第9話 違う、そうじゃない
映画館の後カフェに来た俺たちは、どこか気まずい空気をまとっていた。
「映画、面白くなかったですか?」
「えっ!いや、全然そんなことは!あれ凄かったですよね、ヒーローが変身して念動力で車をグワァって!」
「だいぶ序盤ですね」
ほろ苦くて少し酸味のあるホットコーヒーは、いつもよりも飲み込むのに時間がかかる。
(急に泣き出すとか、情緒不安定のヤバい奴じゃん……皐月さん引いてるかな)
冷ましながらちびちび舐めるように飲んでいると、目の前でカップがコトン、と音を立てた。
「ごめんね」
「へっ?」
目を白黒させていると、皐月さんは眉を下げてまた泣きそうに瞳を揺らした。
「疲れてるのに、休みの日にまで無理して付き合わせてごめん」
「あっ……ち、違うんです!今日はなんていうか、ちょっと調子が悪いだけで……」
皐月さんにこんな顔をさせるつもりじゃなかった。自分でもどうして泣いていたのか分からない。
あの瞬間、紫水の記憶が、感情が流れ込んだような気がした。
(思っていた以上に、前世の記憶って今に干渉するんだな……)
でも、それを皐月さんに感じさせてしまうなんて、これじゃあ全然贖罪にならない。
いや、贖罪以前に、目の前の皐月さんに対して失礼だ。
俺は机の上で組まれた皐月さんの震える手を、両手でギュッと握った。
「ごめんなさい、皐月さん!今日は俺が誘ったのになんか微妙にしちゃって……でも、俺無理なんかしてないです!皐月さんともっと色んなところ行きたいです!」
鼻息を荒くして一気に捲し立てた俺は、ここがどこなのか忘れていた。
「俺、皐月さんのこと大好きなんで!!」
カフェで痛いほどシンとした音が鳴り響く。
「え?あれ?」
「桃園くん……」
いや、今俺何言ったんだろう?
脳内でこの数秒の出来事を巻き戻して再生した。
『俺、皐月さんのこと大好きなんで!!』
いや、告白じゃん。
違う、告白じゃないんだ。
でもこれ、告白じゃん。
全身の血液が顔に集まって、嘘みたいに耳が熱い。
「アッちが、違うんです違くて!!これは変な意味ではなく……!!」
離しかけた手を引き留めるように、キュッと握り返される。
皐月さんは甘いシロップを溢したみたいな顔をして笑っていた。
「僕も、桃園くんのことが大好きだよ」
「えっ」
周囲の客はどよめき、押し殺したような悲鳴がそこかしこから漏れ出ている。
俺の隣に座っていた優しそうなお婆ちゃんは親指を立て、綺麗な入れ歯をニカっと剥き出して笑っていた。
♢♢♢
カフェに居づらくなった俺たちは、そそくさと退店した。映画館の前にある児童公園の遊歩道を通り、駅に向かう。
衆人環視の前でとんでもないことを口走った俺は、背中を丸めてつま先を見つめながら歩いていた。
(テンパったとはいえ、俺は皐月さんに対してなんてことを……っていうか皐月さんも皐月さんだよなぁ)
『僕も、桃園くんが大好きですよ』
天然ジゴロというか、沼らせ兵器というか。
あれを女の子にしてたら罪深いぞ、なんて勝手なことを考えていると、急に立ち止まった背中にぶつかった。
「わっ」
鼻を抑えながら皐月さんの視線の先に顔を向けた。
子どもたちが地面に書いた円の中で、楽しそうに手を叩いて笑っている。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」
「あ……懐かしいですね。目隠し鬼」
「目隠し鬼?」
皐月さんは不思議そうに首を傾げ聞き返した。
「目隠し鬼、やったことないですか?まぁ普通の鬼ごっこに比べたらメジャーじゃないのかな……鬼が目隠しをして、円の中で逃げる子を捕まえるんですよ。それで、触った子の名前を当てるんです。合てられたら、鬼の勝ち」
