再評価

混乱した中で小夜が電話したその週末、小夜と雷無は定期診察に来ていた。


「番号札207番の方診察室1番へどうぞ」


その声だけで、小夜の緊張感は軽く解れる。


いつも通りノックして、雷無の手を引いて診察室に入った。


〈すみません、坂城医師……先日は……〉


「え?ああ、混乱していたでしょうから、構いません」


小夜はさらに衰弱しているように坂城の目には見え、雷無も前回より大人しくなっているように見える。


……相当なショックを受けたな……しかも家族相手に失敗体験……よく話を聞かないと。


坂城は呼ぶ前に二つ並べておいた椅子に二人が座るのを眺めていたが、小夜が雷無の手を離す素振りが見えなかった。


逆に、雷無もその手を握り返し、離させないと言わんばかりに不安そうに坂城を見つめる。


「……前回のお電話で伺ったことの他に、話せていないことは残っていますか」


〈…………〉


〈…………あの、ぼく、いんほあのこと、つきとばした〉


雷無が何も知らずに、そう正直に打ち明ける。


ただまっすぐ坂城医師を見定めるように見つめたまま、無表情に淡々と語られる。


「……そのお話、聞いてもいい?」


〈……おなじへやにいた〉


「うん」


〈ぼくからはなしかけた〉


「……うん」


〈でも、いんほあが、ぼくのこと、よびまちがえた〉


その瞬間、坂城はカルテにメモを残していく。


[本名で呼ばれた際の自己認識に混乱あり。保護者からの愛称を自己の名前として認識している可能性]


「……名前間違えられちゃったあとのこと、思い出せる?」


〈うん……すごいながいじかん……すごく長く感じた……長時間の拘束を受けて、身動きが取れないままだった〉


「待って一回止まろう」


以前の雷無に戻りかけ、500年の辛い記憶にアクセスしかけたのを目にして、慌てて止める。


だが、息が荒くなり、視線が定まらない。


現実感を失ったように、周囲への反応が薄くなっている。


その様子に小夜も過敏に反応し、握っていた手に力を込める。


〈……匠、大丈夫……坂城医師は怖いことしてこないよ〉


〈………………〉


「うん。僕、匠くんに怖いことしたことないでしょ?」


〈う、うん……〉


余程のトラウマになっているのか、座っているはずなのにフラフラとし始める。


[家族間トラブル後、トラウマ関連記憶の想起に伴い混乱・情動調整困難となり、暴力行為に至った経緯あり]


……そこまで書いて、坂城は途中まで消して書き直した。


[……想起により解離様反応を呈したが、保護者の声かけにより徐々に現実感を回復]


「……匠くん、少し横になろうか、座ってるの辛いでしょ」


〈うん……〉


そう言い、小夜の手を振り払って、診察室内にあるベッドに飛び乗り、坂城の事を横から観察し続ける。


……本当に何もされないのか、それを見定めているようだった。


だが坂城は一度だけその視線に振り向くと、そのまま診察の対象を小夜へと移した。


「……あれからどうですか」


〈インファには私から謝罪を……〉


「いえ、僕が聞いているのは、小夜さんの精神状態です」


〈……芳しくありません〉


坂城は小夜の見た目や仕草、言葉の雰囲気から読み取っていく。


[双方の心理的依存が強く、分離に伴う不安が顕著。本人は保護者を安全基地として強く依存している一方、保護者側の心理的負担も大きく、双方の生活機能低下を認める]


