医師side-story

「ただいま」


《おかえりなさーい》


家に帰って誰かいて、返事が帰ってくる。


それが日常と化した、そんな日々に変わりつつあった。


……まぁ、相手は盲目の堕天使だけど。


《今日は何か面白いことあったかしら》


「守秘義務」


《それ、あったって意味ね。フフッ》


カンナさんは相変わらずソファーから動かず、食事も取らないでいる。


ただ、たまにちょっとだけ水分と、ちょっと長めの睡眠を取るという、不思議な生活をしていた。


「カンナさんも医者ならわかるでしょ」


《えぇそうよ。自分のデスクだって触られたくないもの》


「……たしかに」


僕は定位置になったスツールに座って、カンナさんの正面に座った。


盲目のはずなのに、まるで見えているかのようなことをたまに口にするのが怖かったりもする。


《本当にいい趣味してるわ》


「なにが?」


《装い》


「そ、そうかなぁ、僕こういうの好きなんだけど……」


自分では普通にしてるつもりなんだけど、カンナさんの目にはちょっと不思議に見えるらしい。


たまに窓の外を眺めて、道行く人と比べていると言っていた。


《じゃあ、今日は私が面白い話をしてあげるわ》


「え?珍しいね。どういう風の吹き回し?」


《貴方、物理って得意だった?》


そう言いながら、半分ほどに減っている僕の炭酸水を口にする。


そろそろなくなりそうだと思って、冷蔵庫に向かった。


「勉強は一通り、そこまで苦手って感じはしなかったかな」


《じゃあ、シュレーディンガーの猫って聞いたことある?》


「ええと……うっすらと覚えてる」


《それ覚えてないって意味ね》


カンナさんはクスクスと笑い、簡単な説明をしてくれた。


《量子力学の話よ……箱の中に猫と、猫を殺す装置を入れて蓋をするの。そして、猫を殺す装置は、いつ作動するか分からない》


「……うん」


僕は聞き流しながら、カンナさんの目の前に新しいペットボトルの炭酸水を置いた。


《私たち観測者は、猫が生きているか死んでいるか、どうすれば知ることができる?》


「えっと、蓋を開けて確かめる」


《そうね、開けてみないと確定しない。それが量子力学の考え方よ》


神無さんはプシュッと音を立ててペットボトルを開け、一口だけ飲んでいた。


《……じゃあ、蓋を開けていない場合、中をどう定義すべきだと思う?》


「え……えっと?」


《……面白い考えでしょ……そこにはね、〈生きた状態の猫〉と〈死んだ状態の猫〉が、重なっているという風に考えるのよ》


その解説を聞いて、遥か彼方に勉強したことを思い出した。


周りのみんなと、変な考え方だよなって笑いあったっけ。


「……すごく特殊な考え方だと思う」


《これ、今の私にピッタリだと思って》


「……?」


《少し前に、ホロスコープ作ってもらったじゃない?突破口はあるけど……今の私がまさにそれ》


「……どういう意味なのか、話せる?」


つい医師モードになって、その話に真剣に耳を傾け始めた。


カンナさんは僕といる時は落ち着いているように見せてくれているけど……。


まるで、自分では確認できないタイムリミットみたいなのを抱えているようだった。


まるで……死亡宣告を受けた患者のような……そういう諦念みたいなのを抱えているようだ……。


《……あのね……私たちの時代、ちょっと敵が多すぎるのよ》


「うんすごくそう思う。たしか天狗と八咫烏と悪魔でしょ?」


《それね……土星が関係しているの》


「ど、土星……」


《そう、試練をもたらす星よ……そして、ホロスコープ的には……死にまつわる星との角度がすごく悪い》


「………………」


《でも救いもあるの。それが今の時代よ》


「つまり……僕?」


《そう……でも、いつまでも安全じゃない……移行期に入ってるし、時間帯によっても意味が変わってくる……》


「うん……だからカンナさん、時間まで聞いてきたんだね……」


《これは、私たちに、命をかけた試練をもたらしてきてる》


「……みんなのこと、心配……?」


《いいえ》


「……………………」


僕はまた立ち上がり、キッチンに立って作り置きしてたご飯を電子レンジに放り込んだ。


ボタンを押してから、またカンナさんの近くまで戻る。


《……貴方、またホロスコープ作ってくれない?二重円にできるやつ探して》


「……ん?」


《ダブルチャートって、調べてみて》


僕は言われるままスツールに座り直し、パソコンを開く。


そしたら、前回よりも複雑そうな円形が出てきた。


《そこに、自分の生年月日と時間……もう片方に、現在の年月日と時間を入れてみて》


「……また前みたいに読み上げていけば良い?」


