第6話 あの日、起きたこと
「ここだよ。入って」
白石に促され、二人は病室の重いドアを抜けた。
窓際のベッドにいたのは、病人とは思えないほど快活な表情をした男性だった。彼は不意に現れた制服姿の来客に、驚いたように目を丸くした。
「びっくりした? 母校の映研の部員の子たちだよ」
「……なんで、映研の子が?」
戸惑う男性──水原純太に、白石は柏木と村瀬を指し示して笑った。
「それは、まあ、三人で話して。僕は下で買い物してくるから」
白石は気遣うように、足早に部屋を出て行った。
「こんにちは」
「……どうも」
柏木の挨拶に、水原は少しだけ肩の力を抜いた。柏木は意を決して、今日ここに来た理由を切り出した。
「俺たち、霧島いつかさんのことについて、映画を撮ってるんです」
「いつかについて……? どうして」
柏木はカバンから、あのDVDを取り出した。
「このDVDが、部室で見つかったんです」
「あぁ……これか」
手渡された盤面を、水原は慈しむように見つめた。その指先が、懐かしい記憶をなぞる。
「霧島さんについて、質問してもいいですか?」
柏木の真っ直ぐな瞳に、水原は覚悟を決めたように小さく頷いた。
「いいよ。……動画も撮りな」
水原の許可を得て、村瀬は静かにカメラを構えた。レンズの向こうで、水原がゆっくりと語り始める。
「あの映像の最初の部分は、いつ撮られたんですか?」
「喧嘩するちょっと前かな。まだ仲が良かった頃、卒業記念に映像を残したいっていつかに言ったら、あいつも撮りたいって言ってくれてさ」
水原の口元に、柔らかな笑みが浮かんだ。
「そうだったんですね」
「良い映像だろ?」
「……はい」
柏木は頷き、少し声を落として核心に触れた。
「では……どうして映像の最後は、あんな形なんですか?」
途端に、水原の顔に暗い影が落ちた。
「いつかには、もう二度と会えないと思ったからだよ。いつか、誰かがこの映像を見つけて、届けてくれたらいいなと思って……。でも、まさか本当にいつかに届けるまでを映画にするなんて。さすが俺の後輩だな」
水原の皮肉混じりの賞賛に、柏木は誇らしげにはにかんだ。
「どうして、もう会えないと?」
「あいつとは、色々あったからな」
水原は窓の外を見つめ、遠い空に視線を投げた。
「ここに辿り着くまでに、当時の部員の方に話を聞きました。でも、霧島さんのことを良く言う人はいませんでした。彼女は、本当はどんな人だったんですか?」
「いつかは、優しい子だったよ」
水原は断言した。
「ただ、感情を出すのが苦手で、無表情を貫いてたから、変な噂ばかり立てられた。あの猫の件も、俺が倒れた件も、周りの奴らは面白おかしく笑って……いつかのことを知りもしないで勝手なことを言ってる、そいつらが悪いだけなんだ」
「それなら……なぜ仲が良かったのに、誰も二人の関係を知らなかったんですか?」
「周りの奴らに、あらぬ噂を立てられるのはもう懲り懲りだ、っていつかが言ったんだよ」
柏木は納得したように頷き、さらに問いを重ねた。
「お二人は、どうやって仲良くなったんですか?」
「ははっ、恥ずかしいんだけどさ、同じ漫画が好きだったんだ。マイナーな作品で、いつかがそれを読んでるのを見て、つい声をかけちゃったんだよ。そこから、自分のこととか色々話すようになって……」
穏やかな回想。しかし、柏木の次の問いがその空気を切り裂いた。
「……では、あの時、理科準備室で何を話していたんですか?」
水原は動きを止め、深く、重い息を吐き出した。
「……何って、話すと長くなるぞ」
柏木と村瀬が真剣な表情で頷くのを見て、水原は苦しげに笑った。
「しょうがねぇな。……俺はさ、さっき出て行った白石想太のことが好きだったんだよ」
告白。それは七年前の部室に閉じ込められていた、もう一つの秘密だった。
「それと、先に言っておくが……この話の中で、一番悪いのは俺だ」
窓から差し込む光が、水原の顔に深いコントラストを作っていた。
始まりは、悪趣味な遊びだった。
いつもつるんでいた連中が、白石への罰ゲームとして「霧島いつかに告白させる」と言い出したのだ。
「俺は白石が好きだった。同時に、いつかと親友であることも隠していた。……何も言えなかったんだ。何も言えないまま、その時を迎えてしまった」
西日の射す校舎裏。白石が居心地悪そうに、けれど周囲の期待に応えるようにいつかへ声をかけた。
「……霧島さんのことが、好きでした。付き合ってください」
いつかの視線が、傍観者に徹していた水原を射抜いた。彼女は水原が白石を想っていることを知っていた。その瞳には、親友に裏切られたという激しい怒りと絶望が宿っていた。
「いいよ」
それは、当てつけのような返諾だった。
こうして二人は付き合うことになった。白石は当初、噂される彼女の「不気味さ」に怯えていたが、対話を重ねるうちに「普通の子だ」と喜び始めた。
「今度は俺が腹を立てた。醜い嫉妬だ。廊下ですれ違っても、いつかとは一言も喋らなくなった」
数ヶ月が経ち、水原の病状が悪化した。東京への転院が決まり、学校を去ることが決まった時、彼はようやく「最後に彼女と話したい」と願った。理科準備室に呼び出した頃、白石といつかの関係はとっくに終わっていた。
放課後の理科準備室には、薬品の匂いと重苦しい沈黙が満ちていた。
「……なに?」
いつかの声は低く、冷たかった。水原は自分勝手な苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。
「別れるくらいなら、最初から付き合うなよ」
