深海色から逃げなくちゃ、

白川 優雨 (しらかわ ゆう)

深海色から逃げなくちゃ、

 昨日の夜のうちに雨が降ったから、海は水かさを増していた。普段でさえ特段綺麗という訳でもなかった波の色は、今は黒に近い色になっている。青は沈んだ。

 踵を鳴らして防波堤の下を歩く。音が響いた。この辺りは昔と変わっていない。もっとも、水際の苔が広がっている以外は。潮風が寄せて、波が低く唸る。

 奥の金網の横に、ビックリマークの看板が立っているのが見えた。そっぽを向いて錆びてる。金網に空いた、小さい抜け穴にだけ焦点が合わなくなって、立ち止まる。金網に手を置いて、跨いで通った。


 堤防が見える。転ばないように、向かって進む。潮風がコンクリートを風化させている。鼻につく匂いは強い。ここも、変わっていない気がした。視界の端に影が見える。


水飛沫が、高く跳ねた。


 母から、この一帯が取り壊されると聞いた。

来週にはロープが引かれるらしい。無くなる前に、少し見に来ただけだ。

 あのフェンスを超えて、よくふたりで遊んだんだったか。

あぁ、そうだった。君がいた夏だったんだ。


海で遊んだのも、

泡が沈んでいったのも、

足がすくんで泳げなかったのも、

君が手を伸ばしたのも、

水飛沫が飛び散ったのも、

公園で遊びに誘われたのも、

飲み込んだ水を吐き出したのも、

君を知らないと言ったのも、

そしてどうにもできない海も、


君がいた日々だったんだ。


 あの日、待ち合わせの公園で、君は遅れてやってきた。僕は手を振る君を見てから、蛇口を捻って水を飲む。そうしたら君が「堤防に行こう」なんて言うから、つい、水を吹き出した。堤防は立ち入り禁止だ、でも君が前をゆくから、後を追って防波堤を進んだ。

 最近までなかった看板が立っている。塗装は太陽を跳ね返してひかる。見られているように感じて、少し動かす。目が合わないようにした。一瞬立ち止まって、フェンスの穴をくぐった。

 君が堤防で駆け回る。僕は汗を拭って、日陰で座っていた。ふたりの話は徐々に長くなる。君は甲高い声で話す度に、笑ってた。太陽が強い夏だった。


 ふと波が寄せる。潮風が吹く。君の髪留め。飛ばされた。波の上に落ちる。君は海際に駆け寄って、手を伸ばす。届かない。もう一度波が寄せて、風が吹く。君。あっ。落ちた。

僕。ただ、たっている。


公園で遊びに誘われたのも、

海で遊んだのも、

水飛沫が飛び散ったのも、

君が手を伸ばしたのも、

足がすくんで泳げなかったのも、

飲み込んだ水を吐き出したのも、

どうにもできない海も、

泡が沈んでいったのも、

そして君を知らないと言ったのも、


全部、思い出さないようにした。


 部屋の隅で、君のお母さんと、青い帽子のおじさんが、何かを話している。君は新聞紙の1部になった。本当の君は、深海色の中にいる。あの青に。海が青を沈めていくのを知っている。それを僕は、知らないと嘘をついた。波の音が、二度した気がして、顔をあげる。


黒い額縁の奥で、海はまだ青を沈めていた。

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深海色から逃げなくちゃ、 白川 優雨 (しらかわ ゆう) @Syafukasu

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