5「偏愛」


「グォッ!?」

 危険を感じた瞬間にかろうじて身体強化を使えて助かった。使えていなかったら多分このまま僕の体が後ろへ持っていかれて背中を強打どころじゃ済まなかったかもしれない。 

 かろうじて故に胸部とその周辺に鈍痛が響き渡っているが、許容できる範囲だ。まだ恐竜型の記憶生命体に尻尾で吹き飛ばされた時の方が痛かった。

「よかった、生きてた…!」

 胸に突っ込んできた人物は震える声で、なおかつ安堵の声色を出し膝上に跨りながらガッチリと僕を抱きしめていた。視界の横に映る頭には見慣れた白髪が見える。

「なんだ桜木か。実戦ならともかく演習なんだから死にやしない…ってこれ何回だ?あと今はちょっと離れてくれ」

「嫌っ。今までもそうやって私の周りからは人がいなくなってきたの、白露だけなの」

 弱々しいような声で埋めている顔を擦り付けてくる。流石に無理やり引き剥がして叱ろうかと試みたが、力が強すぎて断念せざるを得ない。

「ちょっと、そういうことはここじゃないところでしてくれるかい?ここでおっぱじめられても困るんだよ」

 やや右斜め前の博士が足を組みわざとらしく咳払いを立て、ショートパンツから出ている太ももを中指でテシテシ叩きながらこちらを睨みつけた。

「僕と桜木はそういう関係じゃないですよ」

「そんなのを見せつけておいてそれは無理があるだろう」

 確かにそうだ、知らない人が見たら普通に交際関係にあるカップルだろう。そうはいってもこれは基本、戦闘が伴う任務から帰って来た時にだけこういう風にくっついてくる。

 僕は行き過ぎた心配性として僕は捉えているが、この先勘違いが増えても困る、もうしっかりと聞くべきか。

 それにしても今日はやけにしつこい、普段の二割増しレベルでくっついてくる。桜木の体温がじんわりと伝播し始めてそろそろ暑くなってきた。

「なんで今日に限ってそんなくっついてくるんだ?」

 桜木は顔をうずめたまま黙って何も喋りだす雰囲気は感じられない。いや、微かに「うー…」と呻いているような声が漏れている。なんなんだこいつは。

「そういう痴話にまみれた話はよそでやってくれ。似たようなことを二度も言わせないでくれないかい」

 先の桜木の泣きそうな声を聴いて気に障ったのか、睨みを利かせもう一度念押しをし退室を促してきた。

 博士はこういう男女の絡みが嫌いなのだろうか。

 博士がいつ爆発するかわからない、たとえ怒らせたとしても面倒なことになるだけだ。さっさと退散してしまおう。

「ほら、部屋に帰るぞ。自分で歩いてくれ」

 数秒、桜木は固まっていたがスッと僕から離れ立ち上がり、少し衣服を整え博士へ体を向けた。

「お騒がせして申し訳ありませんでした」

 先までの態度が嘘かのようにクールビューティな目つきと声に激変していた。アレは仕事中の桜木の姿だ、僕の前でもシャキッとしてくれていれば助かるのだが。

 そんな桜木を放っておき部屋から出ようとドアに手を掛けると、桜木が急いだ足音を立て駆け寄り後ろにピッタリついて来た。

 僕の耳には部屋から出る瞬間、ドアの金具が軋む音の他に重い吐息が聞こえた気がした。




「それで、なんで今日に限ってそんなにくっついてくるんだ?」

 後ろで裾をグッと掴みながらついてくる桜木が不安そうな声色で話し始める。

「昨日あの後寝れなくて、明け方に眠っちゃったから少し前に起きたの。謝ろうと思って白露の部屋に行ったらいなくて…嫌われたまま居なくなっちゃったらって、私怖かった…」

 掴まれてる裾が一瞬、強く引っ張られた。

 あぁ、昨日のアレは怒られたと思っていたらしい。そう思われても仕方ない態度だったかもしれないが、そこまで気に病むことだっただろうか。

 僕は向き直らずに、軽く弁明の意を一つ。

「別に嫌ってなんかはないさ」

 僕が軽く言ったのと反対に桜木は食い気味に「ほんと!?」と不安そうな声と一変、喜ぶような、安心したような声を出している。 

 研究室と自室は同じ棟の別階だ。あの会話以降、足音から察せれるほどご機嫌な桜木と数分歩くとすぐに自室の前へ着いた。移動の間、桜木は僕の服の裾をつかんで離さなかったおかげですれ違った数人から普段とは違うような視線を感じたが。

