麺談〜らあめんすすりて〜

阿炎快空

麺談

 これは雪女の渡里わたりが、怪談師・鶴泉つるみ南雲なぐもの仲間になって暫くが経った頃のお話——






 まだ焼け跡の名残が残る駅前。

 闇市の一角を占める屋台の群れ。

 焼き鳥の煙、おでんの湯気、醤油の匂い——風が、そうした街の臭いをまとめて運んでいく。


 そんな屋台街の外れに、一軒のラーメン屋があった。

 木製のリヤカー式屋台の脇には、木机と丸椅子がいくつか並べられている。


「こんにちは、大将」


 はなぶさ瑞恵みずえ暖簾のれんを手で押し上げると、すっかり顔馴染みとなった店主へ挨拶した。


「おお、瑞恵ちゃん。いらっしゃい」


 店主は読んでいた新聞を畳むと、煙草を口に咥えたままニカッと笑った。


「三人、座れますか?」

「ああ、大丈夫だよ」


 愛想よく答えながら、店主がチラリとリヤカーの脇へ視線を移す。

 既にカウンター席は埋まってしまっているものの、運良く空いている木机が一つだけあった。


「何だ、今日は友達と一緒かい?」


 そんなところです、と頷き、瑞恵は人混みの向こうへ大きく手を振った。


「二人とも!こっちこっち!」


 現れたのは、一組の男女——南雲と渡里である。


「ほう、此方こちらですか。英君の行き付けの支那しなそば屋というのは」


 感心したように辺りを見回す南雲に、瑞恵は呆れ顔で言った。


兄様あにさま、相変わらず言葉遣いが古いですねえ。今時は支那そばなんて言わず、中華そば——若しくはラーメンですよ」

「ラーメン、ねえ」


 呟く南雲の隣で、渡里は目を輝かせながら辺りを見回している。

 時刻は昼過ぎ。

 あたりは労働者や買い出し客で雑然としていた。


「わあ……これが噂に聞く東京の屋台街かあ。凄いなあ」

「戦後間もなくはこの辺りも酷い有り様でしたが、ようやく復興して、近頃は大分賑わいを取り戻しました」


 目を細め、南雲も感慨深げに周囲を見渡す。

 瑞恵はそんな二人を見ながら、嬉しそうに言った。


「渡里さんが東京見物したいって聞いて、真っ先にこのお店を紹介したかったんです」

「観光地ではなく、先ず食事処ですか。花より団子とはこのことですね」

「う……」


 瑞恵は軽く咳払いをすると、


「ま、まあ、観光地はこの後回るとして、まずは腹ごしらえです。――大将、ラーメン三つ!」


 と、店主に声を掛けた。


「あいよ!」


 威勢の良い返事を聴きながら、三人は丸椅子へ腰を下ろした。


「ラーメンかあ。初めて食べるよ。楽しみだなあ」


 そう言って小さく体を揺する渡里に、瑞恵が尋ねた。


「そう言えば、あやかしの方達は普段、食事ってどうしてるんですか?というか、そもそも食事ってするんですか?」

「フム、そう言えばあまり考えたことが無かったですね」


 興味津々といった様子の二人に、渡里が答える。


「私達三姉妹は食べるよ。よく麓の村の人達がお供え物をしてくれて、それを三人で分けてたんだけど、それが三で割り切れない時、いつも滑狐なめこ春日かすがで取り合いになっちゃって。仕様が無いから、私の分をあげることになって、私だけ食べられないことがしょっちゅうだったよ」


 苦笑する渡里に、


「長女の受難ですねえ」


 と、瑞恵が労りの眼差しを向ける。

 一方の南雲は、成程、と呟き、自らの顎を摩った。


「恐らく——そういったことも語られる怪談の内容に準拠するのでしょう。河童なら胡瓜きゅうり、化猫なら油の様に、好物のディテイルが設定されていればそれらを、特に語られていないのなら、何も食べないか、若しくは、あやかしというもの自体の大雑把なイメージから、人を食うようになったりするのでしょう」

「そんな雑な理由で人が食べられたら、たまったものじゃありませんね……」


 げっそりした顔で呟く瑞恵の顔を見て、渡里が可笑しそうに笑った。


「私は人を食べるあやかしじゃなくてよかったよ。私達にお供え物をしてくれた村の人達に、二つの意味で感謝しなくちゃだね」


 まったくですね、と瑞恵が頷いたその時、


「はい、ラーメン二丁、お待ち。あと一杯、ちょっと待ってね」


 店主が、どんぶりを二つ運んできた。


「わあ……!」

 

