第二十九話 文化祭
翌朝の目覚めは悪くなかった。ベッドの上で起き上がって伸びをすると、壁に貼られた護符がふと目に入る。カーテンの隙間からちらちら差し込む朝日が、白い紙の上にぐにゃぐにゃと書かれた筆文字を部分的に照らしていた。
「……」
真紘はまだぼんやりした頭でそれをしばらく眺めてから、身支度を始めるためにゆっくりと立ち上がった。
ボドゲカフェのシフトに入るため、真紘は午後から学校へ向かった。メインステージで行われている軽音サークルのライブ演奏を通り過ぎ、昨日用意した教室に入る。
秋の昼下がりの間延びした空気の中、それぞれの机ではのんびりとそれぞれのボードゲームが行われている。ちらほらいる客はサークルメンバーの知り合いばかりらしく、盛り上がっているというよりは少し気が抜けた雰囲気だった。
「おはよ」
「ああ、薊」
ドアのすぐそばに用意した受付の机で、ぼんやりと教室の様子を眺めていた田辺に声をかける。彼は顔を挙げると、隣の椅子に座るよう真紘を促した。
「もう聞いた?昨日、あの後大変だったんだけど」
「何かあったのか?」
尋ねると、田辺は椅子から身を乗り出してぐっと体を近づけてきた。声を潜めつつ、言わずにはいられないといった様子で口を開く。
「あの狭山って奴。正門出たところで絡んできて、警備員に取り押さえられたんだ」
曰く、サークルの女性たちが水川を庇うように取り囲んで正門を出たところ、待ち伏せていた狭山が現れて詰め寄ってきたのだという。幸いなことに田辺たち男性陣も近くにいて、正門の警備員の目もあったため、大事になる前に取り押さえられたとのことだ。
「たぶん、学校からの厳重注意と、水川への接近禁止令も出るだろうな。前にも問題起こしてるっていうのが本当なら、もしかしたら停学とかもあり得るかも」
水川に何もなくて良かった、と真剣そうに締め括ると、田辺は椅子に座り直した。
「みんな、今日は普通にシフト入ってるのか?そんなことがあった後じゃ、落ち着かない子たちもいただろ」
「うん、そこはなんか大丈夫っぽいというか、その後結局前夜祭というか、飲み会のあと、女子だけでお泊まり会みたいな感じになったっぽくて。俺たちは日付変わる前に帰ったけど、女子たちは徹夜ハイのまま午前シフト入って、今頃寝てるんじゃないかな……」
田辺が少し遠い目をして答える。よく見れば、目の下にはうっすらと青いクマがあった。飲み会とやらのせいで寝不足なのだろう。
真紘がバイトをしている間に、サークルではちょっとした青春っぽいイベントが起きていたらしい。大人しめのメンバーが揃ったボドゲサークルにしては珍しい展開だ。
「へえ、楽しそうじゃん。羨ましいな」
深く考えずに相槌を打った真紘を、田辺は妙なものを見るような顔をして見つめた。
「何?」
「いや……薊って、あんまりそういうこと言うキャラじゃないと思ってたから」
「何だよそれ」
真紘もボドゲサークルの雰囲気に合った内向的なタイプではあるが、青春らしい経験への憧れはそれなりにある。
狭山の件のようなイレギュラーな体験はありがたくないが、夜遅くまでの飲み会だとか、その後のお泊まり会だとか、そういうところから友情が深まったり、恋が始まったりするのが大学生というものなのではないか。
「うん、じゃあ、今度の打ち上げは薊も参加ってことにしとくな」
「頼んだ」
そんな約束が成立したところで、ポケットの中のスマホが震えた。取り出して画面を見ると、戸澤から連絡が来ている。時間が空いたら研究室の方に来るように、とのことだ。
シフトが終わったら訪ねていく旨を返信して、真紘は立ち上がった。ボードゲームのルール説明やら、道具を乱暴に扱いがちなちびっ子を宥めることやら、仕事はいくらでもある。
いくら接客が苦手とはいえ、せっかく来てくれた客を放置するのも忍びない。真紘はどちらかといえば真面目な方なのだ。
次の更新予定
3日ごと 17:00 予定は変更される可能性があります
「全部本当だったらどうする?」─氷解の論理 魚谷ネココ @uotani_nekoko
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。「全部本当だったらどうする?」─氷解の論理の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます