【鬼の守り部短編】白き覚悟を
白原 糸
白き覚悟を
――揺るがぬ護りの白の
御国を護ると笑う
我らは忘れはせぬぞと誓う……
朗々とした伸びやかな歌声が白い世界に満ちる。
高く開放的な天井の下、ただ一人が立つ舞台の上で歌声は尚も続く。
――帝国精神 山に原に旗は風に
轟く
ああ! 我等を導く
朗々とした歌声は建物の中で反響しながら音の余韻を淡く残して、やがて消えていった。
そうして静かになった舞台の上に一人立つ青年は観客のない客席に向かって深々と頭を下げた。次に顔を上げた青年は柔和な笑みを浮かべて遠くの天井を見上げた。〈
彫刻のように非現実的な美しさと称された顔。採光窓からの光によってより一層白さを際立つ肌に、光を孕んで輝く色素の薄い灰色の目。鴉の濡れ羽のような黒髪はわずかな干渉色を浮かべる。
澄人は一人、舞台の上に立ちながら〈
高さのある天井は幾何学を駆使して作られている。緩やかなアーチを描く天井は遙か先、
それは澄人の
〈白天ノ子〉というのは前線を任される聯隊旗手の尊びを籠めた名称だ。相手の戦意を喪失させる側面を持つお役目を澄人は十八歳の時に賜ったのだ。
――あなた達の掲げる
拝命の折、旗と共に与えられた言葉は澄人の胸の中にある。願いを籠めた言葉が叶うことはなかった。
〈
今も尚、痛みを残す二年前の戦争の記憶を閉ざすように澄人は目を閉じた。手は自然とお腹の前で指を組み、半ば祈りを捧げるような格好になる。
澄人はゆっくりと口を開いた。
「――ああ、夜明けよ。遠き山に触れて歌う
柔らかな声が〈白ノ間〉の中で反響する。そうして澄人は目を開けた。音の余韻は伸びやかに響き、白い光の中に消える。あわく白い光の中へ。
「そなたの声は幾重もの歴史を繋ぐ繰り返す夜明けを繋ぐ守り名の声よ……」
澄人が歌い終えた時、聞こえる筈のない拍手の音が響いた。
無人の筈の客席に澄人が驚きに目を瞬かせると、身廊の両脇に並ぶ円柱の影から黒い影が手を叩きながらゆっくりと出てきた。黒を基調とした軍装、白銀の装飾。澄人の軍装と違い、その人の軍装には飾緒がない。〈
〈白の御楯〉の軍装は〈白天ノ子〉と対になる。軍衣、軍袴、軍靴、肩章、襟章、飾緒――身に着けるもの全てが色の違う黒の名を持つ軍装が〈白の御楯〉である証だった。
〈白の御楯〉の軍装を脱ぎ、通常の軍装となったその人の名を澄人は呼んだ。
「
羽坂
親子関係を結ぶ〈
「相変わらず良い声だねえ。柔らかくて心地が良い」
羽坂は拍手をしたまま、客席の間をゆっくりと歩いた。
七三分けのオールバックは少し乱れ、彫りの深い目の下の隈は色濃く滲む。澄人ほどではないが、羽坂もまた、色素の薄い
「久方ぶりの歌劇場はどうだ」
羽坂の言う歌劇場とは〈白ノ間〉を指す。〈
戯れに歌劇場と呼んだ羽坂に呆れた笑みを向けながら澄人は答えた。
「変わらず素敵な場所です。羽坂さんは何故、ここに?」
「仕立屋がここに来ていてね、緊急で今いる奴ら全員衣装合わせだ。今は高久が合わせてもらっている」
衣装合わせ、と聞いて澄人は華やかな行進を思い出した。
「……もうすぐ〈
〈祝ノ始〉とは
〈
その日は一日、どこもかしこも歓呼の声が聞こえる。
白に満ちた世界に白い花びらが舞い、白い石畳の上を歩く軍靴が鳴り響く。
そうして軍楽隊の奏でる音が重なりあう。
生きとし生けるものへと言祝ぐように。
「澄人」
いつの間にかぼんやりとしていた澄人を羽坂の声が揺り戻す。羽坂は客席に座って足を組んでいた。肘掛けに肘を置き、頬杖をついている羽坂の目が射し込む光によって細められる。
「無理に出なくてもいい。パレヱドなんぞ誰がやっても同じだ」
なかなかにえげつない発言でもあるが、羽坂がそう言ったのには理由がある。二年前の戦争、〈迫桜高原ノ乱〉で澄人は心身共に傷つき、〈白天ノ子〉を休職していたのだ。
