、その評価額以上の抵当権が設定されており、それ以外にも興行会社からの借金が山のようにある。
それでも、仁村寿濤の名跡と借金の連帯保証を受け継ぐ後継者がいればなんとかなっただろう。
しかし、父が後継者に擬していた弟はわずか8歳。しかもその母親である父の愛人が莫大な借金におそれをなし、さっさと相続放棄をして逃げ出してしまった。
「お母さん、どうしようか……」
「……」
父の死以来、母はすっかり虚脱状態になってしまった。
無理もない。父の愛人の存在、隠し子、それから父の突然の死に借金……。
お嬢さん育ちの母の精神は、立て続けに続く不幸に押し潰されてしまった。
こうなると、わたしがしっかりするしかない。だけど一体どうしたら……?
借金から逃げ出すだけなら簡単だ。わたしも母も相続放棄すればいい。
だけど、それは江戸時代から400年近く続く歌舞伎の名門、仁村宗家が断絶すること意味する。この家に生まれたわたしは、それがどれだけ重いことかわかっている。
だから、それは避けたいけど、現実問題としてどうしたらいい?
これからでも、わたしが有望な歌舞伎役者の婿を迎えて家を継いでもらえれば解決できるはず。
だけど、そんな物好き、どこにいるのか……?
絶望に押しつぶされそうになりながら、ダイニングのテーブルに突っ伏していると、遠くから小さく「すみません、すみません」という小さな声が聞こえて来た。
なんだろう?うちの前に違法駐車でもされてるんだろうか?
窓から顔を出すと、家の前の路上にスーツを着た彼が立っていた。
「花凛さん、お久しぶりです」
「宗一郎、なにしてんの?うちに用事があるんだったら、インターフォン鳴らしなよ」
「すみません。先代からこの家の敷居を跨ぐなと言われていたので……」
「そんなんもう関係ないでしょ。当主代理のわたしが許すから玄関からあがってきなよ」
家にあげると、宗一郎はそのまま仏間に入り、父の位牌にお線香をあげたあと、わたしに深く頭を下げた。
「この度は急なことで、お悔み申し上げます。すみません。もっと早くに弔問にうかがうべきでしたのに……」
「いいよ。父があんたを追い出したようなもんだし。むしろよく来てくれたよ」
この家を出てから3年あまり。宗一郎は少し精悍になった気がする。この家に居た時は、いつも控えめで謙虚が過ぎてイライラするくらいだったけど、今は自信に満ちて、何やら芸能人らしいオーラも感じる。
「ところで御曹司にも挨拶をしたいのですが、今日は御在宅ですか」
「ああ、弟のこと?あいつなら相続放棄して家を出て行ったよ」
わたしの言葉に宗一郎は目を見開き、それからわなわなと震え出した。
「そうですか……。そうすると、この伝統ある仁村宗家はどうされるのですか?」
「いや~そうなんだよね~。父が急に亡くなったら、潮が引くようにさっと人がいなくなっちゃってさ。跡継ぎはいなくなるし、残ったのは莫大な借金と母とわたしだけ。もうやんなっちゃうよね~。あ~あ、これはもうお家断絶しかないかな~って。ハハッ……あれっ?」
深刻な話をするのが嫌だったので、ことさらに冗談めかした口調で話したつもりだった。だけど、宗一郎が唇を噛みながら怖い顔をしているのに気付き、慌てて言葉を濁す。
「でもさ、しょうがないよ。この不景気な世の中で、何億もの借金と、それから母とわたしの女二人を引き受けてまで、歌舞伎役者の家を引き継ごうなんて奇特な奴は現れないって。時代の流れだし仕方ない。ご先祖様も納得してくれるよ」
仏間に掛けられた歴代の仁村寿濤の遺影を見回しながらそう嘯いた。ここで仁村家が断絶するのはご先祖様に申し訳ない。だけど万策尽きたわけだし、きっとご先祖様もわかってくれる。
「花凛さん……」
