3:アメリカシロヒトリ

 アメシロっているだろ?

 あの白くてふわふわした毛虫。


 正式にはアメリカシロヒトリ。漢字では「亜米利加白火取」と書く。


 この虫が日本に現れたのは、第二次世界大戦の終戦後だと言われている。

 米軍の物資に紛れて、港から侵入したって話だ。最初に確認されたのは関東地方で、そこから徐々に分布を広げていった。今では全国各地で見られるようになり、夏の風物詩のような存在なのかもしれない。

 風物詩というのは、もっと切実な被害のある人には申し訳ないけれど。


 さて、「白火取」という名前には、いくつかの意味がある。

 蛾の成虫は夜行性で、光源の周囲を飛び回る習性がある。これを「走光性」と呼ぶ。

 そのため、光に向かって飛ぶ虫——つまり「火を取る虫」として「火取」と名付けられた。


 白は、成虫の体色に由来する。真っ白な小さな蛾で、夜の街灯のまわりをふわふわと漂うように飛ぶ。

 この命名は、昆虫学的には妥当なものだ。行動特性と外見を組み合わせた、分かりやすい分類だ。



 ただ、この名前に別の解釈をする人もいる。

 白は、日の丸の下地。火は「日」で、つまり太陽。取は「国盗り」を示す。

 この解釈だと、「白火取」は「日の丸を奪うもの」、すなわち敗戦後の日本にやってきた侵略の象徴だという。

 亜米利加白火取——アメリカから来た、白い「日」を取るもの。


 それは、戦後の日本に静かに根を張った「虫」であり、記憶のような存在でもある。


 この説は、学術的な裏付けなんてまったくない。

 ただ、戦後の混乱期に現れ、急速に広がったという事実と、名前の持つ象徴性が結びついて、ある種の寓話のように語られることがある。


 虫が侵略者であるという考え方は、古くからある。

 外来種が在来種を駆逐する様子は、文化的な侵食にも重ねられる。

 アメシロの場合、その白さと集団性、そして光に向かう習性が、何かを思い出させる。


 アメシロは年に2回発生する。

 6月から7月の第1期、そして8月から9月の第2期。

 本州南部では3回発生する地域もあるが、基本は2期に分かれている。

 終戦を挟んで世代が変わる繁殖周期を、ある人は「戦前と戦後」に重ねている。


 第1期は戦前の日本、第2期は戦後の再生。

 つまり、アメシロの繁殖は、日本の歴史の断層をなぞるように進行しているといえるのではないか。


 この解釈もまた、科学的な根拠はない。

 ただ、虫の周期と人間の歴史が重なるとき、そこに意味を見出す人がいる。


 虫は記憶を持たないとされている。

 でも、群れとしての行動には、何らかの情報の蓄積がある。

 それが「群体記憶」と呼ばれるものだ。


 群体記憶とは、個体ではなく群れ全体が記憶のような情報を保持し、それに基づいて行動するという概念である。

 アメシロの場合、殺された個体の位置が群れに記録され、次の発生時にその場所が補充対象となる。

 これは、フェロモンや視覚的な誘引では説明できない行動であり、群れの構造的な情報伝達が関与している可能性がある。


 実際に、瓶にアメシロを詰めて持ち帰った人の事例では、瓶の周囲に大量のアメシロが集まり、瓶が見えなくなるほどの密度になったという報告がある。

 瓶は密閉されており、内部の個体が外に情報を発信する手段はなかった。

 にもかかわらず、外部の個体が正確にその位置を把握し、集まった。


 このような事例から、アメシロは群れ全体で分布の均衡を保とうとする性質があると考えられる。


 ある場所で個体数が減少すると、その情報が群れに伝達され、次の発生時に補充が行われる。 これは、分布の偏りを修正するような動きであり、単なる偶然とは考えにくい。


 このような行動を見ていると、アメシロが何かを記録しているように思えてくる。 それは、空間的な情報だけでなく、時間的な記憶も含んでいるように見える。


 戦後に現れ、今もなお毎年同じ時期に発生し、同じ場所に集まる。

 それは、何かを忘れないようにしているようにも見える。


 成虫になると、アメシロは真っ白な蛾になる。

 小さく、軽く、夜の空気に溶け込むように飛ぶ。

 街灯のまわりを飛び回るが、人の周囲にもよく集まる。


 庭に出ていると、ふと肩のあたりを飛び回ることがある。

 それは、光に向かっているようでいて、何かを探しているようにも見える。


「アメシロには、戦争で失われた日本人の魂が宿っているように感じる」なんて言っているのをどこかで聞いた。

 それは、科学的な根拠のある話ではない。


 ただ、あの白い蛾が夜の街を漂う姿を見ていると、何かを訴えかけてくるような気がするという。


 忘れないでほしい。

 そう言っているように見える。

 戦争の記憶、敗戦の記憶、そしてその後の再生。

 それらが、虫の形を借りて残っているのではないか。

 そう考える人もいる。


 ただ、アメシロは害虫だ。とんでもない奴だ。

 葉を食い荒らし、木を枯らす。

 駆除しなければ、庭も街路樹も持たない。

 でも、ただの害虫として片付けるには、少しだけ引っかかるものがある。何かを訴えているように思えてならない。


 あの白い巣。 あの白い蛾。

 あの、夜の光に向かって飛ぶ姿。


 それは、何かを思い出させる。

 何かを、忘れさせないようにしている。

 群れで記憶を持ち、分布を補正し、殺された場所に再び集まる。その行動は、単なる生存戦略ではなく、記録のようにも見える。


 アメシロは、ただの虫かもしれない。 でも、そこに何かが宿っていると考える人がいても、不思議ではない。

 それは、戦後の日本に根を張った、静かな記憶なのかもしれない。存在はとても迷惑で、駆除する対象ではあるが、根絶することはもはや不可能だろう。


 ぼくは、アメシロを見つけると、少しだけ立ち止まる。

 駆除する前に、ほんの数秒だけ、見つめる。

 それが何かを語っているような気がするからだ。


 そして、あの白い蛾が夜の空を漂うのを見たとき—— 何とも言えない気分になる。

(了)

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ことしも アメシロが きました 犬神堂 @Inuzow

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