――生きろよ。
命を賭して〈白天ノ子〉を護った軍曹達の笑顔が澄人の脳裏に浮かぶ。
揺るがぬ護りの白の御楯らよ。あの日、〈白の御楯〉達は怪我で離脱した羽坂を除いて全員が迫桜高原から帰って来なかった。
生きて帰った〈白天ノ子〉は澄人を除いて全員が辞職し、そして、軍から離れた。
そうして澄人は休職を経て〈白天ノ子〉として再び軍務に戻ることを選んだのだ。
「無理はしていませんよ。でなければ、〈白天ノ子〉として
そう言って澄人は舞台から飛び降りた。飛び降りた澄人の体はぶれることなく床の上に軽やかに降り立った。
かぁん、と軍靴の音が軽やかに響く。
そうして澄人は先程まで立っていた舞台を振り仰いだ。ステンドグラスの採光窓から淡い光が降り注ぐ。ステンドグラスもまた、様々な白の組み合わせを駆使して作られている。天井近くまである細長い窓硝子には顔を隠したまほらの姿がステンドグラスで描かれている。薄いベールを纏い、手を広げるその姿に畏れを抱く者は多い。
――あなた達の掲げる御旗と纏う軍装がまっさらなままであることを切に願う。
その絵を背に願いを告げたあの人もまた、まっさらな軍装のままではいられなかった。あなたの無事を希う。それでもその時は予期せぬ形で訪れる。
(それでも私は、軍装を汚す道を選び歩く)
澄人は前を向くと客席から立ち上がった羽坂と共に、白い光に包まれた身廊の中を歩き出した。
**
〈
総司令部の中は慌ただしく走り回る人々の姿があちこちで散見された。隊列をひとつひとつ確認し、着衣に乱れがないか、化粧が落ちていないかを確かめる人々が行き交っているのだ。
軍人達は〈祝ノ始〉の為の礼装を纏い、緊張の面持ちで立つ。
澄人もまた、〈祝ノ始〉の為の礼装を纏っている。その礼装もまた、〈白天ノ子〉だけが纏うことを許される真白なものだった。
軍帽、丈の長いダブルブレストの詰襟の軍衣、飾緒、軍袴、軍靴。そして地面を引きずる長いケープをその上から羽織る。肩章は房付きの豪奢なものだが、派手にならないよう工夫された意匠であった。
一人一人の体型に合わせて仕立てられた礼装は澄人の体によく馴染んだ。
「澄人」
澄人が顔を上げると、髭のないつるりとした顔の羽坂が立っていた。顎に手を当てて苦笑している羽坂に澄人は破顔した。
「お顔、つるつるですね」
「儀礼の場にその髭はやめろと高久に注意されたのよ。厳しいよなあ?」
澄人は笑顔のまま首を振った。
「あなたも手厳しいね」
「今日くらい我慢してください」
肩を竦めて答えた羽坂の礼装は澄人と同じ礼装だった。違うのは澄人が様々な白色を使った真白な礼装に対して、羽坂の礼装は様々な色の黒を使った真っ黒な礼装だ。そして澄人にはケープがあるが、羽坂にはケープがない。これは〈白の御楯〉の役割故だ。〈白天ノ子〉を護り導く〈白の御楯〉は護りの邪魔になるようなケープを必要としない。
「まあ、あなたと高久の言うことは尤もだ。〈白の御楯〉として最後の行進だ。悪目立ちは控えんとな」
「寂しくなりますね」
「そう言わんでくれ。あなたの〈白の御楯〉としての軍務は続くんだ」
そういうことではないのだと澄人は思ったが、答えなかった。羽坂があれだけ固辞し続けた昇進を受け入れ、〈白の御楯〉を辞めたのは澄人の為であることを知っているからだ。
「さて、俺もそろそろ配置につく。澄人、本当にいいのか?」
榛色の目が澄人を見下ろす。時に昏い色を湛える目を受け入れて澄人は微笑みを浮かべた。
歓呼の音をかき消す軍靴の音が鳴り響く。
皓々とした石畳の上を力強く歩く。
何もかも白に満ちた〈白幹ノ通〉の両脇には歴史を重ねた煉瓦造建築がずらりと並ぶ。その窓と露台から人々が顔を出し手と旗を振る。白い世界の中で観客だけが唯一、鮮やかに色を添えていた。
白と黒の入り交じる行進の中で澄人は隊列の前に一人、旗を両手に歩いていた。