ふいに宗一郎が畳に手をついた。しかし頭は下げず、視線だけは真っ直ぐにこちらを見ている。
「私と結婚してください」
「ふえぇっ!!」
冗談か?そうだとすれば悪趣味だ。そう言おうとしたけど、真っ直ぐこちらを見据える宗一郎の眼には一点の曇りもない。
「先代には、天涯孤独で路頭に迷っていた私を拾っていただき、一時は仁村宗家の後継の声を掛けていただきました。私の不徳の致すところで、先代のお眼鏡には適いませんでしたが、その後、必死で精進して芸を磨き、いくらかはましになったと思います。今こそ、先代の期待に応えるべき時です」
「それにしたって、えっ?わたしと結婚して家を継ぐなんて……そしたらこの家の莫大な借金も背負うことになるんだよ、何を好き好んで……」
わざわざそんな苦労を背負いこむ必要なんてないじゃん、と続けようとしたところで、宗一郎がずいっとにじり寄った。
「私が好き好んでいるのは、花凛さんのことです」
「えっ、えぇ?」
「女形の芸で壁にぶつかり、もがき苦しんでいた時期に耐えられたのも、何とか壁を越えられたのも花凛さんのおかげです。この家を出ることになった時、一番の心残りは花凛さんのことでした。不謹慎を覚悟で申し上げます。この家よりも、名跡よりも、私には花凛さんが必要なんです!!」
宗一郎の熱すぎる視線に耐えられず、視線を逸らすと、おじいちゃん、先々代仁村寿濤の遺影と目が合った。宗一郎の申出を受ければ仁村の血と芸は受け継がれる。借金も何とか待ってもらえるだろう。
それに……それにここまで想われているのだ。女として嬉しくないことがあろうか……。
気づけば、わたしは宗一郎の手を取っていた。これまでとは心を入れ替えて、ただ宗一郎のことだけを一途に想う妻となろうと決意しながら。
◇
「はぁ~、疲れた」
俺は家に帰ると、ソファに倒れ込んだ。
「お疲れ様。結婚の準備はどう?」
台所から微笑みながら彼女が冷えた麦茶を持ってきてくれた。暑い日はやはりこれだ。やっぱり敦子はよくわかってる。
「興行会社に、幹部連中に、後援会に、ご贔屓筋……堅苦しい挨拶ばっかで、肩の筋肉が固まっちまいそうだ」
「もうちょっとの我慢でしょ。あと少しで手に入るんだから」
取り成すようにそう言うと彼女は黙って肩をマッサージをしてくれた。
「しかし、ここまでやらなきゃいけないかな~。こんなことしなくても、映画で注目されたわけだし、芸を磨いていけば、歌舞伎役者としてもそのうち認められると思うけど」
「それは羽村梅雪一座の脇役としてでしょ。宗ちゃんの芸は脇役なんかじゃない。歴史に名を残す名優になるためには大名跡を手に入れないと……」
彼女が口元だけで微笑む。出会った頃から変わらない、地味だけど人当たりのよい笑顔。だけど真意を知ってる俺からすれば何か含みのある恐ろしさを感じる。
「でも、お前はそれでいいのか?俺が花凛と結婚することになるわけだし……」
不意に彼女が背後から俺に腕を回し、首元にキスをした。
「大丈夫よ。それは芸と名を受け継ぐための形だけのもの。恋だの愛だのは別にすればいい。それにね……」
彼女は俺から身を離し、また口元だけで微笑んだ。
「それぐらい我慢しなきゃ。あなたが、そして私たちのかわいい子どもが、あの仁村寿濤を受け継いでいけるならね」
彼女の深謀に身震いがした。これが、かつて花凛が言っていた女の内面なのか。
「はて、籠釣瓶はよく切れるなぁ……」
思わず、籠釣瓶花街酔醒のエンディング、次郎左衛門のセリフをつぶやいていた。
ーー
(*)籠釣瓶は、劇中の歌舞伎に登場する名刀の名前です。
【中編・全8話】芸のためなら、あなたを泣かす 行木カナデ @Yourekey
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