ヤツデ
涼風紫音
ヤツデ
人は失って初めて、人生の大切なものが何かに気づくという。よくできた話だけれど、それは四十五リットルの可燃ごみの袋に誤って乾電池を入れて捨ててしまうくらいの話だと思う。ごみ袋から乾電池を回収して、まだ電気が残っているか確認するほど愚かしいことはない。
夜の東京湾は半分腐り半分生きているような生暖かい潮風が吹いている。それは半分死に半分死んでいないような人を、誘蛾灯のように引き寄せる。だいたいはカップルだ。本当に死んでいれば来るはずもないし、生きているのであればこのような場所にはこない。愛し合うには生臭く、別れを告げるにはいささか華やか過ぎる。
私は、いま一人ベンチに座り、気の抜けた炭酸水を片手に、感傷に浸るでもなく愛惜に沈むでもなく、別れた彼のことを思い出している。
「他に好きな人がいるんだ」
その言葉に嘘はないとわかっていた。私のような五百円のTシャツと千円の短パンで満足するような底辺女にお似合いの屑野郎だということは、付き合う前から知っていた。だから失って初めて大切だとも思わなかったし、そもそも失っているのかどうかさえわからない。
それは今日と明日がただ秒針がそれを指したというだけで切り替わるような、もしくはカレンダーをめくれば日付が変わるとでもいうような、そんなわかりやすいものではない。もっと曖昧で、もっと猥雑で、おおむねどうでも良いことでもある。
「沖縄旅行とか、行こうよ」
私の言葉にも嘘はなかった。実際そう考えていたし、すでに飛行機のチケットは二枚買ってあったのだから。何かを期待をしていたわけでもないし、なんとなくそういう気分だっただけだ。それへの答えが「別れよう」という言葉でなかったならば、いまごろ行きずりの女よろしくあの男と沖縄に向かっていた。それだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。その飛行機は、いままさに私の頭上でぽっかり空いた二つの席を運んで飛んでいる。
自覚している程度には顔もスタイルも平凡な私がその男と出会ったのは、ただの偶然に過ぎない。そこに運命的なものなどありはしなかったし、ありふれたろくでもないものだった。泥酔して彷徨い歩いていた歌舞伎町の路上で声をかけてきたのが、風俗のスカウトではなく、あの男だった。大して違いはないけれど、不特定多数の男に身を任せるよりは、ただ一人の屑にそうされる方が、底辺女が生きていくのに都合が良かっただけだ。そこには不燃ごみと可燃ごみくらいの差はある。ごみにだってそのどちらかぐらいの区別はあっても良いはずだ。その違いを気にせずに生きている人は、気にしなくて済むだけの生き方なのだろう。それが良いことなのか、私は興味がない。
他人に興味や関心が湧かないのも昔からだった。好きや嫌いといったことがわからないというわけではなく、好きになり嫌いになることはありはしたものの、それがその人への執着にも嫉妬にも繋がらず、ただ漠然とした感情だけが売れ残りのクリスマスケーキのように私の中に転がっていた。つまり、どうでも良かった。
人は徹底して興味が湧かなくなると、自分のことですら興味も関心も抱かなくなるのだとわかったのは、十歳を少し超えた頃のことだった。他人だけでなく自分にすら興味が無くなったとき、どうなるかを知っている人は少ない。自暴自棄になったり、あるいは希死願望が芽生えたりするのは、まだ自分に対して興味や希望があるからであり、それも無い時、人は死にたくもならなければ生きたくもならない。
分別される前のごみがただのごみであるように、底辺はいつだって底辺。それを映画のようにちやほやするのは、もっと上の方の別の世界に生きている人が、ただ蟻を見て立派な巣穴を作っていると感心するようなもので、実際のところ興味などそこには存在しない。下世話な覗き趣味と、自分だけはちゃんと見ているのだという奢りと、世間というものに対してのちっぽけな自己満足があるに過ぎない。
あの男は、結局のところそういう人間になりたがっている、つまらない男だった。上昇志向があるだけ、まだ私よりは幾分か生きる意味はあるのかもしれなかったけれど、私には関係のないこと。泥酔したまま抱かれた時も、そのあと惰性で付き合い続けたことも、ただ熱したチーズが千切れるまで伸びて行くのと同じで、それが切れるときにはもうチーズが熱いか冷たいかを気にする人などいないくらいの話でしかない。
何者かであることを脅迫観念のように追い求める人や、好き勝手にシールを貼るように名前をつけてはわかっている素振りをする人のことは、興味がないどころか生きものとしても理解ができなかった。だいたいの人は、そんなことを理解しようとすらしないし、そうやって折り合いというものを付けている。いまどきスマホがどうやって動いているのかを気にする人などいないように。ただ、気にすることもあるというアピールをすることは、誰もがしていたし、私はそうしなかった。
底辺女はそんなことはしない。それは新幹線が静岡駅に止まるくらい余計なことだからだ。あの男は静岡駅だった。停まっても良かったし通り過ぎても良かった。他の人はただ見送って通り過ぎただろうし、私がそこで降りたのはたまたま停まったのが静岡駅だったからで、もしかしたらそれは静岡駅ではなく沼津駅だったのかもしれない。もちろん私は新幹線ではないし、過疎駅に放置されている空っぽの貨車に過ぎない。よくそこまで辿り着いたものだし、ただ辿り着いてしまっただけなのかもしれない。
朽ちて老いていくことも、どうでも良かった。それはただ緩慢に終わりに向かって緩やかに上る坂に過ぎず、せいぜいいま履いているのがスニーカーかサンダルかくらいは気にしてみても良かったかもしれないけれど、どちらだって行き着く先は決まっている。
それにしても、あの男はいまごろどうしているだろうか。同じような底辺女を見つけたのか、それよりは抱く価値のある女でも見つけたのだろうか。もしすれ違うことがあったら、新しいゴミの抱き心地くらいは聞いてやろうと思わないでもなかったけれど、正直それをするだけの興味も持ち合わせてはいなかった。
一通のメールを送ろうとして、あの男の連絡先は消したことを思い出す。消したことすら忘れるくらいなのだから、やはり興味がなかったのだろう。書きかけのメールを閉じ、そのままスマホごと東京湾に投げてやると、それは少しだけ抵抗して、やがて諦めて沈んでいった。
ヤツデ 涼風紫音 @sionsuzukaze
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