遙か前方では黒を基調とした礼装の軍楽隊が多彩な音楽を奏で、流行曲が始まる度に割れんばかりの拍手があちこちで起こる。
澄人は目の前に広がる光景を真っ直ぐに見据えていた。視界に入る澄み渡る空はどこまでも遠い。
屋上から降り注ぐ白い花びらを浴びながら行進はどこまでも続くかのように思われた。
白い旗が舞う。ケープが風を孕み膨らむ。
歓呼の声を聞きながら澄人は微笑みを浮かべて前を向いた。
やがて軍楽隊は〈白幹ノ通〉の十字路、四ツ辻ともなる場所で二手に分かれた。その目の前に黒々とした隊列が迫る。
――いいのか。
この任を引き受ける時、澄人は羽坂に問われたのだ。
――あなたはあの戦争を経験して唯一、〈白天ノ子〉を辞退しなかった人として有名だ。軍は国民の心を繋ぐ為にあなたを政に利用する。……それでもいいのか。
澄人は力強く、それでも軽やかに歩きながら、十字路の真ん中で立ち止まった。次に目の前で片足を立てて跪いた人の顔を見る。幼い頃から自分を護り続けた男の顔を。
澄人は旗竿を横にすると、両手を捧げ待つ人の手のひらに置いた。
そうして顔を上げた澄人は息を吸った。
「揺るがぬ護りの白の御楯らよ……」
この歌を歌う時、〈白天ノ子〉を護り死んだ〈白の御楯〉らを思い出す。あちこちに飛び散った体を集めて弔ったあの夜は未だに夢に見る。
それでも忘れない記憶がある。護られた刹那に見た、あの優しい笑顔だ。
――御国を護ると笑う其の顔を
我らは忘れはせぬぞと誓う……
羽坂の問いに澄人はこう答えた。
――構いません。私は〈白天ノ子〉としてあの日、私と、〈白天ノ子〉を護ってくださった方々の為にあの道を一人、歩きましょう。
だけど、澄人はひとつだけ、嘘を吐いた。本当は一人ではないのだ。実は澄人の礼装は〈白天ノ子〉を辞めた元軍人達が残したものを使っている。澄人が無理を言って仕立屋に頼んだものだ。誰もが無理だと難色を示したが、仕立屋〈いちのえ〉の主がその無理を叶えてくれたのだ。
ケープが風を孕み膨らむ。澄人の華奢な体を際立たせるたっぷりとした布が波打つように軽やかに揺れる。
澄人は尚も高らかに力強く声を上げた。
「帝国精神 山に原に旗は風に閃く」
小さな白い旗を振る人波が見える。白い旗の真ん中に白銀の太い線が一本。この国の成り立ちを表わす旗を歓呼の声と共に人が振る。
(この景色を、あなた達と共に見たかった。城ノ戸軍曹。稲生軍曹……)
迫桜高原で亡くなった〈白の御楯〉らの名前を、顔と共に浮かべながら澄人は高らかに歌った。
「轟く其の名は白き御楯の名に恥じぬ」
(この場所に立つことを選ばなかったあなた達の相棒の代わりに私は今、言祝ぎと共に弔いの歌を歌う)
届け。
届け。
あの地まで。
この歌は言祝ぎであり、弔いの歌。
柔らかな声が〈白幹ノ通〉に満ちるように広がる。
力強くも柔らかく、優しい響きを持つ歌声だった。
「ああ! 我等を導く股肱の臣よ!」
割れんばかりの歓声と拍手が降り注ぐ。澄人はお腹の前で指を組み、そうして深々と頭を下げた。
それからも拍手は鳴りやまず、澄人は歓声と拍手の降り注ぐ中、頭を上げた。澄人の隣には立ち上がった羽坂が並ぶ。澄人は隣に並ぶ人をちらと見上げた。羽坂の目は遠くを見つめて手を振る。その度に歓声があちこちで上がる。
(私は、この先も〈白天ノ子〉として生きる)
それが私の命を護り死んだ〈白の御楯〉らに報いることなのだ。
澄人は微笑みを浮かべて未だ鳴りやまぬ歓声と拍手に応える為に手を振った。
〈
晴れ渡る空の下行われた〈祝ノ始〉の八ヶ月後、十二之月。史上最悪の戦争と呼ばれることになる〈
【鬼の守り部短編】白き覚悟を 白原 糸 @io8sirohara
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