最終話 エピローグ【私は思い出す】《 Amarcord 》
2026年 初夏。
桜もとっくに散って新緑の色が濃くなっていた、ある夜。
『ったく、今年何度目の海外出張かもうわかんなくなってきたよ。在宅のmaya が羨ましいわ......』
『えーっ、いいじゃん!あちこち行けて。マイルもたまってるでしょ?こっちこそ、うらやましー』
相変わらずLINEでそんなやり取りをしていたが、ようやく
私は二人分のディナーのために、いつもの「ニース風サラダ」と煮込み料理の「カスレ(cassoulet)」を用意した。
デザートには近所の老舗パティスリーのケーキを買ってある。
カスレは昨日から仕込んでおいたから、今日は味が染みて美味しくなっているはずだ。
あとは食べる直前に盛り付けるだけだ。
昼過ぎには、親友を迎える準備は大方、整っていた。
今抱えている案件の納期には余裕があるから、午後は自由時間だ。
翻訳業界は、この数年で以前とまるで違うものになっていた。
ムクムクと成長するAIがすさまじい勢いでこの業界に侵入していた。
刻一刻と。
かつてのように翻訳メモリで過去のデータを参照する作業は、はるか遠い昔のことのようになっていた。
ついこの前、AIの出力チェック業務に移行したばかりの翻訳者の多くは、今はAIに最適な文脈やニュアンスを指示する「プロンプト作成」とか、AIの教育といった業務へと雪崩のように方向転換している。
そう遠くない将来、人間特有の「ゆらぎ」すらも自然に模倣するようになるのかもしれない。
あのブログで記事に書いた「家庭の事情で......」というような、含みのある表現――
文字通りの意味ではなくて「それ以上の話はしません。だから踏み込まないでください」という人間の感情。
本当にAIは、そういう人間の心の機微や細やかな揺れ、言葉の間の余白までも正確に翻訳できるようになるのだろうか。
AIは「翻訳」という領域で人間との間に残された最後の
――私にはわからない。
きっと未来の地点になったら、今の出来事や誰がどんな仕事をしていたかなんて思い出しもしないのだ。
数年前、世界を恐怖に陥れていたコロナ禍のことすら、今はもう誰も話さなくなったように。
X氏は、今ではもう「若手」という枠ではない。
チケットは常に完売になるほどの人気ピアニストになっている。
X氏の話す「言葉」もキャリアの成功とともに大きく変化した。
私が数年前に題材にした頃のX氏の話し方は、注目されたばかりの「初々しさ」に満ちていた。
現在の多忙な公演スケジュールの間に組み込まれるメディアのインタビューでは、国際標準語の英語でテンプレ的な模範回答を貫いている。
あの頃のような気さくに冗談や「ゆらぎ」のある発言はもうしない。
私が「Xさん構文」と名付けたユニークな話術も、〈彼女たち〉を刺激するような「seduce(誘惑する)」という単語を使ったジョークも、もう決して口にしないだろう。
マネジメント会社がしっかりリスク管理しているのだろう。
アーティストとしての
ドリップでコーヒーを淹れてマグカップに注いでから、アームチェアに身を沈めた。
私はあのブログから今までの数年来を思い出していた。
執着していたのは、〈彼女たち〉だけじゃなかった。
私自身もあのブログのことが忘れられなかったのだった。
そのことを認めるまでに、長い時間がかかった。
夢のようなスタートだったから?
過去最高のアクセス数だったから?
そうじゃない。
その理由は、〈彼女たち〉がなぜ私のブログに執着していたのかという問いと「
そして、〈彼女たち〉が境界線を越えた瞬間がいつだったのかという疑問への答えは、おのずと出ていた。
それは勝手に、くっきりと目の前に浮かび上がっていた。
——年月の経過と、「翻訳」におけるAIの進化の
〈初期ファンダム〉の過熱した狭い世界。
推しに一番近いポジションを勝ち取りたいという欲望がドロドロに渦巻く、熾烈な椅子取りゲーム。
私は初めからそれには加わってはいなかった。
X氏から認知されるのを狙ってブログをやってたわけでもない。
それなのに、〈彼女たち〉の粘着の対象になり、それが続いたのはなぜか?
