第8話

 …私たちは、もっと早く話し合うべきだった。


 レオンは、ずっとサボってきたわけじゃない。


 ずっと苦しい中で…うつ病という病気の中でもがいていた。


 私はそれに気付けず、サボり癖があると揶揄した。

レオンが死を選ぶぐらい、私が追い詰めてしまったのだ。


 なのに、レオンは何度も謝った。

私に申し訳ない、と何度も。


 …私が謝る隙間もないぐらいに。


 私たちは、ようやく面と向かって、

お互いの心の内を話すことができた。


 けれど――それで、病気が治ったわけではない。


 これから長い長い、レオンの治療生活が始まる。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「もっとも大事なことは、焦らないことです」


 宮廷医師であるアリマ先生は、私にそう言った。


 今教わっているのは、うつ病患者の支え方について。

私がレオンを支えると決めた以上、最も知るべき課題だった。


「焦らないこと?」


 私が聞き返した。


「…心とは、浮き沈みするものですから」


 優しい笑顔で、アリマ先生は答えた。


「今日は気分が良いからアレをしよう、という事もあれば

今日は気分が乗らなくて、やりたくないな。という日も…ありますよね」


 経験はある。しかし、やりたくない、と言ってやらないのは…。

そう思いかけて、首を振った。

この考えが、レオンを追い詰めたのだと、心に釘を刺した。


 私は尋ねた。


「では…レオンの場合は?」


 アリマ先生は少しだけ考えるように目を伏せた。


「うつ病というのは、単に悲しくなったり、

怠けたくなったりする病気ではありません」


「……」


「心と身体を動かすための力、そのものが落ちてしまうことがあります」


 想像が難しかった。

そんな私を察してか、アリマ先生は続けた。


「たとえば、殿下が『起きなければ』と思ったとします」


「はい」


「起きなければならないことも、頭では理解している。

公務があることも分かっている。

外交があることも分かっている。

食事をしなければ身体に悪いことも分かっている」


「…」


「アレもあるし、コレもある。やらなくちゃいけない。

…それでも、起きれないのが…うつ病なんです」


 なんとなく、わかってきた。


 『やらなければならない』と分かっているのに、何もできなくなる。


 …ある時から、一人で部屋に引きこもったレオン。


 なぜ…部屋から出てこなかったのか。


 私は、答えを口にした。




「…王子だからやらなきゃ、という圧力に…負けたのですね」




「その表現が、概ね正しいかと」


 アリマ先生は頷いた。


 私は…心がまた痛んだ。

王子なのだから、という理由で叱責したことは

…病をさらに悪化させていた…という事実。


 …なら、


「…なら…彼を支えるには…どうしたら」


 アリマ先生は首を横に振った。


「無理して支える必要はありません」


「…えっ」


 呆気に取られてしまった。

支えないといけないのに、治してあげないと…助けてあげないといけないのに。


「早く治そうとすると、殿下にとっては『治らない』が、別の圧力になります」


「あ…」


 もし私が治療を促そうとすると、

治らなかった場合…レオンは自分の責任だと背負い込む。


 だから、焦ってはいけない。


 最初にアリマ先生が言った言葉が反響する。


「…では、…放置しろと?」


「何かをさせることよりも、まずは様子を見ることです」


「様子を…?」


 優しい口調が、胸に刺さった棘を抜いていく。


「今日は食事ができた。今日は眠れた。

少しだけ歩けた。誰かと話すことができた」


 それが治療。レオンは少しずつ休んで

…少しずつ良くなっていく。


 出来ないことが、出来るようになっていく。


「そうした小さな変化を見てあげてください」


「小さな……変化」


 アリマ先生は、優しく微笑んだ。


「ええ。うつ病からの回復は、一足飛びにはいきません。

見守り、出来たことを喜んでやってください」


 ですが、とアリマ先生は続けた。


「昨日できたことが、今日できるとは限りません。

食事を取れた日があれば、次の日はほとんど食べられない事もあるでしょう。

少し歩けたからといって、翌日は動けない、なんてこともあります」


「……はい」


 私は頷いた。


 …長い戦いになりそうだ。それでも…


「…レオンは、治りますよね」


 アリマ先生は安心する笑顔を見せてくれながら、頷いた。


「今のリゼット様なら、支えられますよ」


 その言葉に、私は奮い立った。


 ――…今度こそ、間違えない。


 レオンを『王子』としてではなく、一人の人間として支える。


 それが、今の私に出来る事だった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 レオンが休んでいる間も、公務を回さねばならない。


