後日譚

 十二月二十六日。

 爽やかな腰の痛みと共に目覚めた俺の起床後第一声は、「全身が痛い」だった。


 清澄白河のカフェでモーニングして、コーヒーの焙煎所に行く予定だったのに、起きたのはもう昼過ぎだ。


「ごめんね」


 たいして悪びれてなさそうな艶々した表情で謝られると腹が立つな。

 俺は布団の中でいじけた。


(昨日、パートナーシップ申請の書類を渡してかっこよくプロポーズしようと思ったのに!)


 緊張してタイミングをつかみ損ね、結局いつものペースで良いようにされてしまった。


 そういうことをするのは、俺が翌日休みの日だけ。

 二人で決めたルールだが、次の日に立てなくてどこにも行けないなんてこともざらにある。


「加減してって言ったのに……」


「でも途中から涼太も“もっと“ってねだるから、可愛くってつい」


「うわあああ!」


 恥ずかしくなって布団の中に閉じこもると、くすくす、と笑い声がした。

 

「ごめん、意地悪だったね」

 

 こうやっていつも掌の上で転がされるから、たまには俺の男らしさも感じて欲しい。

 俺は咳払いをして、改まった口調で「環さん、俺の鞄の中の、A4のファイル取ってもらえます?」と言った。


「ん?これかな」


 環さんがベッドから出て、鞄の中のファイルを取り出した。


「それ、中身見て」


「?」


 不思議そうな顔でファイルから書類を取り出した環さんの動きが、ピタリと止まった。

 ベッドから起き上がり、彼と向き合う。


「あの、あのさ。俺、考えたんですけど、結婚はできないけど、東京都ってこういう同性同士の制度があって。ずっと一緒にいるんだから、ちゃんと出しておく方がいいかなって」


 一言びしっと決めるつもりだったのに、焦って想像と違う台詞ばかりが口をついて出てくる。

 環さんは茫然と俺を見つめていた。

 俺は彼の手を握り、今にも涙が溢れ出しそうな瞳を真っすぐに見据えた。


「環さん、俺と家族になってくれますか?」


 流れた雫が頬を伝って布団に染み込むのと同時に、強く抱きしめられる。


「うん、うん。涼太と家族になりたい。ありがとう、涼太」


「今度指輪、買いにいきましょうね。あ、自分たちで手作りするのもいいかも」


 環さんの細い髪を指で梳きながらプロポーズが成功したことに安堵していると、唇に柔らかな感触を感じた。

 両頬を包み込まれ、唇を滑るように擦り合わせられると昨夜の余韻が蘇ってくる。


「た、環さん、今日はもう無理」


「うん、だからキスだけ」


 緩やかに組み敷かれ、頭のてっぺんからつま先まで、優しい口付けの雨が降ってきた。


 そう言ってキスだけで終わったことなんかないことは、俺の体が一番よく知っている。


 結局家を出られたのは夕方で、ディナーの予約にはギリギリだった。


「もお!俺無理って言ったのに!」


「キスだけで我慢してたよ?でも結局涼太が入れ「道の往来でそんなこと言わなくていいんですよぉお!!」


 真冬なのに顔を真っ赤にした俺と、軽やかな笑い声をあげて白い息を吐き出した環さんは、北町銀座商店街を通り、レストランまで一直線に走る。


 このビストロは二人のお気に入りの店で、これまでにも何度か来たことがあった。


「ギリギリ間に合った……あー、腹減ったぁ」

「コース料理だから、運動してちょうどよかったんじゃないかな」


 運動、と言われてさっきまでベッドの上でしていた行為が脳内で生々しく再生された。


「た、環さんの変態!」


「……え?」


 俺に詰られてぽかんとした環さんは、「ここまで走ってきたからって意味だったんだけど」と弁明した。


 変態は俺だよ。

 まだ一口も酒を飲んでいないのに、耳が熱い。


「なに思い浮かべたの」

「すみませーん、白ワインボトルでお願いしまーす」


 呑まなければやってられない。

 テリーヌや前菜のカルパッチョを食べて、ワインで喉を潤していく。


 プロポーズの緊張からの解放感。

 直前の運動と疲労。

 そしてすきっ腹に流し込んだアルコール。


 コースが終わる頃には、俺はべろべろに酔っぱらっていた。


♢♢♢


 レストランを出ると、涼太はスキップしそうな勢いで僕の手を引いた。


「たーまーきーさーん!にけんめ!いくよー!」


「行かないよ、もう帰るんだよ」


「なんで!まだ飲みたい!」


「お水にしておきなさい」


「やーだー!」


 こんなに酔うだなんて、珍しい。子どものように傍若無人に振舞う涼太も可愛くて微笑ましくなる。


 しばらくはふらふらとおぼつかない足取りで歩いていたが、「もう歩けない」と道路の端に座り込んでしまった。


「おいで」


 涼太の前にしゃがみこむと、すぐに背中に重みを感じた。


「やったー、おんぶだ」


 頭の上からけらけらと笑い声が降ってくる。涼太を背負って夜道をゆっくり歩いていると、肩に彼の顔が擦り寄せられた。


「環さーん」


「ん?」


「あのねー、俺、環さんのこと、しあわせにするね」


 舌足らずな声が、耳の奥を優しくくすぐる。


「ずっと……だいじにする……やく、そく……」


 こうして一緒にいられるだけで幸せなのに、これ以上どうやって幸せにするつもりなんだろう。愛おしさで胸の内側に火が灯ったように、暖かくなる。


「もう、とっくに幸せだよ」


 返事の代わりに、「んー……」と寝息が聞こえた。

 この二年間で、涼太は僕に何百年分の幸せを与えてくれた。

 

「ありがとう、涼太」


 満ち足りた気持ちで二人の帰る場所へと歩みを進めた。

 愛してるの言葉だけでは、この気持ちを言い表すのには程遠い。


 どれだけ愛しても、愛し足りない。

 生きている間はもちろん、その先も。


♢♢♢


 翌朝、涼太は死にそうな顔をして「頭痛い」と起きてきた。


「雑炊食べる?それともお茶漬け?」


「お茶漬け、梅で……昨日の記憶全然無いんですけど、俺なんかやっちゃってませんか?」


「大丈夫だよ。帰ってすぐに寝ちゃっただけ」


 その返答に安心したのか、彼は気が抜けたように笑った。


 後日、うちにはワインのストックが増えた。


「あれ?環さん、なんかワインいっぱいあるね」


「うん、好きになったんだ」


「……?そうなんですね」


 涼太は不思議そうな顔でワインボトルを見つめている。また休みの日の前日に開けよう、と棚の奥に仕舞い込んだ。


 うちでならどれだけ酔い潰れても問題ないし、何よりいつも真面目な涼太の普段見ない一面が見れて、とても楽しい。


「また今度飲もうね」


 今度は、どんな涼太が見られるだろう。

 ワインに合う料理のレシピを調べてみよう。 

 それから時々、ワインを飲んで悪酔いする涼太を楽しんでいることは、僕だけの秘密だ。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【BL】鬼さんこちら、手の鳴る方へ〜隣人は前世で殺した親友ですが、今世での距離感がおかしいです〜 透堂 暁 @akira__t

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画