これを言葉にするのはちょっと恥ずかしいが、この際はっきりさせておきたい。
それは、私がX氏の言葉を完璧に翻訳し、解像度の高い考察記事をネット上に置いたからだ。
レトリックやダジャレ、それからいい淀みとか言い直し、そして言外のニュアンス。
そういった「人間の呼吸」を、AIはいまだに正確に処理できていない。
それはまだAIに奪われていない「人間の領域」だ。
人気アーティストという
それはコロナ禍で制限のかかった世界でリアルな存在として確かめられなかった、X氏の〈息遣い〉そのものだった。
私はそんな「X氏の過去のインタビュー」をまるで目の前で日本語で話しているかのように訳し、解説し、〈彼女たち〉に提供していた。
もしかしたらX氏本人のSNSよりも、〈生のX氏〉が感じられたのかもしれない。
だから〈彼女たち〉にとってあのブログは、渇望し、もみくちゃにしたくてたまらないX氏の〈身代わり〉だったのだ。
私は無自覚に〈
私は2杯目のコーヒーを注ぎに、キッチンに立った。
休日の午後はゆっくりと過ぎていく。
〈彼女たち〉にとってX氏は、自身と同一化された〈
境目がないからこそ、X氏へ向けられた過剰な粘着が、言葉を〈媒介〉していた私へと理不尽になだれ込んできたのだ。
だから、私が
最初のコメントを開いた瞬間から、私は〈彼女たち〉に関わってしまい、〈鏡の世界〉に入りこんでしまった。
後戻りは利かなかった。
欲望が渦巻く世界に一度足を踏み入れてしまえば、無傷で戻ることはできない。
私はただ必死に、自分の言葉の精度だけを頼りに踏みとどまろうとしていた。
その意味では、あんなひどい経験をすることになってしまったのは、翻訳者としては誇りでもある。
あんな終わり方にはなったけれど、私がどれほど真剣に言葉と向き合ったかという、確かな証明でもあったからだ。
だから、自分もずっとこだわり続けていたのだ。
あれから数年が経った。
X氏の言葉が
「アキラ」として文章の
それらは雨水が乾いた地面を徐々にしみていくように、私の仕事人生を少しずつ変えていった。
AIが産業翻訳の現場を席巻していく嵐の中で、私のキャリアに変化が起きた。
ある日、聞いたことのある出版社の編集者からメールを受信した。
某財団のウェブサイトに掲載されたある文化人のインタビュー記事を読んだと書いてあった。珍しく翻訳者として名前が記載された記事だった。
それで仕事用のSNSアカウントに記載していたメールアドレスを通して連絡してくれたのだと書かれていた。
そこには私の訳文が「解像度が高く、明晰さと緻密さ、そして行間のニュアンスを汲み取って表現する力がある」というお褒めの言葉があった。
それがきっかけで、私はついにずっとやりたい願っていた「文芸翻訳」の仕事に少しずつ携われるようになったのだ。
あの若手アーティストの初期ファンダムで起きたことは、私に〈傷跡〉を残した。
けれども、それは思いもしない〈贈り物〉にもなっていた。
「アキラ」として始めたブログはまだ続けている。
「ブログをやっている」と人に言ったら「今時ブログ?」なんて言われそうだ。
今では「ブログ」という媒体で発信する人も少なくなった。
文章を書くこと自体、AIに代替させる人が増えてきた。
世界はペースを上げて急激に変わっていく。
それでも私は書き続ける。
今日やろうと決めていたことだ。
私はデスクに向かい、パソコンの画面でブログの管理画面のプロフィール設定を開く。
性別と感情を捨て、表現を去勢し、被り続けていた〈
〈アキラ〉
あの頃の私は、ああするしかなかった。
怯えて、自分を隠して、名前ごと逃げ出すことしかできなかった。
でも、世界は変わり続けている。
「好意」や「応援」という形で境界を越えてくる無自覚な行為のことが、徐々に世間で語られるようになってきた。
X氏のボディガードは増員され、彼をもみくちゃにしていた〈彼女たち〉は、いっそう厳しく監視されるようになっていた。
〈アキラ〉という文字列にカーソルを置く。
そして私は静かにバックスペースキーで消去した。
そして、打ち直した。
〈maya〉
