私だけが知っている

谷地雪@第三回ひなた短編文学賞【大賞】

私だけが知っている

「おい穂乃果、鞄」

「はい」


 その一言で、私は机に置いてあった彼の鞄を手に持った。

 自分の分と、彼の分。二人分の鞄を抱えて、よたよたと教室を出る。


「ねえ、また田畑さんパシられてる」

「ねー、もうイジメみたいだよね、あれ」

「でも二人、あれで付き合ってるんでしょ?」

「本当に? 脅されてるんじゃなくて?」


 ひそひそと噂する声は、耳に届いている。

 私は荷物があって耳を塞げないから、聞こえないフリをした。

 彼は元サッカー部で、高校に入学してからずっと、期待の新人と言われていた。

 でも二年になってすぐ、怪我でサッカーが続けられなくなってしまった。

 以来、彼は絵に描いたようにグレてしまい、周囲は彼を持て余している。

 幼馴染の、私以外は。

 私だけは、ずっと彼のそばにいる。

 彼はいつも私にあれこれ言いつけて、従わせている。皆は私を彼の子分のように思っている。私がそう、振る舞っているから。


 サッカー部を辞めた彼は、授業が終わるとまっすぐ家に帰る。

 私は荷物持ちとして、彼の家まで荷物を運ぶ。

 その間は、ほとんど無言だ。

 彼の家につくと、当然のように彼は私を家に上げた。

 彼の両親は共働きで夜まで帰ってこないし、幼馴染の私のことも良く知っているから、家に入れても怒られない。

 彼の部屋に入ると、床に二人分の荷物を下ろした。


「穂乃果、枕」

「はい」


 短い命令に返事をして、私は彼のベッドに座る。

 彼はベッドに転がると、私の膝を枕にした。


「頭」

「はい」


 サッカーを辞めてから伸びた髪を、そっと撫でる。

 数回繰り返すと、彼の体から力が抜けていく。


 この瞬間が、たまらなく心地良い。


 運動神経がよく快活な彼は、ずっと皆の中心だった。人の輪に入れない私は、遠くから見ているしかなかった。

 高校でサッカー部に入ってからは、話しかけることもできないくらい、遠い存在になってしまった。

 でも彼は、ある日突然孤立した。たかが怪我ひとつ。たかが、サッカーができなくなっただけで。

 だから私は甘やかした。めいっぱい、どろどろに。

 今や彼は、私だけに甘えてくれる。私だけに弱みを見せて、私だけを頼ってくる。

 誰も知らない。私にしがみついて泣きじゃくった、彼の顏も。

 私の膝に顔を埋めて、赤子のように穏やかに眠る姿も。

 全部、私だけのもの。


 ああ、あの日、怪我をさせて良かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私だけが知っている 谷地雪@第三回ひなた短編文学賞【大賞】 @yuki_taniji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