第2話

第二話「名前の置き場所」


思い出そうとすると、数えるという行為だけが残った。

何を数えていたのかは、はっきりしない。

ただ、同じことを、何度も確かめていた気がする。

僕が話さなくても、母は描いていた。

途中で言葉を探す時間が、少しずつ長くなっていた。

母は、続きを待っていた。

待つ、という姿勢のまま。

ある夜、母は画面の下の方を見つめたまま、長く動かなかった。

カーソルが点滅している。

書こうとして、消している。

その動きが、一定の間隔で繰り返されていた。

言葉ではなく、行為を見ている気がした。

僕は、それが僕の名前だと思った。

まだ存在していないのに、消され続けているもの。

書けば、何かが始まる。

書かなければ、今までのことが、なかったことになる。

その夜、キーボードの音は鳴らなかった。

代わりに、部屋の奥で、時計の秒針だけが進んでいた。

次の夜も、母は同じ場所に座った。

画面は開かれ、カーソルはまた点滅していた。

今度は、消す動作の方が多かった。

書こうとして、やめる。

やめてから、もう一度書こうとする。

それは、決断の練習のようにも見えた。

書いた瞬間に、誰かが見つける気がした。

なぜ最初から書かなかったのか。

なぜ今まで黙っていたのか。

そんな問いが、まだ書かれていない行の向こう側で、順番を待っているようだった。

母は画面を閉じた。

キーボードが、ゆっくりと机に収まる音がした。

その夜も、描く音だけが残った。

三度目の夜。

母は、いつもより遅く席についた。

カーソルは、見なくてもそこにあると分かっていた。

点滅は、責めるようでも、急かすようでもなかった。

ただ、待っていた。

書かなければ、来ないものがある。

書かなければ、来なくて済むものもある。

母は、その両方を見ていた。

それでも、書かなかった。

画面を閉じ、照明を落とす。

部屋は暗くなった。

その暗さは、眠るためのものではなかった。

母は、そのことを確かめなかった。

それからも、母は描き続けた。

僕は、その音を聞き続けた。

キーボードの音は、速くもならず、止まりもしなかった。


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