2:群体記憶

 アメシロっているだろ?

 あの白くてふわふわした毛虫。

 見た目は柔らかそうだけど、実際は意外としっかりしていて、潰すと独特の感触がある。指に残るのは、白い毛と、わずかな粘り気。


 正式にはアメリカシロヒトリっていう蛾の幼虫で、街路樹や庭木に巣を張って、葉っぱを食い荒らすことで知られてる。

 巣は白い網状で、遠目には綿のようにも見える。風に揺れると、まるで呼吸しているみたいに見えることもある。


 夏になると、あの白い網みたいな巣が木の枝にぶら下がってるのを見て、「ああ、またか」と思う人も多いはずだ。

 特に、梅雨が明けた頃から急に目立ち始める。公園の桜、庭の柿、街路のケヤキ。どこにでもいる。見慣れているはずなのに、毎年少しずつ違う気がする。


 発生時期は決まっていて、だいたい6月上旬から7月中旬、そして8月上旬から9月中旬。年に2回の発生が基本だけど、本州南部では3回発生する地域もある。だから、夏の間はずっとアメシロと付き合うことになる。

 1回目を見逃すと、2回目はもっと厄介になる。葉の裏にびっしりと張りついて、枝ごと枯らすこともある。


 ただ、最近になって、ちょっと変わった話を聞いた。

 それは、アメシロの発生場所についての話だった。

 眉唾だけどね。

 でも、話していた人は真面目な顔だった。冗談ではなさそうだった。


 ある庭師が言ってたんだけど、アメシロは見つけたらすぐに殺すのがいい。巣ごと焼くとか、幼虫を潰すとか、とにかくその場で処理するのが基本。

 でも、その庭師が言うには、殺した数が多ければ多いほど、次の発生時期にその場所に大量に湧くんだって。しかも、葉っぱがなくても関係ない。餌があるかどうかじゃなくて、「そこに殺された仲間がいたかどうか」が重要らしい。


 まるで、殺された第1世代のアメシロを弔うかのように、第2世代が集まってくる。

 庭で何十匹も潰したら、次の発生期にはその庭に何百匹も現れる。木が枯れていても、コンクリートの隙間でも、関係なく。白い毛虫が、地面を這って、壁を登って、空を覆うようにして集まってくる。

 それは、ただの繁殖ではなく、何かを記録しているような動きだった。


 ある人が、アメシロを瓶に詰めて持ち帰ったことがあった。いちいち潰して殺すのが面倒だったってことだ。瓶はしっかり密閉されていて、逃げ出すことはなかった。それで、そのまま忘れて、納屋に置きっぱなしにしたんだって。

 瓶の中では、捕まえたアメシロが動かなくなっていた。乾燥して、白い毛が瓶の内側に貼りついていた。


 それから1カ月くらいたって、納屋に入ったら、その瓶が置かれていた棚の周囲に、アメシロの小山ができていた。瓶が見えなくなるほどの量だった。まるで、閉じ込められた仲間の位置を正確に把握して、そこに集まってきたかのようだった。

 棚の下には、白い毛が積もっていた。風もないのに、毛虫たちは瓶の周囲にだけ密集していた。


 この話を聞いて、ひとつの仮説が立てられるんじゃないかという人がいる。

 アメシロは、弔いのために集まっているのではない。

 むしろ、全体で分布図のようなものを共有していて、均一になるように数を調整しているのではないか、と。


 つまり、ある場所で大量に殺されると、その場所の密度が一時的に下がる。

 すると、他の場所から補充が行われる。まるで、見えない地図を持っていて、どこに何匹いるべきかを把握しているかのように。しかも、それは個体の意思ではなく、群れ全体の挙動として現れる。誰かが命令しているわけじゃない。ただ、全体がひとつの意識のように動いている。


 この「群体記憶」という概念は、まだはっきりした仕組みが分かっているわけじゃない。でも、アメシロの挙動は、それを裏付けるような動きがある。

 殺された場所を記憶し、そこに再び集まる。瓶に閉じ込められた個体の位置を、外の個体が正確に把握する。特殊なフェロモンの散布や振動による情報伝達では説明できない。もっと根本的な、構造的な記憶の共有があるように思える。まだ、人がそれを発見していないだけなのかもしれない。


 群体記憶とは、個体が死んでも消えない記録だ。

 それは、群れの中に蓄積され、次の世代に受け継がれる。

 アメシロは、個としては脆弱だが、群としては強靭だ。

 群れは、空間と時間を越えて記憶する。

 それは、地図のようでもあり、年表のようでもある。


 この話を聞いてから、ぼくはアメシロを見つけても、すぐには殺さなくなった。殺せなくなった。その場で潰すと、次に何が来るか分からないから。

 潰した瞬間に、何かが記録されるような気がしてしまう。


 でも、放っておくと、葉っぱがなくなる。

 木が丸裸になって、枝だけが残る。

 その枝にも、白い巣がぶら下がる。

 だから、どうすればいいのか分からない。


 もし、君が夏に庭でアメシロを見つけたら——

 その場で殺すか、別の場所で始末するか、よく考えた方がいい。


 そして、もし瓶に詰めて持ち帰るなら——

 その瓶を置く場所には、何も置かない方がいい。

 数日後、そこが白い毛虫の山になるかもしれないから。


 アメシロは、ただの害虫じゃない。

 それは、分布を補正する。それは、数をならす。それは、群れの記憶を持っている。


 そして、君が殺したその場所を——

 忘れない。

(続く)

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