 鼻腔をくすぐる香りに、渡里が感嘆の声をあげる。


「じゃあ、お二人お先にどうぞ」


 瑞恵が、丼を二人の前へ押しやった。


「え、いいの?」

「私はいつも食べてますから。それに――」


 瑞恵は、にっこりと渡里に笑いかけた。


「渡里さんも、たまには譲られる側にならないと」


 渡里は一瞬目を丸くした後、どこか照れ臭そうに笑って言った。


「……ありがとう、瑞恵」

「さあさあ、冷めないうちに」


 渡里は瑞恵に促されるまま、箸を手に取り、そっ——と麺を持ち上げた。

 白い湯気が、ふわりと顔を包む。

 恐る恐る麺を啜った次の瞬間——渡里の表情がぱっと明るくなった。


「美味しい……!」


 その隣で、南雲も静かに麺を啜る。


「ほう——こいつは中々——」

「でしょう?」


 まるで自分が褒められたかの様に、瑞恵が満足げに胸を張った。


「ここの大将、戦時中は中国にいたらしくて、本場の味を学んできたんです。だから、その辺のお店とは全然違うんですよ」

「へえ……」


 感心したように呟きながら、渡里がもう一口麺を啜る。

 と——その横顔に、不意に僅かな影がさした。


「……こんな美味しいもの、滑狐や春日にも食べさせてあげられたらなあ」


 その言葉に、それまで楽しそうだった瑞恵の表情も、サッと曇ってしまう。


「渡里さん……」

「ああ、ごめんごめん!」


 慌てたように、渡里が無理やりに笑顔をつくって続けた。


「しんみりしちゃ駄目だよね。私は、南雲に語ってもらうために此処へ来たんだから」

「……大丈夫です。渡里さんは一人じゃないです。渡里さんには、兄様や、私がいます」


 静かに、しかし力強く言い切った瑞恵の言葉に、渡里の瞳に、僅かに涙が滲む。


「瑞恵……」

「ね、兄様?」


 急に話を振られた南雲は、麺を啜るのを止めると、


「まあ、そうですね——千代ちよさんや、なぎささんもいますしね」


 と言った。

 それを聞き、渡里が途端に苦笑いを浮かべる。


「千代とは、あんまり顔を合わせたくないけどね」

「またまた、そんなこと言って、本当は仲が良いくせに——って、兄様……?」

「はい?」


 きょとんとする南雲の顔をまじまじと見た後で、瑞恵と渡里は、示し合わせたかの様に一斉に笑い出した。


「……何ですか、二人して?」

「何って兄様!眼鏡が曇って真っ白ですよ!」


 瑞恵の言う通り、南雲の眼鏡はラーメンの湯気によって、曇って瞳が見えなくなっていた。


「ああ——そんなに面白くことじゃないでしょう」


 南雲は不満げに眉を寄せながら、懐から布を取り出し、せっせと眼鏡を拭き始める。


「アハハ——ああ、可笑しい」


 渡里は肩を震わせながら、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。


「こんなに可笑しい人達と一緒なら、東京の暮らしも楽しそうだ」

「やれやれ。泣いたカラスが何とやらですね」


 南雲が溜息をつき、曇りの取れた眼鏡を掛け直す。

 そんなこんなで、すっかり空気が明るくなったところで——店主がようやくら最後の丼を運んできた。


「お待たせ。はい、ラーメンもう一丁」

「待ってました!」


 瑞恵が、嬉しそうに丼を受け取る。


「では私も早速――」


 満面の笑みで、勢いよく麺を啜った次の瞬間、


「——熱うっ!」


 叫びながら、瑞恵は大きく飛び上がった。

 そのまま丸椅子から転げ落ち、勢いよく地面に倒れてしまう。


「ええっ!?ちょっと、大丈夫!?」

「痛ててて……」


 涙目になりながら起き上がった瑞恵の頭を見て、渡里がぎょっとした表情で身を引いた。


「み、瑞恵!耳!」


 瑞恵の頭には、ふわふわした猫の耳が、二つ並んで生えてしまっていた。

 そう、何を隠そう——女学院での化け猫騒動以降、瑞恵は吃驚すると、猫の耳と尻尾が生えてしまうのだ。


「はっ――!」


 瑞恵は慌てて丸椅子の座布団を引っ掴み、自らの頭へ押し当てた。

 いつもなら、出来立てのラーメンの熱さなど何ともないのに——それなのに。