《えぇ》


僕は前回よりも複雑化している星の配置を、なるべく正確に答えていく。


そして、しばらく沈黙が続く。


ふと顔を窓に向けたカンナさんは、ゆっくりと口を開いた。


《サターンリターンは終わってる……なんの問題も無い……むしろ、加護が強いわ……》


前回とは違い、診断結果を答えてくれた。


「サターンリターンって何?」


《サターンって言うのは、試練を司る惑星、土星のことよ。そして、リターンって言うのは……ゼロ度……同じ位置に戻ってくることを言うわ》


「戻ってくるとどうなるの?」


《人生における転換期……壮絶な試練……価値観の変化……まるで、別分野の大学で学び直すように……貴方自身に、大きな試練が降りかかる……》


そこでカンナさんは立ち上がった。


この部屋に来た時以来だ、たってる姿を見るのは。


《……フフッでも、サターンリターンは終わってるわ。貴方に……今現在の貴方自身に、厄災が降りかかることはないでしょう》


「怖い言い方するね……」


《でもね、意外と想定通りよ。医療従事者も向いてるし、自分の好きな事に集中する力も高い。そして……自分と相手の間に、きちんと線を引ける人だわ。そして……非常に、慈悲深い。》


「わぁ、最後の部分だけわかんないけどだいたい当たってる……」


そう感心しながら、電子レンジの音に立ち上がってご飯を取りに行った。


うわ、ちょっと温めすぎたかも。


それを持って戻ったら、カンナさんは匂いに反応した。


《美味しそうね》


「少し食べてみる?」


《いいえ、栄養として取り込めないから大丈夫よ》


「そう……」


僕はちょっとだけ落ち込みながら、パソコンを少し横に避けてご飯を食べ始めた。


《…………》


「……本当は、サトリくんたちのこと、心配なんじゃない?」


《……ええと……正直に言うとね……》


「……?」


《私、タイムリミットが来るまで……ここに居るしかできないのよ……》


どういう……意味だ……?


そう聞こうとした瞬間、インファちゃんがスっと窓から現れた。


〈時空警備部、インファ。坂城医師、それ以上の詮索は禁物です〉


《あらなぁに?可愛らしい女の子の声がするわ?》


〈神無月使悪、占星術を使った未来予測を黙認します。しかし、時空変動率への影響懸念のため、坂城医師への助言を禁止します〉


インファちゃんは慌てて来たのか、少し曲がっていた軍帽を被り直しながらそう早口に伝えた。


「え、僕だけ仲間はずれ?この間サインしたのに?」


モグモグと咀嚼しながらそう聞いてみた。


そしたら、インファちゃんはまた困ったような顔をして、通信機に目をやる。


その音が鳴らないことにほっとしたのか、事情を話してくれた。


〈……我々、時空警備部は、時空変動率の監視もになっています。何が元凶なのか不明ですが、江戸時代異世界に異常が発生中です〉


「うん、みんな狙われすぎだし、あれだけ大きな診療所、今サトリくんだけで回してるんでしょ?異常だとおも……」


〈そうではありません!〉


インファちゃんは大声を出して僕の言葉を遮った。


……良かった、このマンション壁厚くて。


〈……ライムが、おかしくなった、理由も、本来なら……本来なら、!〉


そう言いかけた時、あのファンシーな着信音が鳴った。


〈はい、インファ……はい、大変申し訳ございません〉


それだけ言ってすぐに切り、僕の方を睨んだ。


〈……とにかく、坂城医師。ライムを早く現場復帰させて下さい〉


「あ、無理。再燃したばかりだからもう少し待って」


〈早く小夜部長を社会復帰させて!〉


「それは可能、ただ小夜さんが望んでない」


〈……どうしたらいいの……このままじゃ、ライムが回避したかった未来に進んじゃう……〉


そこでやっと、年相応の顔付きになって目に涙を浮かべた。


まるで別れを惜しむかのようにも見える。


そんな気がした。


《……ねぇ、回避方法、知りたい?》


そこで口を出したのは、まさかのカンナさんだった。


振り向いたら、ソファーに座り直していて、脚と腕を組み、半ば勝気になっている彼女がそこに居た。


それに縋るように、近づいて行くインファちゃん。


そして、僕に聞こえないように、そっと耳打ちをする。


それはすごい長い時間だった。


〈…………ライムがいれば……〉


話が終わったのは、食べ終わってキッチンで洗い物をしてる時だった。


インファちゃんの辛そうな声が、微かに聞こえる。


でも、カンナさんは相変らず、強気に振舞っていた。


自分が一番、しんどいはずなのに。


そう思いながら、水道の水を止めた。

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