石花うめ

 僕がまだ幼かった頃、隣町に美味しい街中華の店があった。

 用事があってその町に行ったとき、稀に父がそのお店に連れて行ってくれた。


 そのお店のことは、今でもよく覚えている。

 ボロボロの雑居ビルの一階に店舗があり、店の入り口には黒ずんだ白い暖簾がかけられていた。入り口の引違戸はやたら動きが悪く、父はよく開けるのに苦戦していた。


 店内はカウンターが6席と、座敷の団体席が3つ。床がやけにツルツルと滑りやすく、歩くと足跡がついた。カウンターの椅子は当時の僕にとっては高く、脚をぶらつかせながら座った。


 壁は手書きのメニューでびっしり埋め尽くされていた。

 腰の曲がった無口で不愛想なおじいさんが一人で料理から片付けまでやっていたが、果たして全てのメニューを覚えていたのか微妙である。


 水はセルフサービス。大して水切りをしていないグラスが冷水器の横に置いてあったが、冷水器には「故障中」の張り紙がしてあり、父は隣のピッチャーで水を入れていた。


 父は毎回必ず餃子を二人前頼んだ。

 どうやら父は、餃子をとても気に入っていたらしい。小皿の醤油にびしゃびしゃ餃子を浸して口に放り込み、それを瓶ビールで流し込むときの父の横顔には、普段家族に見せない僅かな頬のほころびが表れていた。


 だが、幼い僕には、その餃子の美味しさがよく分からなかった。

 皮は厚みにムラがあり、提供されたときから既に破れている箇所もあれば、分厚くて小麦粉の風味が強い箇所もあった。中の生姜やネギの切り方も雑で、たまに大きい生姜の塊を噛んでしまった時には、父に悟られないよう一気に飲み込んだ覚えがある。噛むと肉汁が溢れてくるというわけでもなく、やたら強い豚肉のクセのある風味が口の中に充満した。

 僕はそれが苦手だった。今でも豚肉を食べると、その時の餃子の風味を思い出すことがある。


 他にもその店で色々な料理を食べたが、餃子と同じで、どれも美味しいと思ったことが無かった。

 だが、いつも寡黙で無表情な父が、その店の料理を食べる時だけ普段よりほんの少しだけ柔らかい表情を見せるので、僕はその店の料理を美味しいと思うことにしていた。自分はまだ幼いから、大人の味というものが分からないのだと思っていた。




 あれから、20年くらい経っただろうか。


 会社の先輩と飲みに行くことになり、どこか美味しい店が無いかと聞かれて、ふとあの店のことを思い出した。先輩に話したところ、そこに行こうという話になった。


 場所は覚えている。だが、いざ店の前に着いたとき、そこが本当にその店かどうか分からなくなってしまった。


 雑居ビルは脱皮したように新しくなっており、一階だけでなく三階まで中華料理屋になっていた。黒ずんだ白の暖簾は、鮮やかな赤色の暖簾に代わっていた。


 自動ドアが開く。店内は家族連れやサラリーマンでにぎわっていた。一階は満席なので、外国人のアルバイターに二階に案内された。店の床は綺麗に掃除されており、歩くたびにキュッキュと音が鳴った。


 階段を上るときに厨房を一瞬覗き見たのだが、当時の店主の姿はなかった。それはそうか、当時で70歳くらいだったから、存命だったとしても厨房に立てる年齢ではない。

 代わりに厨房では黒いTシャツにハチマキ姿の中年男性が鉄鍋を振るっていた。「いらっしゃいませーい!」と、彼の威勢のいい声が僕と先輩を歓迎してくれた。


 二階に上がった僕と先輩は、二人掛けのテーブル席に座った。

 一階で見たのと違う外国人アルバイターが二人分の水を持ってきてくれた。注文しようとすると彼女が困った表情をしたので何事かと思ったら、テーブルの上のタッチパネルを指さされた。


 僕は二人前の生ビールと枝豆、そして餃子を二皿注文した。

 すぐにビールと枝豆が運ばれてきて、乾杯をした。ジョッキはビールを注ぐ直前まで冷凍庫に入れていたのか、持ち手の部分に手の皮膚が引っ付いてしまうほど冷たかった。枝豆の塩加減がちょうどよく、ビールが進んだ。


 そしてとうとう、お待ちかねの餃子がやってきた。

 昔を思い出して、小皿の醤油にびしゃびしゃと浸して口に入れる。もちもちとした皮に歯を入れた瞬間、一気に溢れ出した肉汁が口の中で洪水を起こした。クセの無い豚肉の旨味が口に広がる。細かく刻まれたネギや生姜は一体感があり、全体がよく調和している。


 餃子を食べた先輩は目を細め、恍惚とした表情を浮かべた。二杯目のビールを飲みながら、この餃子がなぜ美味しいのかを語った。

 先輩は追加の餃子を二皿頼もうとしたが、僕は遠慮して代わりに適当な炒め物を頼んだ。


 結局どの料理も完成度が高く、文句のつけようがないほど美味しかった。

 間違いなく美味しかった。

 だからこそ、僕は食事中ずっと釈然としない気持ちだった。


 会計は先輩が全部払ってくれた。店を出て僕が半額払おうとすると、先輩は「いい店を紹介してくれたお礼だから」と、僕の財布を強引に戻した。


 帰りの道中、先輩はずっとあの店の料理の美味しさを興奮気味に語っていた。「こんないい店を知っているなんて、お前なかなか仕事できるな」と僕を褒めてくれた。その言葉がお世辞ではなく本心だということは、彼の緩んだ目元や、仕事中には見せない上がり方の口角から読み取ることが出来た。

 先輩が満足してくれたのは良かったが、僕は餃子を食べて以降ずっと寂しい気持ちだった。




 翌日調べたところ、あの店の店主は5年ほど前に亡くなり、現在は息子さんがお店を継いでいるそうだ。昨日厨房にいた中年男性は、あの店主の息子さんだったらしい。

 彼はこの店を継ぐまで、飲食店の経営をプロデュースする仕事をしていたらしい。そのノウハウを生かして店を改装したようだ。アルバイトを雇ったりタッチパネルを導入したりして回転率を上げた。父が遺した料理の味を改良し、計算し尽くされた美味しさで万人に刺さるものへと変化させた。


 その地域のグルメランキングを見ると、1から3位までの間に必ずそのお店の名前があり、グルメマップの評価は星4.3。レビューを見ても絶賛するものばかりだった。


 美味しいのは間違いない。

 けれども、なぜか昨日食べたその味が全く思い出せない。


 代わりに思い出すのは、昔食べたあの餃子の「味」だ。



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