 私は引き続き、王子と同等の権限をアルベルト殿下から受け、

レオンの代理を務めていた。


 レオンは、アリマ先生の言う通り、

話せる日もあれば、話す元気すら無い時があった。


 とてもじゃないが、公務を回せる状態でもない。

代わりを務めるのは、さすがに慣れてきた頃合いだ。




 つい、先日のことだ。


 使用人を取りまとめる長、家令のセバスが書類を持ってきた。


「リゼット様、備品の購入について決裁をいただきたく」


私はその持ってきた書類を見て…眉をひそめそうになった。


「王宮の備品の購入まで、王子殿下の決裁が必要なのですか?」


 私はセバスに首を傾げた。


 たかだかマッチやロウソクの購入にまで、レオンの判子がいる、

それだけではない、庭園の花の選定から、兵士の人員配置換えまで。


 細かい仕事の数々が、レオンが最終的に承認し、判子を押さねばならない。


 優先度が高いもの、緊急性を含んでいるものになれば、

レオンを急かすことだってあるはずだ。


 私は、このような細かい案件の数々が…、

レオンの精神にかかる圧力であることと睨んだ。


「これまでそういう決まりでしたので……」


 セバスは、申し訳なさそうに眉を垂らす。

年老いたその表情は、哀愁が漂っていた。


「そういう決まり?」


「最終の承認者は、王子殿下であり…それが慣習ですので」


「…」


 何もおかしいことはない、と言わんばかりのセバスの態度。


 …こんな事に、違和感を持たないのだろうか。


 備品の管理よりも、王子がやるべき事は山程ある。

…レオンを、こんな事に時間を取らせるわけにはいかない。


「では、その決まりを変えます」


「え?」


 あっけに取られているセバスに、渡された書類をつき返す。


「王子のハンコは不必要。最終承認者は、貴方で構いません」


「…」


 目を見開いて驚くセバス、手が少し震えているのか、

手に持った書類の角が震えていた。


 私は続ける。


「予算内でやりくり出来るなら

好きに購入してもらって構いません」


「し、しかし…」


「もちろん、いくら使ったか、については

毎月末、まとめて提出してもらいます

…できますね?」


「わ、わかりました。そのようにいたします」


 書類を抱えてセバスは戻っていく。

よく見えはしなかったが、彼の顔は笑顔が浮かんでいたように見える。

…恐らく彼も、いちいちレオンに話を持っていくのが面倒だったのだろう。



これで、またひとつレオンの仕事が、楽になった。


 でも…まだまだ、これからだった。




 私がまず始めたのは、レオンの仕事を減らすことだった。


 王子だからという理由だけで、彼のもとへ集まっていた書類を一つ一つ見直した。


 備品の購入、パーティ会場のデザイン、…あからさまに必要無い責任の押し付け。


 本当に必要な物だけを、…レオンが見て判断する。

そういった仕組み作りに取り組んでいった。





 小規模な修繕は担当部署が判断し、そのまま承認して終了。


 もちろん、金額が大きいものについては、

大臣の承認、王子の承認が必要になる。


 …これも、規模の大きさによっては最終の判断が大臣で構わない。


 あとでいくら使ったかを、大臣から提出してもらい、月末に判断するだけ。





 おかげで、事務室のテーブルの上に乗った書類は綺麗に消えた。





 残った書類といえば、

外務大臣から出た新しい外交における提案書、

財務大臣から出た国境付近の警備報告書、