「な、ななな、何で!?」


 混乱しつつ丼を凝視する瑞恵を尻目に、南雲は平然とラーメンを啜っている。


「決まっているでしょう。化猫が取り憑いたせいで、になっているんですよ」

「ええええっっっっ!?」


 瑞恵の悲痛な声が、屋台街へ響き渡った。


「ちょ、ちょっと困りますよ! 何とかならないんですか!?」

「知りませんよ。自分で吹いて冷ませばいいでしょう」

「そんなぁ……」


 瑞恵は涙目のまま、麺へ息を吹きかける。


「ふー……ふー……」


 しかし、もう一度啜った瞬間、


「——熱い!駄目だあ!」


 と、再び丸椅子から転げ落ちた。


「ふええん……このままじゃラーメンが伸びちゃうよう……」


 渡里はそんな瑞恵を見て、ふっ——と微笑んだ。

 その表情は、三人姉妹の長女としての頼りがいと、慈愛とに満ちていた。


「――瑞恵。私に任せて」

「わ、渡里さん……?」


 渡里は、瑞恵の丼へ静かに顔を寄せる。


「貴女が食べられるくらいに、冷ましてあげる」


 そう言って、そっと優しく息を吹きかけた。

 と――その瞬間である。


 ごうッ。


 屋台街を、凍てつく一陣の風が吹き抜けた。


「うわっ!?」「ひええっ!?」「何だあ!?」


 あちこちで、道行く人々から悲鳴が上がる。


「おやおや……」


 箸で持ち上げた麺がそのまま凍りついてしまっているのを見て、南雲が残念そうに溜息をついた。

 南雲の麺だけではない。

 木机はあちこちが凍りつき、渡里の半径数メートルには薄く雪が積もってしまっている。


「あ、あれ……?」


 目を丸くする渡里に、瑞恵が泣きつく。


「やり過ぎですよ渡里さん!ラーメン、カチコチになっちゃいましたよ!」


 瑞恵のラーメンは、スープの表面が凍りつき、麺が中に閉じ込められてしまっていた。


「ちょっと、加減が分からなくて……」


 声を落とし、渡里が申し訳なさそうに俯く。


「うう……さみい…さみいよぉ…」


 例の如く訛りつつ、麺の代わりに鼻水を啜る瑞恵。

 そこへ、異変に気づいた店主が、屋台の中から慌てて飛び出してきた。


「ちょっと、何してくれてんの!困るよお客さん!」


 理屈は兎も角として——状況からして、この珍事の原因が瑞恵達だということはばれてしまっているらしかった。


「ご、御免なさい!」


 観念した渡里が、勢いよく頭を下げる。


「これじゃあ折角作ったラーメンが台無しに——ん?」


 店主の視線が、机の上の丼へと注がれた。


「……冷たい、ラーメン?」

「どうしたんですか、大将?」


 瑞恵の問いかけにも反応せず、店主は凍ったラーメンを見つめたまま呟いた。


「これは……いける!いけるぞ!」

「ねえ、何が起きたの?」

「さあ……」


 ひそひそと囁き合う渡里と瑞恵に構わず、店主は興奮した面持ちで、両手に持った丼を天へと掲げる。


「ラーメンは熱いものだという固定概念を壊す、冷たいラーメン!暑い夏でも冷や麦や素麺の様にツルツルいける、中国には無かった、我が国独自の新しいラーメンの誕生だっ!」


 確かに新しいが——果たして、それは美味しいのか?

 女性陣が頭上に疑問符を浮かべる中、


「成る程」


 只一人——南雲のみが、感心した様に呟いた。


「冷たいラーメンですか。面白いですね」

「兄様?」

「だろ!?兄ちゃんもそう思うよな!?」

「名前は……そうですね、冷やし中華そば、だと少々長いので——」


 眼鏡の位置をスチャ……と直し、南雲が言う。


「——、なんてのはどうです?」

「いいねえ、冷やし中華!その名前、気に入った!今年の夏は、店の前にこう書いて貼り出すんだ!『冷やし中華はじめました』ってな!こいつは忙しくなるぞぉ!」


 嬉しそうにはしゃぐ店主と、うんうんと頷く南雲を見つめながら、瑞恵と渡里は、

 

「「いやいや…」」


 と、揃って首を横に振ったのであった。

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