第4話 理科準備室

 雑草の生い茂る空き地に、昼休み終わりのチャイムを気にするような、どこか落ち着かない空気が流れていた。

 中村は腕時計に目を落とし、少し面倒そうに口を開いた。

「あと少しで昼休みが終わるから、ちょっとでいいなら……」

「名前も顔も隠して、声も変えるので。記録用に撮影してもいいですか?」

 村瀬がすでに構えていたカメラに気づき、中村は「まあ、いいよ」と軽く肩をすくめた。

 撮影開始の合図とともに、柏木が問いかける。

「霧島さんと中村さんは、何か関わりがありましたか?」

「特になかったね。話したこともあんまないし、二年の時に同じクラスだったってだけだ」

 中村はどこか他人事のように答えた。その「無関心さ」が、当時の霧島いつかの立ち位置を物語っているようだった。

「じゃあ、霧島さんと水原さんの関係について、何か知っていることはありますか?」

「え、その二人? あぁ……あったわ、そういえば」

 中村は思い出したように、愉快そうに鼻を鳴らした。

「当時連んでた水原と一緒に、白石って奴に霧島へ告白する罰ゲームをさせたりしてさ。そしたら白石と霧島、本当に付き合っちゃって。まあ、速攻別れてたけどね」

 中村はケラケラと笑う。その無神経な笑い声に、カメラを構える村瀬の指先が微かに強張った。

「それ以外には何か?」

「あー、それ以外だと、水原が転校する直前かな。水原が理科準備室で倒れたんだよ。その時、真っ先に部屋から出てきたのが霧島だった」

「先に、というのは?」

「霧島が言うには、自分が出て行った後に水原が倒れたらしい。本当かどうかは知らないけどね」

 中村は肩をすくめ、吐き捨てるように続けた。

「とにかく、猫の件もあったからさ。また霧島が水原に何かしたんじゃないかって、学校中大騒ぎだったよ」

 当時の歪んだ空気が、中村の言葉を通して再現されていく。無実かどうかなんて関係ない。ただ、彼女がそこにいたというだけで「犯人」に仕立て上げられていく、そんな空気。

「……そうなんですね。水原さんの連絡先はご存知ですか?」

「あー、高校の時のなら知ってるよ。変わってたらごめんだけど」

 中村が提示したスマートフォンの画面を、柏木は逃さずカメラに収めた。

「霧島についての映画、ね。……まあ、びっくりしたよ。物好きもいるもんだな」

 中村はそう言い残すと、背を向けて去っていった。

 空き地に取り残された二人の間に、重い沈黙が流れた。

「ありがとうございました……」

 柏木の呟きは、中村に届く前に風にさらわれて消えていった。霧島いつかの周囲に渦巻いていた「悪意」の断片。それを拾い集めるたび、物語は思わぬ形へと歪み始めていた。


 翌日の部室には、埃っぽさと共に張り詰めた空気が漂っていた。

「水原さんと連絡が取れた。明日の午後六時に、駅前の喫茶店でって」

 柏木が手帳を閉じながら告げると、村瀬は小さく頷いた。

「いつものことだけどさ、俺が全部聞くから。村瀬はカメラに集中してて」

「……うん」

 返事は短かった。村瀬は三脚のネジを無意味に締め直しながら、胸に燻ぶっていた不安を言葉にする。

「あのDVDの……最後の真っ暗な画面で話していた男の子……もしかしたら水原さんだったりして……」

「……そうかもな」

「ねえ、柏木。霧島さんのことをこうやって深く掘り下げていくの、本当に正しいのかな。私たち、あの映像の男の子が言っていたみたいに、誰かを傷つけたりしない?」

 柏木は窓の外を見つめたまま「わからない」とだけ答えた。その曖昧な拒絶が、村瀬の焦燥を煽った。

「今まで話を聞いた人たちは、みんな霧島さんのことを悪く言ってた。もし彼女がこれを見たら、きっと深く傷つくよ。……ねえ、映画なんて、もうやめない?」

「でも、ここまで来たんだぞ」

 村瀬は俯き、膝の上で拳を握りしめた。

「柏木はいつもそう。良くも悪くも感情で突っ走って、周りの人間を振り回して、傷つけて……。なんでいつも、少しでも人の気持ちを考えないの?」

「考えた先に答えがあるのかよ!」

 柏木の怒鳴り声が部室に響いた。

「直接会って、見て、聞いて。そうやって相手の気持ちを探すのが俺のやり方なんだよ! あの男の子の言葉を霧島いつかに届けられたら、それでいいだろ! 俺はその過程を映画にしたいだけで、彼女を傷つけるつもりなんてないんだよ!」

 柏木は苛立ちをぶつけるように乱暴に頭を掻きむしった。

「……俺だって、こんな険悪になることなんて望んでない」

 長い沈黙が流れた。先に折れたのは村瀬だった。

「……ごめん。言いすぎた」

「俺も……ごめん」

 柏木は村瀬の正面に立ち、深く頭を下げた。

「でも、明日水原さんに会ったら、また違う意見が出てくるかもしれない。だから、明日まででいい。協力してほしい」

「……分かった」

 その時、柏木のポケットでスマートフォンが震えた。画面には『松井とわ』の名前が表示されていた。


 黄昏時の公園。柏木は遠くのベンチで小さく丸まっている影を見つけ、駆け寄った。

「とわ!」

 近づくと、松井は顔を伏せたまま動かなかった。その肩の震えに、柏木は動悸が速くなるのを感じた。

「……何があった」

 問いかけると、松井は重い口をゆっくりと開いた。

「母さんは父さんと離婚してから」

 柏木は息を呑み、少年の横顔を見つめる。

「どんどん体調が悪くなって、物を投げたり、暴言を吐いたりするようになって、家に帰らなきゃいけないのに、どうしても、帰りたくなくて」

 柏木は何も言わず、大きな手で松井の頭をそっと撫でた。

 松井が驚いたように顔を上げる。その瞳は潤んでいたが、柏木と目が合うと、ふっと憑き物が落ちたような顔をした。

「……でも、晴光くんの顔を見たら、少し大丈夫になりました」

 柏木は唇を強く噛んだ。霧島いつかの過去を追い、人の心を暴こうとしている自分が、目の前の少年の孤独に対してあまりにも無力に思えた。

「……何もできなくて、ごめん」

「いえ。話を聞いてくれて、ありがとうございます」

 松井は無理に作ったような、けれどどこか温かい笑みを浮かべた。その笑顔が、柏木の胸を鋭く刺した。

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