第3話 猫を埋めた少女

 翌日、二人はバスを乗り継ぎ、街外れにある大学のキャンパスを訪れていた。

「すげー……。やっぱ大学院があるようなところは、空気からして違うな」

 広大な敷地と近代的な校舎を見上げ、柏木が感嘆の声を漏らす。

「あ、あの人じゃない?」

 村瀬が指差した先、並木道のベンチの側に、一人の端正な女性が立っていた。落ち着いた雰囲気を纏ったその女性は、二人の制服に気づくと、小さく手を挙げた。

「映像研究部の子たち?」

「はい。連絡した柏木と村瀬です。お忙しいところ、ありがとうございます」

 二人が頭を下げると、斉藤は穏やかにベンチへと促した。

「霧島さんのことについてだよね」

「はい」

「顔は映さないので、記録用にカメラを回してもいいですか?」

 村瀬がスマートフォンを取り出すと、斉藤は「顔が映らないなら」と短く承諾した。村瀬は画角を調整し、斉藤の首から下だけが画面に収まるようにして撮影を開始した。

「私は、彼女と特に仲が良かったわけじゃないんです。ただのクラスメイト、という関係でした」

 斉藤は膝の上で手を組み、遠い記憶を辿るように話し始めた。

「霧島さんと仲の良かった人、ですか……。想像もつかないですね。彼女はいつも、朝から帰る時までずっと一人だったから。私は二年も三年も同じクラスでしたけど、卒業するまでの二年間、誰かと一緒にいるところを見たことがありません」

「一年生の時はどうでしたか?」

「クラスが違ったので深くは知りませんが、いなかったと思いますよ。……浮いていましたから」

 柏木は少し身を乗り出し、斉藤の横顔を見つめた。

「斉藤さんの主観で構いません。霧島さんの性格や、当時の空気感、彼女に対して抱いていた感情を教えてください。名前も顔も伏せます。声も変えます。だから、あなたの本当の言葉を聞かせてほしいんです」

 斉藤は少しだけ戸惑ったように視線を泳がせたが、やがて絞り出すように口を開いた。

「……霧島さんは、私からすると『怖かった』です」

「怖かった、と言うと?」

「いつも一人で、笑った顔なんて一度も見たことがなかった。二年の時だったかな、ある日校舎裏で猫が死んでいたんです。生徒たちがギャーギャー騒いで取り囲む中、彼女だけが迷わず猫の前に行って、無表情のままスコップで穴を掘って、猫を埋めました。泣くこともなく、淡々と」

 斉藤の指先が、微かに震えた。

「教室に戻ると、誰かが言ったんです。霧島さんがあの猫に餌をあげているのを見たことがあるって。そこから『あんなに無感情に埋められるのは、彼女が殺したからじゃないか』って噂が流れた。本当のことは分かりません。でも……彼女なら、もしかしたら本当に、なんて思わせてしまうような冷たさがあったんです」

「その後、彼女に変化はありましたか?」

「三年生の後半から突然、学校に来なくなりました。水原くんが転校していったのと、ちょうど同じ時期に」

「水原くん?」

 聞き慣れない名前に、柏木が反応する。

「はい。病気がちで、転校する直前にも学校で突然倒れたことがありました。その後、東京の病院に転院するために違う学校へ行ってしまった。彼も映像研究部の部員だったんです。当時の映研は、私と水原くん、あと中村くんの三人だけでしたから」

