第三話 声ドロボーは誰だ
少女は、課長室の前までやって来た。
この報告書を提出したら、任務完了である。
あとは、門の所で待っているだろうルドガーと、楽しい楽しいディナーという訳だ。
あーあ。
少女は、心の中でため息をついた。
しかし、それもこれも身から出たサビ。不注意に鼻唄なんぞを唄ったからだ。
確かに自覚が足りない。
ちょっと反省して、課長室のインターフォンを鳴らした。
名乗ろうとして、集音マイクに顔を向ける。
……セイレーンです。報告書を持って来ました……。
と、口が動いた。
が、しかし。
「誰だ? 名乗りたまえ」
スピーカーから、いぶかしむ声が聴こえてきた。
だが、少女は、それどころではない。
声が……。声が出ないのだ。
少女は、パニックに陥った。
咽を押さえて、しゃがみ込む。
──声が……。どうして? さっきまではちゃんと……。
声が出ない。それは『唄』であるセイレーンにとって、何を意味するのか。
少女は、その場にしゃがみ込んだまま、必死で声を出そうと試みた。
だが、無駄だった。
まるで、声帯が、本来の働きを忘れてしまったかのようにぴくりとも震えない。
少女は、混乱して、子供のように泣き出した。
その眼前で、ドアがシュンと左に開く。
監視アイでドアの外を確認した課長が、あわてて飛び出して来た。
課長は、シド・ヴィーという名で、まだ二○代。ちょっといい男だ。
「セーラ! どうしたんだ?」
泣いている少女の肩を掴んで、顔を上げさせた。
少女の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
少女は、涙でぐちゃぐちゃになった顔で、課長に訴えた。
彼は、少女の身に何が起こったのか、すぐに理解した。
「まさか……。声が、出ないのか……?」
少女は、彼の胸に泣き崩れた。
『唄』である彼女が声を失ったとき、その存在は、無だ。
その光景を、エレベータから降りたとたん、目撃してしまった男がいる。少女が遅いので迎えに来たルドガーだった。
最初は、大胆にも廊下でラヴ・シーンかと思って気をきかせようとしたが、すぐにそうではないことが判った。
彼は、あわてて二人のもとへ駆け寄った。
「セラ!」
課長が、キッとルドガーを睨んだ。
「お前、知っているのか? セーラは、声が出ない」
「な……」
だが、彼女は、ついさっきまで元気に憎まれ口をたたいていたではないか。
「とにかく、部屋へ入れ。話はそれからだ」
少女を護るように優しく胸に抱いたまま、課長は入室する。その姿は、まるで恋人同志のようだ。
ルドガーは複雑な気持ちになったが、今はそれどころではないので、黙って従った。
課長が医局に連絡すると、迎えをよこすという。何の前触れもなく声を失った『唄』は前例がないらしく、検査をしてみなければ、何とも言えないとのことだ。
少女は少し落ちついた様子だったが、課長の側にぴったりとくっついて、離れようとしない。
ルドガーは、すっかり課長に頼りきっているセイレーンを見て、また複雑な気持ちになった。
医師がやって来た。
課長は、頼むと言って少女を預ける。
連れだって退室する二人の後に、ルドガーが続いた。
「ルドガー、お前にはまだ、話しがある」
課長に呼び止められ立ち止まると、彼の目の前でドアが無情にシュンと閉まった。
仕方なく、ルドガーは課長に向き直る。
課長は、デスクにもたれかかって言った。
「あれは恐らく、医者では治せんだろう」
「俺も、そう思う」
「では、判っている訳だ。……お前の失態だな」
室内の空気が、ピーンとはりつめた。
シド・ヴィーの金色の短髪が、逆光で後光が射したように光っている。それが天使の輪のように見えて、ルドガーは嫌な気分になった。
「かもしれん」
課長は、フンと鼻で笑った。
「雷を呼んで遊んでいるようでは、『唄』の護衛は務まらんぞ」
さっきのことだ。あれがルドガーの仕業であることは、すっかりバレていたらしい。
ルドガーは、少し鼻白んだ。課長の遠回しな嫌みを聞いている余裕はない。いきおい、声がきつくなる。
「俺を呼び止めたのは、わざわざそんなことを言うためか?」
「いいや。セーラの声を盗んだ奴に、心当たりはあるのかと思ってな」
ルドガーは、眉間に縦じわを寄せた。
「声を盗む……。そんなことが出来るのは、エスパーか、妖怪か、物の怪……」
瞬間、ハッとひらめく。
「そうか!」
「平和が長すぎて、勘がにぶったようだな」
「ぬかせ」
ルドガーは、パッと身を翻した。
退室しようと、ドアに駆け寄る。
と、ピタリと立ち止まり、肩越しに課長を振り返った。
「シド。そのこと、セラには言うな」
タッと、駆け出す。
長い黒髪が、彼の動きについてしなやかな鞭のように、舞った。
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