第8話 積み木の塔
今日は休日、絶好の行楽日和。
朝から洗濯物と布団を干し終えた俺は、今日一日を皐月さんの「やりたいことリスト」に当てると決めていた。
「皐月さん、今日って何か予定とかあります?」
「予定?特にないですよ」
「じゃあ、やりたいことリストやりましょう!」
ダイニングで手帳を広げて、チェックリストを二人で確認する。
「手軽にできそうなことは……あ、映画館なんかどうですか?」
「二駅先に映画館ありますね」
「今何やってるんだろう、上映時間は……」
皐月さんがスマホで上映スケジュールを検索する。
「あ、これは?今人気なアニメなんですよね。鬼退治するやつ」
「ああ……俺なんか鬼の方に共感しちゃって駄目なんですよね……」
「鬼の方に?」
皐月さんはきょとん、と不思議そうな顔をした。
「あ、いや!な、なんか鬼にも鬼の事情があって可哀そうだなーとか思っちゃったりして!」
慌てて誤魔化したせいで、心臓がバクバクと喧しく震えている。
「そっか……桃園くんは優しいですね」
「そ、そんなことないですよぉ、あはは」
(あっぶねー!鬼に共感するなんて、まさか紫水?とかなったらアウトだ!)
ぼろが出ないように、細心の注意を払うこと。
そして、御影の……いや、皐月さんのやりたいことを叶えること。
それが平穏無事に共同生活を送る鉄則だ、と心の中で拳を握りしめた。
♢♢♢
電車に乗って移動し、映画館に到着した。
エスカレーターを登っていくと、ポップコーンの匂いがふわりと漂う。
「わあ、俺映画館久しぶりです」
「僕も久しぶりだ」
「ポップコーンも買いましょう。あっ!これってもしかして……!」
俺は映画館の売店の前で目を輝かせた。
「二人なら、ハーフアンドハーフを頼んで甘いのとしょっぱいのを永久に楽しめちゃいますよ!」
これぞ、友人同士での映画館の楽しみ方。
大興奮した俺は皐月さんがいることも忘れ、メニューを見上げながらどのフレーバーにするのか真剣に悩み始めた。
「あ、皐月さんはどのフレーバーがいい……」
横を振り向いたその時、皐月さんに御影の姿が重なった。
「っ!」
瞬きも忘れ、息を呑む。
雪原のように輝く銀白色の長い髪。頭の上から生えた耳。
紅白の装束に、鈴が付いた髪飾り。
生き写しなんてものじゃない。
まるで今目の前に、御影が立っていると錯覚するくらいだ。
瞬きを一つすれば、いつも通りの皐月さんが怪訝な顔をしていた。
「どうしたの?」
「な、なんでもないですよ」
まるで「忘れるな」と釘を刺されているみたいだ。
紫水は加害者で、御影は被害者。
この友達ごっこは、皐月さんが前世のことを何一つ知らないことで成り立っている、バランスの悪い積み木の塔みたいなものなのだから。
間もなく入場時間になり、どこかぎこちなさを抱えたまま指定の席に着席した。
映画を選んでよかった。
上映中は、喋らずに済む。
ポップコーンを食べながらちら、と隣に視線を向けた。
神様が特別に手をかけて作ったような、端正な横顔。
長い睫毛にはマッチ棒が何本乗るんだろう、なんてしょうもないことをつい考える。
映画は流行りのアクション映画で、超能力で敵が吹っ飛んだり空を飛んだりしていた。
(鬼と妖狐は、異能があったんだっけ……)
鬼は確か、体が大きくて力が強い。
特別な力が無い代わりに、鬼の里ではみんな助け合って暮らしていた。畑を耕し、狩をして、山の中でひっそりと隠れ住んでいたんだ。
妖狐は——そうだ、確か御影が見せてくれた、炎と氷の妖術。
御影の白い指先から雪の結晶が現れたり、火が生き物のように意思を持って動いたりしていた。
紫水は目を輝かせて『凄い、凄い』と喜んで、そんな紫水を見た御影も、照れ臭そうにはにかんでいたっけ。
幼い頃の記憶は昨日のことみたいに鮮明に思い出すことができたが、最期の方の記憶は前後がすっぽりと抜け落ちている。
雪厳の滝の岩場で、御影を殺したあの瞬間しか覚えていない。
(思い出したくないから、無意識に閉じ込めてるのかな)
甘いキャラメルのポップコーンを食べ、次にバター醤油味のポップコーンを口に放りこむ。乾いた喉にコーラを流し込むと、炭酸が喉の奥でシュワシュワと弾けた。
最期に見た、血を吐いて苦しそうに顔を歪めた御影の顔が、脳裏に焼き付いて消えない。
俺は紫水じゃない。
俺が殺した訳じゃない。
それなのに、なんでこんなに悲しいんだろう。
「桃園くん」
ハッ、と気付くと、急に人の喧騒が戻った。
さっきまで音の無い世界にいたような気がするのに、既に館内は明るくなっていて客もまばらだ。
(あれ?映画、いつの間に終わったんだろう)
頬に優しく触れる指先。
そこで初めて、俺は自分が泣いていることを知った。
「大丈夫?どこか痛むの?」
皐月さんの顔が歪んで見える。涙の理由が分からなくて呆けている俺に、彼はポケットからハンカチを差し出した。
その時、人の声に紛れて高く涼やかにリィン、と鳴り響く音が微かに聞こえた。
「何か落としました?」
その問いかけに、彼は首を横に振った。
俺の目元を、ハンカチでそっと拭う。
「本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫です!目にゴミ、入っちゃって!行きましょっか」
慌てて目元をゴシゴシと擦り、鼻を啜った。皐月さんの心配そうな視線に居た堪れなくなる。
本当は、そんな風に心配してもらう資格、俺には無いんだ。
皐月さんを騙しているような罪悪感が降り積もっていく。胸がひりつく痛みに蓋をして、無理矢理笑顔を作った。
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