第四話 子守唄は愛の唄

 ルドガーが駆けつけたのは、昨日、治療した心を閉じた少年、ルシの家だった。


 彼は、ここに現凶があると睨んだ。

 あの一見、人のよさそうな祖母か、ルシ自身か、どちらかが悪意を持ってトラップを仕掛けたに違いない。


 『唄』の存在そのものを脅かそうとする組織が絡んでいる可能性もある。


 だが、もし、そうでない場合は……。


 男は、祖母によって客間に案内された。家は広く、アンティークな造りだ。


 お茶の用意をすると言って、祖母はキッチンへ行った。

 一人残されたルドガーは、手持ち無沙汰である。


 見回すと、客間は中世ヨーロッパ風の雰囲気で統一されていた。

 暖炉の上には、美しい細工を施した銃が飾ってある。銀の弾でも入っていれば、吸血鬼退治にはもってこいの銃だ。


 銀の弾?


 男は、ふと不安になって席を立った。

 暖炉に歩み寄り、銃に手を伸ばす。


 と、伸ばした手と銃の間に、火花が散った。

 男は、反射的に飛びすさる。


 バン! と窓が開いて、突風が吹き込んだ。

 夕方だった筈が、すっかり真夜中のような闇に覆われている。


「やはり、闇に棲む者だな?」 


 低い声で、男は呟いた。

 室内のあちこちで、パシッパシッと、枝が折れるような音が弾けた。


「正体を現せ。相手になってやる」


 男がそう言ったとたん、ドン! と地の底から突き上げるような震動が来て、室内がガタガタと揺れ出した。


「無駄だ」


 男は、ひょいと浮遊する。

 空中に制止して、もう一言、つけ加えた。


「子供だましは、やめろ」


 急に、揺れが止まった。

 男は、ふわりと床に舞い降りる。


 と、足元がぐにゃりと歪んで底なし沼になった。どろどろと濁った粘性のものが、足先から上へ上へと這い上がってくる。


 ──幻覚だ!


 男は、幻覚の出口を捜した。


 ふと見ると、女が一人、そこにいた。

 ブルネットの長い髪。白い肌。紅い唇。


 女は、さっきのアンティークな銃をその手に携えていた。

 女の白い指が、引き金にかかる。


 本能的な恐怖が、男を襲った。

 銀の弾に心臓を貫かれた時、彼の体は灰塵に帰す。


「それ以上抵抗すると、撃つわ」


 女は、セイレーンの声で言った。


「人ならざる者が、『唄』の声を我が物にしてどうするつもりだ……?」


 男は、スッと両手を浮かした。

 長い黒髪が、生き物のようにわさわさと空を食む。

 瞳が、金色に光った。


「撃つわよ!」


 女が叫ぶ。


「やってみろ!」


 男が強く言い放つと同時に、雷鳴が轟いた。

 閃光が、室内でスパークする。


「やめてっ! ママをいじめないでっ!」


 突然、部屋に飛び込んで来た少年の声で、幻覚が破れた。


「ルシ……」


 セイレーンの声を盗んだのは、炎に焼かれた死んだ筈のルシの母だった。


「ママっ!」


 ことの意外な展開に、ルドガーは困惑した。まさか、子供の目の前で母親を闇に葬る訳にもいくまい。


 ふと、人の気配を感じて、戸口を振り返った。

 そこには、セイレーンが立っていた。

 銀の瞳に銀の髪。少女は、優しく微笑んでいる。


「セラ、来るなと言った筈だ」


 少女は、静かにかぶりを振った。


 ──駄目よ、ルドガー。その人を傷つけちゃ駄目……。


 男は、我が耳を疑った。少女の声が聴こえたような気がしたからだ。

 テレパシー? そんな単語が脳裏をよぎった。いや。彼女にはそんな能力はない。では、これも『唄』としてのパワーか。


 ──ルシのお母さん。どうして、あたしの声が欲しいの?


「あなたの声で、ルシは救われたわ。私がどんなに祈っても回復しなかったのに! だから、今度は私が、この声でルシに子守唄を唄ってあげるのよ!」


「そんな理由で……!」


 ルドガーは、愕然とした。


「それだけの理由で『唄』から、声を奪ったのか!」


 しかし少女は、そんな母を見て、ちいさくコクンとうなずいた。


  ──いいわ。じゃあ、あたしの声、あなたにあげる。


「セラ!」


 ──だけどね、昨日、ルシに唄った子守唄は、あなたの心を

唄っただけなの。あなたがどんなにルシを愛しているか、どんなに、どんなに大切に思っているか、伝えてあげただけなのよ。


「あなたの声が、この子を救ったのではないの?」


 ──唄は、声で唄うものじゃないもの。あたしは、声なんか出なくても唄えるかもしれない……。でも、あなたがどうしても必要なら……。


 少女は優しく笑って、唄い出した。

 声も、音階も聴こえない。しかし、それは確かに唄だった。


 ささくれだった心を、優しく包み込んでいくような。

 静かな、胸にしみる唄だった。


 安楽椅子にもたれて、ルシは眠った。

 母の亡霊は、かがみ込んで、わが子の額にキスをする。


 少女を振り返り、男の方にも視線を移した。そして、彼女は、少しだけ微笑んで、空気にとけ込むように姿を消した。


 いつのまにか、闇は晴れ、少女の唄う心地よい声だけがそこに残った。


「セラ」


 男は、少女の肩をそっと叩いた。


「もう、いいよ」

「……ルドガー、あたしの声……」


 少女は、男を見上げて、涙ぐむ。


「ああ。返してくれたんだな」

「うん。よかっ……た……」


 ポロポロと、涙がこぼれた。


「泣き虫だな。声は、あげるつもりだったんじゃないのか?」

「そうだけど……」


 男は、フッと破顔した。

 唄っている時とは、まるで別人だ。『唄』といっても、素顔は一七歳の少女である。


 男は、少女をそっと抱き寄せた。

 そして、あやすように、くりくりと頭を撫でてやった。

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