 僕はICLDでロックを外し、部屋に入ることはできるようになった。最近疲れっぱなしな気がしなくもないが今日は明確に疲れた、眠い。

 早いところ一人で早く寝てしまいたいところだ。

 後は桜木が手を離すのを待つだけだが、服の裾をつかむ手の力は全く緩まない。

 「…部屋に入りたいんだけど」

 視線を桜木の顔へ向けると「早く入れば?」みたいなきょとんとした顔をしている。この間部屋で待っていて何も言われなかったから入れると思い込んでるのか、なんという傲慢さだろうか。

 普段から面倒だが今日はより面倒に感じた僕は、家には上げるが何かされても無視の方向で行くことに決めた。

 「お邪魔しますっ」

 本当、今日だけは邪魔するなら帰ってほしい。

 桜木はリビングの方へトコトコ向かって行ったが、僕はよたよたの足取りで寝室へ直行し、M粒子循環ユニットの携行ポーチを適当に机へ放るとベッドへ倒れこんだ。

 あぁ。体が自重で軽く沈むマットレスの包容力ときたら、もはやこれで世界平和を狙えるだろう。ここまで守られているという感覚を出せるのは嫉妬してしまう。

 記憶生命体にもマットレスを贈ればみんな寝返ったりしないだろうか、無理だな諦めよう。

 寝返りを打ち体を仰向けにした後、無駄な思考と共にこのまま寝てしまおうかと考えていると部屋のドアがノックされた、さすがにここへはずかずかと入ってこないか。

「入って、大丈夫…?」

 再び声が少し不安交じりになっている、情緒の起伏が激しい。

「白露、返事できる?」

 何度も問うてくる声に僕は返事をせず、そのまま意識をジワーっと落としている。桜木の声は恐らくドアの前でむなしく消えているだろう。普通の体力なら入ってもいいと返事しても構いやしなかったが、今は無理。本当に無理だ。

 「まだお昼過ぎだけどもう寝ちゃってるの?ご飯とか、お風呂とかは…」

 未だに続く声をうっとおしく感じ腕を目の上に置き、瞼越しの光を塞ぐ。あと耳さえ塞げれば完璧なのだが、生憎僕の手の届く範囲に耳栓がない。一度寝る体勢に入ってしまうと動くのは億劫(おっくう)だ。

「白露、やっぱり私の事嫌い…?」

 一瞬、粘っこく脳と目にまとわりついていた眠気が揺らいだ。何を突飛(とっぴ)なことを言い始めるのだ、もう何も聞きたくない。さっさと寝に入ってしまうが吉というものだ。

 一瞬の切り替えにより寸前より重みを増した瞼に安心感を覚え、意識の深度がより深くなるのを感じる。先程ドアの開閉音と床の軋(きし)む音が聞こえた気がするが恐らく床鳴りとそれの類似事象だ。そう思ってなければおちおち寝ていられない。

「ねぇ、どうなの」

 その言葉に追随して寝ている僕の腰部から不穏な重みを感じた、このまま睡眠を強行する。

 重みはもぞもぞと動き、僕の意識レベルをぎりぎりとずり上げてゆく。おかげで全身の感覚もほとんど戻ってきた。

 「本当に寝てる?」

 んーという疑問符と若干の生温かさが僕の顔付近に近づいている。先程まで休眠準備をしていたはずの僕の脳が今度は危険信号を出し、瞼を開けろと予感を飛ばしてくる。

 あまりに軽くなった瞼をそっと薄目にすると眼前にはまた眼があり、目が合ったと認識するのは簡単すぎた。

「やっぱり起きてる」

「起こされたの間違いなんだけど、あと近い。体も顔も」

 僕は肩を押して距離を離そうと試みたが、その右手を掴まれ服越しでベッドに押し付けられた。服越しで分かる体躯(たいく)では信じられない力で。

―――妙な予感

 心臓を大きく鼓動、早急に素の力でM粒子を左腕全体に循環させ身体強化を適応。桜木の左肩を掴みベッドの下へ――――

 落とすつもりだったが僕の左腕はベッドの上へ押し付けられている。僕は抵抗を試みようと力に反発してみたがこちらが押し返そうとすると倍ほどの力が跳ね返って、より強くベッドに押し付けられただけだった。