「……小夜さん、亜空間?で少し休みましょう」


〈しかし……匠のことが心配で、うまく休める自信がありません〉


家族特有の状況だと冷静に判断する坂城。


「……不安かもしれませんが、自分の手から離れていても問題ないと小夜さんが思えるようにならないといけないと、僕は思いました」


〈…………〉


〈やだ〉


坂城の言葉に小夜は俯くしかできず、まるで代弁するかのように雷無が小さく異議を唱えた。


それに振り向き、坂城は優しく説明する。


「……少しずつ、離れないといけないんだよ。でもね、匠くんの帰る場所は、いつだって小夜さんのままだよ」


〈……やだ〉


「……今、何歳の設定か覚えてる?」


〈…………〉


その質問に答えたのは、小夜だった。


〈二十二です、大学は休学させていて、アルバイトは辞めさせました〉


その言葉に坂城は雷無の方を向いたまま、語りかけ続ける。


「……大学、楽しくなかった?」


〈つまんなかった……〉


「アルバイトは?」


〈もっとつまんなかった〉


「じゃあ、時空警備部のお仕事は?」


〈………………たのしかった、たまにせんぱいにあえるから〉


「もう一回戻りたいって気持ちはある?」


〈…………………………〉


その問い掛けに、雷無は黙り込んだ。


雷無にとって小夜が四六時中一緒に居ることが当たり前になっていたが、それを否定されているような気持ちになり、坂城を睨む。


それに怯まず、どんどん二人の関係に介入していく。


「雷無くんが家族に慣れていく時間も作るのは前提ですが、一人でいられる時間も徐々に伸ばしていきましょう」


〈……〉


〈やだ……〉


「小夜さん、これはあくまでも未来の話ですが……匠くんにデイケアに通ってもらって、小夜さんが会社に復帰する準備を始め……」


〈やだ!〉


雷無は大きな声を出し、起き上がって坂城医師の方へと進もうとする。


だが、その一歩を踏み出したところで、坂城が動じずに見つめ返したため、雷無はそれ以上近付けなかった。


〈……匠、俺はな……家族で一番の稼ぎ頭だ……いつまでも会社を休み続けるのは……生活面で、困ることになる〉


〈………………やだぁ……〉


そう言い、離れる事を拒む雷無は泣き出したが、どこか諦めもあった。


自分もいつか、大学に戻らないといけない。


アルバイトをして、少しは生活を支えないといけない。


インファもレイラも、ずっと家にいない。自分の覚えていない、社会生活を送っている。


「……今すぐにじゃなくて構いません、有給消化が終わったら……あるいは時空警備部が危機的状況にあるのなら、僕は少しその時間を取り戻してもいいと思います」


そう言い残し、カルテのメモに記載されていく。


少し迷いながらも、その手は止まらなかった。


[保護者の精神的負荷軽減及び本人の生活機能回復を目的として、デイケア利用を検討。保護者にも社会生活の再開を促す

保護者を安全基地として強く依存しており、分離に伴う不安が顕著。双方の心理的依存が強く、共依存的関係にある可能性を考慮、安定及び安全を最優先とする]


〈さかき、いし……ぼくやだ……〉


「……外が怖い?一人になるのが怖い?小夜さんと離れるのが怖い?」


〈……せんぱいと、いっしょがいい〉


「うん、小夜さんが帰る場所のままだよ」


〈ちがう、ぼくわかる、はなそうとしてる……〉


「ううん、そんなことない」


〈やだ……〉


坂城は苦笑いを浮かべて、イヤイヤ期の子供を相手にしているようだと内心思っていた。


「……まず、時空警備部部長に戻りましょう。小夜さんにとって長時間でも、匠くんにとっては短く……してあげられますよね」


〈……はい〉


〈……………………〉


そこで雷無は、やっと思い出した。


小夜を困らせたい訳じゃない、自分は小夜を救いたくて無謀なことをしたという、自分の中で一番大事にしたい感覚を。


だが、今それが目の前にある。


毎日一緒にいた事で気付けなかった、小夜の疲弊をやっと感じ取ることができた。


〈……わかった、やぶん、いってきていいよ……〉


〈……え、ほ、本当にいいのか……?〉


〈……うん〉


「……では、そういう方向で進めましょう」


坂城はまず小夜の負担軽減を優先にするべきだと考えていた。


そして、雷無が気付いたということも、察していた。


[PTSD症状の増悪を認める。まず保護者の生活確保を優先し、本人が一人で過ごせる時間を段階的に拡大することを提案。

保護者も有給休暇を取得中であり、双方の生活機能回復・社会復帰を見据え、急激な分離は避けながら慎重に進める]


そこで坂城は、雷無に向き直った。


椅子を少し回して、正面から向き合う。


机越しではなく、まっすぐ目を合わせる。


「小夜さんのこと、好き?」


〈せんぱい、すき〉


「一緒に居たい?」


〈うん〉


「じゃあ、僕にそのお手伝い、させて欲しいな」


〈……わかった〉


坂城は初診時に書きかけたメモを頭に思い浮かべながら、そう問いかけていた。


[入院推奨]


いまでも、あの一文は坂城の心の中に残っている。

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医師とサトリ22 ソフィア・フレデリクス @noctem_venandi

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