第二話 ルシの子守唄
そんな訳で、夕食をご馳走する羽目に陥った少女は、自分のマネーカードの残高を考えながら廊下を歩いていた。
──ルドガーったら、吸血鬼のくせに、フランス料理のフル
コースだなんて……。
先刻、文書課でタイプアウトした報告書を、胸の前でしっかりと抱え直す。それは、先の任務で、心を閉じてしまった少年を治療した際の報告書だった。
少女は、昨日会った少年のことを思い出した。
少年の名は、ルシ。父親を幼い時に亡くし、母親も一月前、宇宙船の事故で失った。
彼は、その時のショックで自らの心を固く閉ざしてしまったのだ。
くる日もくる日も廃人のように宙を虚ろに見つめ続け、時々、事故の恐怖からか狂ったように泣き叫ぶという。
そんな少年を不憫に思い、保護者である祖母が『唄』を頼んだのだ。
少女は、唄った。
それは優しい子守唄だった。
全身をあたたかく押しつつむような、不思議な旋律。
至上のメロディ。
それを耳にした誰もが、例外なく安らぎを覚える。
まるで、母の胎内で羊水に漂っているような。
そこには、現世を取り巻く『悪意』はみじんもなく、ただ、無償の愛があるだけだ。
無償の愛。
『唄』は、愛を唄う。
だが、厚生府に所属する『唄』が奏でるメロディは、決して普通の歌ではない。
誰にも真似はできないし、本当に聴こえているのかどうかも判らない。
ただ、感じているのだ。
『唄』に共鳴した者は、皆、口をそろえてそう答える。
セイレーンは、ルシの心に忍び込んだ。彼のトラウマを取り除く為には、その原因を探らねばならない。
少年は、炎に焼かれた母の死に行く姿を、繰り返し繰り返し見ていた。
助けを求めて自分を呼ぶ母の声が、耳でこだまする。
ママ……。
暗闇の中で手探りするように母の姿を捜す。
ママ。淡いブルネット。白い肌。薔薇の唇。
ルシ。ルシ。呼ぶ声が聴こえる。
ママ、どこ? どこにいるの?
母の悲鳴が、闇を裂く。
焼けただれた母の顔。
ルシ……。逃げて……。
手を伸ばしてくる。
赤黒く腫れ上がり、焼けただれた化物が。
ルシ……。
少年は、狂気の叫びを上げる。
ママじゃない! これはママじゃない!
ママ……。
再び訪れる暗黒。
少年は、永遠に続く心の迷宮の中に居る。
ママ。淡いブルネット。白い肌。薔薇の唇。
ルシ。ルシ。呼ぶ声が聴こえる。
ママ、どこ? どこにいるの?
母の子守唄が聴こえる。
やわらかな胸に抱かれているような、安らかな気持ち。
ああ。ママだ。
ママは、ここにいた。
でも。
ママは、死んでしまった。
炎に焼かれて、死んでしまったんだ。
ルシ。ルシ……。
呼ぶのは、誰?
ルシ。あなたを愛しているわ。
ママ? やっぱりママなの?
いつまでも、あなたを、愛しているわ。
愛しているわ……。
「ママっ!」
ルシは、大声で叫んだ。
目に、光が戻っている。
「おお! ルシ!」
祖母は、正気を取り戻した孫を、ひしと抱きしめた。
これで少年も、母の死を乗り越えて生きて行く事が出来る。
勿論、無惨な死に方をした母の記憶を封印することはたやすいが、それは逃げだ。いつかどこかで、必ずひずみがくる。
だから、セイレーンは母の愛を伝えた。
母が、どんなに子を想っているのかを伝えたのだ。
と、いう具合に、治療は簡単だった。
少年には凶暴性も見られず、ルドガーの護衛もまるで不必要だった。
彼女は、唄いながら少年と一緒に事故の記憶を追体験したが、特に問題もなかったので、子供ゆえにショックが大きかったのだろうと結論づけて報告書をまとめ上げた。
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