「残念。やっぱりアレなしだと側近役の人たちが強化は強いからね」

 桜木の声は妙に落ち着いて不敵な笑みを浮かべているが、頬辺りは普段より僅かに紅潮し、その碧眼(へきがん)にはM粒子が作用する強化時独特の青く淡い光が毛細血管に沿って光っている現象が見て取れた。

「じゃあ、もう一度聞くね。私の事嫌い?」 

 碧(あお)い瞳でこちらの目を見つめ、質問を投げかけてくる。僕は思わず目を逸らしそうになったがここで逸らしたらダメ気がした。視線を桜木の碧眼に固定する。

「嫌いってニュアンスとは少し違う、大事な側近だと思ってるよ」

「私は好きだよ」

 予想外にも僕の少し濁した発言に間髪入れず一点突貫の言葉が返ってきた。僕は動揺を見せてはならない、ポーカーフェイスだ。

「それはライクか、ラブか。どっち?」

 桜木にマウントをとられている以上、このまま論点をずらし続け、いずれマシなところに着地してくれることを願うしかない。

「それ聞く?ラブだよラブ。私の愛届いてなかったのかな…」

 僕は目を閉じ一度思考を巡らせる。

 彼女は僕に恋情、愛情を向けられ、それでなおかつ僕は押し倒されたうえに力負けしている。今さらながらなんという状況だろうか、どうしてこうなった。

「こうすれば、私の愛届くかな」

「なにが…」

 問うがため、僕が開いた口にいきなり顔を近づけ、やわらかい何かが口の間に割り込んできた。腕を封じられ、混乱していた僕はされるがままの状態でそれは数十秒間僕の口の中で不規則に蠢き、やがて口から離れてゆく。

 「私の愛、これで届いたかなっ」

 息が切れ、視界にはチカチカと光の点が動いている。左上には『!』のマークと黄色いAIRの文字が強調され、ピピピと警告音が頭に響く。

 僕の脳に酸素が足りず、頭に明確な意識が上ってくるまでに体感数分の時間をかけてしまった。

 酸欠の影響か、声が遠くに聞こえる。桜木のにこやかな顔はこんなにも近いはずなのに。

「まだ、届いてない?」

「あぁいや、届いた。届いたよ嫌ってくらいには」

 ここまで直接的なことをされれば感じざるを得ないだろう。

「じゃあもう一度聞くよ。私の事、嫌い?」

 アドレナリンでも出始めているのだろうか、少し前よりも首で感じる脈拍が上がり、声はまだ遠いが妙に頭が冴え渡った。


 思考する。


 僕は誰か一人に執着できない。恐らく、何者かを守りたかったんだと思う。これは博士に問われた戦闘理念にも通ずるものといまなら実感できる。しかしその誰かを僕は知らないし、恐らくその誰かは、桜木ではない。

 故に答えは一つ。

「これはさっき言ったはずだけど、大事な側近だと思ってる。だから嫌いじゃないよ」

「…そう、なんだ。残念だなぁ」

 桜木は僕の横に倒れてアハハと笑い、今までのどこか圧を感じるオーラはどこかへ消え去ってしまった。

「もう片方のほうだったらオーケー貰えたのかなぁ」

 桜木はどこか後悔したような言いぐさで独り言のように小さくつぶやいていた。聞きたくないものを聞いたものだ。

「でも私、信じてるよ。白露はずーっと生きて帰ってくるって。私の好きな白露でいてくれるって」

「できるだけ頑張ってみるよ」

 桜木は隣で深く息を吸い、その息を落とした。

「今日疲れたよね。ごめんね、疲れた中あんなことしちゃって。ゆっくり休んで」

 そう言うと桜木はベットから降りて部屋から出ていく。すると部屋は一瞬にして完璧な睡眠空間として完成された。

 無駄に疲労が増したというわけでもなかった、見失っていたかもしれないものをかろうじて繋ぎ合わせれた。いい収穫だ。

 だが疲れたものは疲れた、脳内物質もドバドバに出たに違いない。脳疲労と身体疲労のダブルパンチは脳を改造した軍人とてきついものがある。

 特に心配もしていなかったがすぐに眠気が再来した。

 明日は、なにもなかったは、ず。ひさしぶりに――――

 僕の意識は明日の予定を考える間もなく消沈した。

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