「純太こそ。白石くんのことが好きなのに、なんであんなこと平気でさせるの?」
「平気じゃない……!」
「私も、平気じゃないよ」
いつかの言葉に、水原は言葉を失った。
「……純太のことが、好きなんだよ。ずっと、好きなんだよ」
「……っ、思ってもないこと言うなよ! お前の顔を見れば分かる、そんなの嘘だ」
無意識に出た拒絶の言葉に、いつかは深く俯いた。
「……これ以上、どうやって伝えればいいの?」
彼女は拳を強く握りしめ、震える声で続けた。
「感情がないって、どれだけ怖がられて馬鹿にされても……純太がいたから大丈夫だったのに。どうして、純太まで」
いつかの眉根が悲痛に寄せられる。それは、感情がないと言われ続けた彼女が、唯一さらけ出した精一杯の激情だった。
「どうして、純太まで私と向き合ってくれないの!」
いつかは泣き叫ぶ代わりに、弾かれたように部屋を飛び出していった。
一人残された水原は、自分がどれほど酷いことを言ったかにようやく気づいた。けれど、追いかける体力は残されていなかった。視界が歪み、彼はその場に崩れ落ちた。
東京へ発つ前日、水原はいつかに謝罪しようと連絡し、会う約束を取り付けた。
しかし、待ち合わせ場所に現れたのはいつかではなく、白石だった。
困惑する水原は、テーブルの下でいつかに「どうして来ないのか」とメッセージを送った。そんな中、白石が真剣な面持ちで切り出した。
「……俺のこと好きって、本当?」
「え?」
「霧島と付き合っていた時に、あいつから聞いたんだ」
白石は少し照れたように、けれど真っ直ぐに水原を見つめた。
「俺もうまく言えないし、これが恋愛感情なのかも分からない。……でも、俺も水原のこと、好きだよ」
その時、手元のスマートフォンが震えた。いつかからの返信だった。
『よかったね』
ふと窓の外を見ると、遠くにいつかの姿が見えた。彼女はこちらを見つめていたが、すぐに背を向けて去っていった。
「俺は追いかけなかった。親友であるいつかより、恋い焦がれていた白石を選んだんだ。……最低だよな」
翌日、霧島いつかは学校に来なかった。
水原はそのまま、彼女に一度も謝れないまま、遠い東京へと向かった。
「それから、いつかに連絡しても繋がらなくなった。俺も病気が悪化して、地元に帰ることもできなくなって……」
水原の声は、静かに、けれど痛切な後悔を孕んで病室に響いた。
「その時、ようやく気づいたんだ。俺も、あいつを嘲笑っていた他の奴らと同じだった。いつかの気持ちを、ちゃんと見てなかったんだ。勝手に感情を決めつけて、勇気を出した告白を無視して……。いつかに対して、一度だって真剣に向き合わなかった」
水原は力なくシーツを握りしめた。
「きっと、謝る方法なんていくらでもあったはずなんだ。だけど、俺はどれも選ばなかった。謝ることが、向き合うことが、ずっと怖かったから」
窓から差し込む夕光が、彼の蒼白な横顔を照らし出す。
「そして……何よりも大切なものを、俺自身の手で壊してしまったんだ」
柏木と村瀬は、かける言葉が見つからず俯いていた。
柏木の瞳には熱い涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。村瀬もまた、カメラを持つ手が微かに震えている。ファインダー越しに見る真実は、あまりに重く、悲しい。
「……まぁ、全てはこんな感じかな」
水原は憑き物が落ちたように、あっけなく笑った。
「俺は、いつかにちゃんと謝りたい。若気の至りなんて言葉で片付けられないくらい、いつかを傷つけたのは事実だから」
柏木は溢れそうな涙を拭い、水原を真っ直ぐに見据えた。
「……霧島さんに会って、話してみます」
「今日は本当に、ありがとうございました」
二人は深く、深く頭を下げた。
「全然いいんだよ。……良い映画にしろよ」
水原のその言葉に、二人は力強く「はい」と答えた。
病院を出ると、そこには白石が待っていた。
「話、終わった?」
「はい」
村瀬の返答に、白石は少しだけ安堵したように空を見上げた。
「あいつ、元気そうだったろ。……でもな、あいつ、あと余命一年なんだよ」
「え……?」
村瀬の息が止まった。白石は辛そうに、歪んだ笑みを浮かべた。
「あいつの心を乱したくなくて、君たちの電話に俺が水原のフリをして出たりしたけど……。でもやっぱり、あいつを後悔させたまま死なせたくないって、君たちと話してそう思ったんだ」
白石は二人の肩に手を置くようにして、絞り出すような声で言った。
「だから。……霧島のことを見つけて、あいつに謝る機会を与えてあげてほしい」
柏木と村瀬は、覚悟を込めて頷いた。
駅へ向かう道すがら、街灯が一つ、また一つと灯り始める。
「感情を表情に出すことが苦手なだけなのに……周りに誤解されて、噂されて」
村瀬が独り言のように呟く。
「それでも、水原さんだけが信じてくれていたから、いつかさんは何と言われても平気だったんだと思う」
村瀬は立ち止まり、柏木を見上げた。
「みんな、自分の気持ちに正直すぎたのかな……」
柏木は沈む夕日を見つめ、静かに、けれど熱を帯びた声で答えた。
「水原さんの想いも、霧島さんの悲しみも……。俺たちに出来ることなら、何だってやりたい」
「うん」
二人の影が、長く伸びて重なる。
映像研究部の「映画」は、今、ただの記録を超えて、誰かの人生を取り戻すための戦いへと変わろうとしていた。
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