 ようやく繋がった「映像研究部」という接点。

「水原さんの連絡先は……」

「転校して以来会っていないので、分かりません。でも、中村くんなら」

 斉藤はカバンから手帳を取り出し、小さなメモに数字を書き込んだ。柏木はそれを丁重に受け取る。

「今日は本当に、ありがとうございました」

「いえ」

 斉藤はそれだけ言うと、足早に大学の校舎へと消えていった。

「……霧島いつかって、なんかよく分かんないな」

 駅へ続く道すがら、柏木がぽつりと呟いた。隣を歩く村瀬の沈黙が長いことに気づき、彼は足を止めた。

「村瀬、言いたいことがあるなら言えよ」

 村瀬は深く息を吸い、柏木を真っ直ぐに見つめ返した。

「……霧島いつかが猫を殺したところを、誰も見たわけじゃない。悲しいから涙を流すっていう考え自体、斉藤さんの固定概念だと思う」

 言葉が熱を帯びていく。

「ショックすぎて感情が死んでしまうことだってあるよ。騒いで遠巻きに見ているだけの生徒より、無言で土に還してあげた彼女の方が、ずっと優しかった可能性だってある」

 柏木は呆気に取られたように村瀬を見た後、空を仰いで大きく伸びをした。

「……村瀬は、カッコいいな」

 柏木が屈託のない笑みを向ける。

「え、何?急に」

「いや、本当のことだし」

 村瀬は少し頬を赤らめながら、柏木を真似して空を仰いだ。

「柏木こそ松井くんとは仲良くなれたの?」

 柏木は悪戯っぽく目を細める。

「もうすぐかな」

 その確信に満ちた笑顔に、村瀬は「松井くん、可哀想に」と心の中で密かに同情を寄せるのだった。


 放課後の図書室。静寂が支配する本棚の隙間で、ターゲットを見つけた柏木が声を弾ませた。

「いたいた」

 松井は、まるで忌々しい羽虫を追い払うかのように、読んでいた本を音を立てて閉じた。そして、眉をひそめて柏木を仰ぎ見る。

「……図書室まで、何の用ですか」

「仲良くなるために決まってんだろ」

 あまりに臆面もない柏木の台詞に、松井の顔がわずかに引き攣る。柏木はそんな反応など意に介さず、松井の手元にある本を指差した。

「その本、どんな話なの?」

 松井は視線を落とし、無機質な表紙をぼんやりと見つめた。

「……分からないです」

「え、読んでたのに?」

 柏木の視線が、問いかけるように松井の瞳を捉える。松井は逃げるように視線を逸らすと、絞り出すように本音を零した。

「……家に、帰りたくなくて。ここで暇潰してるだけなので」

 開かれたまま進まないページ。インクの匂い。それだけが、今の彼にとっての防壁なのだ。

「本も読まないで、ずっと何考えてるの?」

 柏木の真っ直ぐな言葉が、松井の閉ざされた領域に踏み込む。松井の表情に、少しだけ苦しげな翳が差した。

「……言わないといけないですか」

 柏木はそれを見て、ふっと優しく笑った。

「まあ、それはとわ次第だな」

 そう言うと、柏木はひょいと立ち上がり、松井の本を手に取った。

「何してるんですか」

 驚く松井を尻目に、柏木はそれを本来あった棚の場所へと戻してしまう。

「暇なんだったらさ、話そうぜ」

 有無を言わせぬ明るさ。柏木は松井の細い腕を躊躇いなく掴むと、静寂の聖域から強引に彼を連れ出した。

 少し冷えた缶ジュースのプルタブを開ける音が、夕暮れの公園に響いた。

「お前、友達いないって本当かよ」

 柏木が喉を鳴らしてジュースを飲み込みながら、隣の松井に問いかける。

「……何か問題でもありますか」

「確かに問題ないな」

 柏木のあっさりとした肯定に、松井は毒気を抜かれたように溜息をついた。

「あの村瀬さんは、よくあなたなんかに付いていけますよね。正直、尊敬します」

「あいつは相棒だからな」

 誇らしげに胸を張った後、柏木はふと思い出したように松井を指差した。

「あとさ、その『あなた』って呼ぶのやめろ」

「……じゃあ、なんて呼べばいいんですか?」

「晴光って呼べ」

 松井は、心底嫌そうな顔をして柏木を凝視した。

「なんでわざわざ、下の名前で呼ばなきゃいけないんですか」

「そっちの方が気分が上がるんだよ、俺の」

「……」

 松井の瞳から、完全に光が消えた。

「おい、そんな死んだ魚みたいな目で見るなよ」

 柏木は笑い飛ばしながら、スマートフォンを取り出して松井の目の前に突き出した。

「そうだ、とわ。連絡先教えろ」

「何でですか」

「何でって、友達だからだよ。決まってんだろ?」

 夕闇が迫る中、柏木の無邪気な宣言だけが、逃げ場のないほど鮮やかに公園を彩っていた。

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