画面に浮かび上がる、懐かしい私のアカウント名。
同じプラットフォームの「ブロ友」たちは〈アキラ〉からの「カミングアウト」に驚くかもしれない。
なぜ突然〈maya〉という〈女〉になったのかは、後でちゃんと説明しよう。
今、私は今日やろうと決めていたもう一つの作業に取り掛かる。
鍵をかけて逃げ出したっきり、放置していたあのブログ。
それを、再び開くことにしたのだ。
あの頃の投稿を読み直し始める。
いろんなことを思い出す——
そこには、今の私にはもう書けない文章があった。
文章だけを見ると、全然うまくない。下手くそだ。
でもそこには自分の中から湧き出た言葉をそのまま信じ、無邪気に楽しむ力——
あの頃の私が持ってた「熱」がそのまま保存されていた。
たった数年前の文章なのに、読んでいると自分がひどく歳を取った気がする。
それから、ずっと「下書き」に戻して放置していたnoteの記事も開いてみた。
架空の相棒〈waka〉と一緒に書いていたnote を。
あの記事が出てくる。
【自己紹介】2人で一緒に note を始めてみた
『wakaはアニメが好きなんだよね?』
『うん、〈ジョジョの奇妙な冒険〉って知ってるよね?』
『……知りません……』
『……そうですか』
誰もいない部屋で、思わず声を出して笑ってしまった。
痛い。
あまりにも痛すぎる黒歴史だ。
あの頃の私はコロナ禍という閉塞感の中で、ひとりで見えない相手に「負けフラグ」を出し続けていた。
でも——
孤軍奮闘の中で、壊れかけた私を支えてくれたのは他でもない〈waka〉だった。
実は今夜、ずっと隠していたこの秘密を
この暴露話が今夜の酒の肴、もといメインディッシュだ。
ドン引きして友達をやめると言うだろうか?
——いや、きっと涙が出るほど爆笑するに違いない。
バッサリ髪を切ってから〈去勢されたアキラ〉になった後、ギリギリのところで現実に踏みとどまっていられたのは、
キーボードの上に指を置く。
指はまだ、ときどきすくむ。
まだ時々現れる〈検閲官〉が『その表現には隙がある。もっと感情を削れ、そうしないと……』なんて指示を出してくることもある。
あの経験を経て、昔と完全に同じ自分に戻ることはできないだろう。
でも、その考え方は間違っているのかもしれない。
「昔と同じまま」のものは、どんどん加速度を上げて変化している世界のどこにもないのだ。
だから戻ろうとしなくていいんだ。
今日
「あのブログをめぐる出来事を文章に書き起こしたい」
「あの辛く息苦しく奇妙にねじれたコロナ禍のことを書き残したい」
「AIの台頭で翻訳という仕事がどう変わっていったのかを書きたい」
誰かに届くかどうかはどうでもいい。
〈失われた〉自分の感情と表現を少しずつ〈取り戻す〉ために、そして未来の私が思い出すために、書くのだ。
PCを再び立ち上げ、私はこう書き始める。
「 2021年の秋。
コロナ禍の真っただ中。
世界中の誰もが家にとじこもり、ますますスマホやPCの画面にのめり込んでいった時期だった......」
そこまで打ったところで、エントランスのチャイムが鳴った。
私は勢いよく立ち上がった。
インターフォンの画面をタッチすると、
私は玄関ロックの「解錠」ボタンをしっかりと押した。
(了)
*本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等とは一切関係ありません。
【最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
もし作品を気に入っていただけましたら、「共有」ボタンからX(旧Twitter)などSNSで感想をシェアしていただけますと幸いです。
なお、このあと近況ノートに関連情報を投稿しますので、よろしければご覧ください。】
バウンダリー|若手アーティストの初期ファンダムで起きたこと マヤ文学(maya) @maya-traductrice
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