3.

「どうして……」

 やがて少女は動かなくなった。


 それでも長い間、A子は身動きすることは出来なかった。動かないのだ。何度やっても慣れることはできなかった。

 A子は、ナメクジの這うように、ゆっくりと少女の首から手を離した。身体中の筋肉、関節がこわばり思い通りにならなかった。他人のもののように感じられる両手が、激しく震えているのを見ていた。

 程なくしてA子は弛緩し、身体の自由を取り戻すことができた。

「契約さえしてくれれば、あなたと交代できたのに……どうして契約してくれなかったの?」

 A子のすすり泣く声が闇になびく。もう動くことのない少女のためにではなく、気の毒な自分のために泣いた。


 突然、ドアが開いた。

 刻が戻ったのだとA子は思った。だるそうに少女から離れ、その傍にゆっくりと立ち上がった。

 同時に、母親らしい女性の叫び声が家中に響き渡った。その女性は、床に仰向けに倒れ込んでいる少女の姿を見て、力なくその場にへたり込んだ。

 すぐに父親であろう男性が飛び出してきて、少女を抱き起こそうとしたが、重大な異変に気付き動きを止めた。


 A子は、無表情に突っ立ってそれらを見下ろしていた。もう涙は乾いていた。

 自分の頭に手を当てて確かめた。首を絞めている間、ずっと髪を引っ張られていたのだ。ごっそり抜け落ちていないか気になっていた。


「救急車!救急車を呼べ!」

 父親は、隣に居る妻に向かって叫んだ。しかしその女性は動けないようだった。


(やっぱり、私のこと見えていないんだ……)A子は思った。前と同じだった。その前の時もそうだった。


 父親は、持ち上げた少女の上半身をゆっくりと床に寝かせると、寝室に戻り電話を掛けに行ったようだった。

 その頃、階段からドタドタと大きな音を立てながら、少年が降りてきた。弟なのだろうとA子は思った。


「姉ちゃん……」階段を降りてきた少年が呟く。それ以上少女に近付くことはできずに、その場に呆然と立ち尽くしていた。

 A子はその少年を美しいと思った。

 電話を握ったままの父親が、A子の目の前を通り過ぎて、弟に近付く。

「救急車が来る。お前は外で待って、ここに呼んできてくれ……。早く行け!」

 強い調子で父親に言われて、ようやく我に返った弟が玄関に向かって走って行く姿をA子は見ていた。


「早く私の身体に戻してよ……もういいでしょう?」

 A子はつぶやいた。異様な倦怠感に襲われていた。自分のベッドでひたすら眠りたかった。


 父親は顔を歪めて少女のそばに座り込んだまま、押し黙って少女の腕の辺りをさすり続けていた。

 母親のすすり泣きが止むことがなかった。ずっとだ。A子はそれを煩わしいと思った。

 そんなことより、あの美しい少年と話してみたいとA子は思った。あの少年なら私と契約してくれるだろうか?


 しばらくして、救急車のサイレンの音が聞こえた頃、彼女はようやく自分の身体に戻ることができた。

 夜明けにはまだ時間があった。



(完)

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71匹目のひつじ サトウカシオ @an_APO

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