内務大臣から出た地方からの陳情の報告書。


 以前のような、花の種類選びに王子の判子がいる、というような事は起きなくなった。




 少し休憩し、レオンの様子を見に行けるぐらいには、本当に仕事が減った。


「レオン」


 部屋の前で声をかける。


「入っても?」


「いいよ」


 声をかけると、返ってくる。

部屋に入ると、掛け布団にくるまったレオンが見える。


「今日の具合は如何ですか?」


「…普通」


「良い事です」


 ローテーブルの傍にある椅子に腰かける。

レオンは私の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。

今日は機嫌が良いみたいだ。


 テーブルにある水を、ゆっくりとレオンに飲ませる。

具合が良いと自分で飲むが、基本的には私や侍女が飲ませている。


 焦ってはいけない。

ゆっくりでいい。

アリマ先生の言葉を反芻しながら、日々を過ごしている。


「…リゼ、今日は仕事は?」


 寝たままレオンが声をかける。


「片付けました」


「片付けた?」


 信じられない、というような口調で、目線が私に向く。


「はい、…減らしましたので」


「…減らせるんだ、仕事って」


「ええ。なので今日も、会う事が出来ました」


「…そっか」


 穏やかな口調で、落ち着いた様子を見せた。

きっと、私が無理しているんじゃないか、と不安だったのだろう。


「大丈夫ですよ、レオン。私は、無茶しません」


 レオンの手を取り、自分の前で握りこむ。


「なので、レオンも無茶や無理せず…ゆっくり治してください」


「…」


 レオンの指が、私の手を握る。


「…ありがとう、がんばる」


「ええ、ゆっくり、ですよ」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「リゼット様、これはどういうつもりですかな!」




 レオンの執務室、背もたれの高い回転椅子に座った私を

財務大臣、フリューゲルスは問い詰めてくる。



 以前、予算会議で私を侮辱した男だ。


 アルベルト殿下に、懲戒免職にできないか提案したが

残念なことに謹慎処分だけになってしまった。


 私を侮辱し、レオンを部屋に引きこもらせた一人だが

感情と法律は別だ。それはそれ、これはこれだった。


「…フリューゲルス殿、何の話でしょうか」

「とぼけないでいただきたい!」


 そう言ってフリューゲルスが手に持っていた紙を机に叩きつけた。

何も書かれていない提案書だった。


「…何かおかしな点でも」


「何か!?勝手に書式を変えたではありませんか!」


 フリューゲルスが指さした先には、

提案者の名前を記載する署名欄だ。


 元々ある提案者の欄は、提案書の隅に小さく存在し、

王子の承認印を受ける枠は大きく存在していた。


 まるでレオンが提案し、レオンに全責任があるかのように見える。


「提案者の名前がわかり辛かったので、配置を変えただけです

なにか問題でも?」


「それだと、私に責任があるように思われるではありませんか!」


 おおよそ大臣としてありえない発言に、私は堪えきれず眉を顰めた。


「…責任は無いとでも?」


「…い、いや…」


 さすがにバツが悪いと思ったのか、発言を訂正するフリューゲルス。

しかしこの男はこれで止まらなかった。


「そ、そもそも増税案や、予算増の提案書は

最終的に王子の承認が必要です!

