第8話

第八話 家から遠ざかる


僕は相変わらず、学校の時間を空白を埋めるために使っていた。

校舎の中では、時計の音だけが妙に大きく聞こえた。

授業は進んでいたはずだった。

黒板の文字は消され、また書かれる。

誰が読んでいるのか、分からなかった。

ページをめくる音が、教室に散らばる。

その中に、僕の音はなかった。

昼休みが来て、終わる。

何を食べたのかは覚えていない。

ただ、口を動かしている自分を、遠くから見ていた。

帰り道。

靴の中で、小さな石が転がった。

取り出さなかった。

その違和感を、持ち帰るためだった。

家へ着くと、机の上は朝のままだった。

猫も、紙も、動いていない。

その静けさが、僕を迎えた。

家のことは、あまり聞かなくなっていた。

聞けば、形ができてしまう気がした。

いつの間にか、白い猫が増えていた。

黒猫のそばではなく、少し離れた場所。

机の端。

光が届ききらないところ。

白い猫の目は、皿のように細かった。

続きをねだるようにも。

待っているようにも見えた。

女の人は、家の奥までは来なかった。

線の音が聞こえる場所まで、近づこうとしなかった。

それでも、続きを待っている気配だけは残していった。

白い猫が増えたのは、その頃だった。

白い猫は、黒猫とは違っていた。

測るためではなく。

待つための目をしていた。

母は、相変わらず描いていた。

けれど、以前より音が少なくなっていた。

線を引く音。

紙をめくる音。

椅子がわずかに軋む音。

それらの間に、長い沈黙が増えていた。

僕は、その沈黙を数えなかった。

数えれば、変化に名前がついてしまう気がした。

高校生になる頃。

僕は、家にいない時間が増えていた。

遠くへ行きたいわけではなかった。

ただ、家へ戻る時間を少しだけ遅らせたかった。

帰れば、変わらないものがある。

変わらないことが、少しずつ重くなっていた。

ある夕方。

玄関の前で、しばらく立ち止まった。

中から、描く音が聞こえていた。

変わらない音だった。

それなのに、僕はすぐには扉を開けられなかった。

帰るという行為が、前より少し難しくなっていた。

やがて扉を開ける。

家の空気は、いつも通りだった。

机。

紙。

黒猫。

白猫。

母。

何も変わっていない。

そう思った。

けれど、変わっていないことが、もう以前と同じ意味ではなかった。

僕は、靴を脱いだ。

その音だけが、少し大きく響いた。


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