「捕まえた、これは悠太だ!」
「ぶっぶー!違うよ!」
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ……」
春の日差しの中で遊ぶ子どもたちは光の妖精みたいだ。もう散り際の桜の花びらがひらひらと舞い落ちて、それを捕まえようと小さな腕を伸ばしている。
風に乗って、虹色に揺らめくシャボン玉が、ふわりと青空へ吸い込まれていった。
俺は真面目な顔を作り、改めてカフェでの誤爆を訂正した。
「あの、さっきの本当に変な意味ではなくて。人として皐月さんが大好きという訳で!けして性的な意味で皐月さんを見ている訳ではないので、その点はご安心して頂ければ!」
「うん、分かってますよ」
「あの、本当ですからね!?俺、恋愛対象女の子なので!」
「うん、うん」
本当に分かってるのか?と言いたくなるような、気の抜けた笑い顔。
どうしてだか声が弾んでいるような気がする。
(勘違いしてないといいんだけど)
駅の改札をくぐり、地下鉄に乗り込む。
夕方の車内はほどほどに混雑していた。
「今日の晩飯、何にします?」
「うーん、どうしましょうか」
今日の夕飯の相談をした次の瞬間、車内ががたん、と大きく揺れた。
「わっ」
つり革を掴んでいたのに、乗り慣れていない電車の揺れに体幹がぶれる。
すると、皐月さんの手が俺の腰を支えた。
「大丈夫?」
「す、すいません、大丈夫です」
次の駅でまた人がたくさん乗り込んできて、奥の扉の前に流された俺たちの体は密着した。
(いや、近い。近いぞ。近すぎない?)
扉を背にした俺と、目の前に立つ皐月さん。
彼の掌が、扉についている。
これ、壁ドンだ。
漫画で見たことあるやつだ。
変な台詞を口走ってしまったせいなのか、距離感を妙に意識してしまう。
心を落ち着かせようと大きく息を吸い込むと、彼から仄かに甘く柔らかな匂いが漂った。どこか懐かしいような、それでいて胸を締め付ける香り。
家の洗剤の香りじゃない。
香水かな。いい匂いだな。
瞼を押し上げると、皐月さんと視線が合う。紫色の瞳に自分が映り込むのが分かるくらいの近距離に、息を呑む。
(いや、近くない!?距離感!!)
「桃園くん」
真剣な表情で、俺を真っすぐ射抜くように見つめる瞳。
告白でもされそうな緊張感が走り抜ける。
「僕、今日はチキンとポテトが食べたいです」
「チ、チキンとポテト‥‥‥?あ、それって映画の冒頭で主人公が食べてたやつですか?」
そんなきりっとした顔で、チキンとポテト。
その違和感に笑いを堪えきれず、肩を震わせた。
「じゃあ、帰りに北町銀座商店街の肉屋によって帰りましょ」
「うん、そうしよう」
♢♢♢
家に帰った皐月さんは、やりたいことリストが書いた手帳を開き、「映画館に行く」の項目にチェックをつけた。その文字を見ると、なんだかくすぐったいような気持ちになる。
手帳から顔を上げた皐月さんは、遠慮がちにこう言った。
「……また、一緒にやりたいことリストやってくれる?」
「勿論ですよ!」
その夜、映画を再現したようなチキンとポテトの夕食を見て、皐月さんは子どもみたいに目を輝かせていた。
その顔を見て、今日一日を楽しく終われたことに安堵する。
(皐月さんの悲しそうな顔、見たくないもんな)
これはあくまで、友人としての感情だ。変な意味はない、と心の中でそっと呟いた。
次の更新予定
2026年8月6日 20:06
【BL】鬼さんこちら、手の鳴る方へ〜隣人は前世で殺した親友でした〜 透堂 暁 @akira__t
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