王子に責任があるはずです、よもや責任を逃れようとは!」




 そう、これまでは何か問題が起きれば、


「王太子殿下が承認したから」


の一言で、王子へ追及がやってきて、それで終わってしまう。




 だから新しい書式には、提案者の名前を大きく記載させた。

レオンだけの責任と思わせないように。


「提案した者が、提案についてなんら責任を持たない、

というのも責任逃れなのでは?」


「ぐっ…!」


 そう言うと、フリューゲルスは渋い顔をした。


「さらに言えば、レオンは今休養中ですよね、

…この提案書を後から見て誰に聞けば説明してくれるのか…

わかりやすく書いておく必要があるのでは?」


「…っ」


 フリューゲルスは毛の無い頭部に血管を滲ませながら、必死に反論を搾りだした。


「…こんな事をして、提案が萎縮し、誰も意見しなくなりますぞ」


「責任を取りたくないから萎縮する大臣は、王城に必要ありません」


「…。王子も、萎縮し責任を逃れておりますが」


 苦し紛れのフリューゲルスの一言。

今必死に体を休め、うつ病と戦っている王子を、揶揄する言葉。

思わず、カチン、ときてしまった。


「……。それは、レオンがうつ病で伏せっている、と知っての発言ですか?」


 眉を顰め、低く、圧をかける。


「…精神が弱く、責任から逃れているだけです。王子の器ではない!」


 提案者の署名欄だけで狼狽える奴が、責任を語る。

功績もレオンに劣るような男が、王子の器でないと。

滑稽すぎて、もはや言葉を交わす必要すら感じなくなってしまった。


「では申し上げます、貴方は大臣の器ではございません」


「なっ!?伯爵家の娘のくせに!!」




 その時、執務室の扉の向こうから、声がした。




「はて、おかしいな」






 扉はノックもされずに開かれる。

そこにいたのは…白く蓄えた髭を撫でながらフリューゲルスを睨む…


「…あ、アルベルト…国王殿下…」


「アルベルト殿下」


 私が慌てて礼をしようと立ち上がる所、アルベルト殿下は手で制す。


「よい、…ところで、フリューゲルス」


 くる、と全身をフリューゲルスに向ける。


「何をもって」


 一歩、フリューゲルスに近づく。


「レオンハルトは王子の器ではないと申した?」



「…っ…」


 氷のような言葉に、部屋の温度が下がった感覚が広まる。

しどろもどろになったフリューゲルスは、汗で濡れた頭を撫でて言い訳を考える。


「…それは、その…」


「病気だからか?それとも、自分で判子を押したくせに責任を取らない姿勢か?」


「…そ、そのような事は…」


 言い訳を言う暇すら与えず、圧をかける国王。

…私は、この人が本気で怒った所を、初めて見たような気がする。


「思えば、最前に提出された増税案の提案書も貴様だったな…」


「…っ」


「…確認したが、提案者の欄に名前が書いてなかったぞ」


「…へ?」


 フリューゲルスはあんぐり、と口を開けた。


 恐らく、故意に書かなかったのだろう。

レオンの判子さえあれば、レオンの案だと誤認させるため。

そして、大本の責任を問われる対策のため、提案者の名前を記載していなかった。


 …それを調べる術は無いが。


「ま、誰にでもミスはあるものだ。フリューゲルス。

新しい書式では、このようなミスはもう無いとは思わないか?」


「は、ははは…」


 愛想笑いしかできなくなったフリューゲルス。

そんな財務大臣の肩をがっしりとアルベルト殿下は組んで離さない。


「さ、ここではリゼットの邪魔になる。

2人きりでレオンが王子に相応しいか、議論を尽くそうではないか」


「え、いや、ちょ…!?」


 アルベルト殿下はそのままフリューゲルスを連れて執務室を去っていく。


 とても陽気そうに見えるが、…あれだけ大騒ぎしながら廊下を歩くと、

フリューゲルスが王子を貶したことが、大層広まっていくだろう。


 …恐らく、あの人なりの…レオンへの罪滅ぼしだ。


 レオンを馬鹿にされながら、懲戒に出来ず、謹慎止まり。


 ―…それでも、なんとかしたい。


 レオンをけなす、全てから…レオンを守りたい。

私と、同じ気持ちを…アルベルト殿下は持ってくれていた。



「…ありがとうございます、殿下」



 アルベルト殿下は、去り際、こちらを向いて私にウインクしてくれた。


 国王としてのあの人は、とても恐ろしいが…

父親としてのあの人は、とても暖かい人だった。

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サボりがちな王子 ―病名は鬱病でした― オーダマン @audaman

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