第2話:貨物船のお宝の噂



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### BOYS are BACK, in.Town

**第2話:貨物船のお宝の噂**


マリアのせいで競馬場から逃げ出した俺たちは、結局、馴染みのパブ『錆びた錨亭』のカウンターでエールを呷る羽目になった。今日の儲けはゼロ。勘定はいつものようにツケだ。


「あの女、いつもいつも俺たちの邪魔をしやがる」

グラスを叩きつけ、俺は悪態をついた。

ジョニーはまるで気にしていない様子で、ゆったりと椅子に背を預けている。

「まあまあ、ショーン。美人ってのは気まぐれなもんだ。それもスパイスだろ?」

「スパイスが効きすぎて、今日の飯は塩水だけになっちまったけどな」


俺の皮肉に、バーカウンターの向こうでマスターのオヤジが笑う。このパブは、バークレービルズの吹き溜まりだ。船乗り、チンピラ、売れない役者。様々な連中が、それぞれの噂と安い酒を交換しに来る。今日の店内は、いつもより少しだけ熱気を帯びていた。


「おい、聞いたか? 今度の“荷”の話」

隣のテーブルに座っていた、片目のジャックが声を潜めて言った。ジャックは港の情報屋だ。彼の口から出る話は、嘘か本当か分からないが、いつも俺たちの心をざわつかせる。


「“荷”? またガラクタの密輸品か?」

ジョニーが興味なさそうに聞き返す。


「今回はモノが違う」

ジャックは周囲を警戒するように見回し、さらに声を低くした。

「近々、一隻の貨物船がバークレービルズに入港する。表向きは工業機械の輸送だが、裏ではとんでもないブツを運んでるらしい」

「とんでもないブツ、ねぇ」


ジャックはゴクリと唾を飲み込み、興奮を隠せない様子で続けた。

「アムステルダムから流れてきた上物のドラッグ、アメリカ軍から横流しされた新品の拳銃、それに…アフリカの紛争地帯から盗み出されたダイヤモンドの原石がぎっしり詰まったケースが3つ」


その言葉に、パブの中の空気が変わった。誰もが聞き耳を立てている。

ダイヤモンド。その単語だけで、この薄汚れたパブの空気がキラキラと輝き出すような錯覚を覚えた。


「そいつは…景気のいい話だな」

ジョニーの目が、初めて本気の色を帯びた。

「一生遊んで暮らせる額だぜ。こんな錆びついた街での暮らしともおさらばだ。地中海の見える白い家で、美女を侍らせて…」

ジャックの夢物語に、俺はゴクリと喉を鳴らした。地中海。白い家。俺たちのちっぽけな人生を一瞬で終わらせ、新しい物語を始められるほどの、魔法の言葉。


だが、ジョニーは冷静だった。

「そんなデカいヤマ、誰がバックについてる?」


その問いに、さっきまでの熱気が嘘のように冷え込んだ。

ジャックは顔をこわばらせ、震える声でその名前を口にした。


「……“キングスマン”だよ」


キングスマン。

ロンドンの裏社会を牛耳る、冷酷非情なギャング組織。奴らに逆らった者は、翌日にはテムズ川に浮かぶか、バークレービルズの港のコンクリート詰めにされると噂されている。殺しをしない俺たちとは、住む世界が違う本物の悪党だ。


「…やめとけ。キングスマンだけは敵に回すな。街の鉄則だ」

マスターのオヤジが、重々しく言った。他の客たちも、まるで呪文を聞いたかのように青ざめ、そそくさと勘定を済ませて店を出ていく。


パブには、あっという間に俺たち兄弟とジャックだけが残された。


「そいつは…やばいな」

さすがのジョニーも、額に汗を浮かべていた。

俺は、さっきまで輝いて見えたダイヤモンドが、一瞬で血塗られた石ころに変わったような気がした。


ジャックは、震える手でウイスキーを呷った。

「ああ、やばすぎる。だから誰も手が出せねえ。ただ指をくわえて、目の前を通り過ぎるのを待つだけだ。俺たちの人生みてえにな」


その言葉が、俺の胸に突き刺さった。

そうだ。いつだってそうだ。俺たちは、目の前を通り過ぎていく幸福を、ただ眺めているだけ。スリや詐欺で手に入るした金で、その場しのぎの夢を見るだけ。


こんな生活、いつまで続けるんだ?


俺はジョニーの顔を見た。彼は黙ってタバコを吹かしている。その横顔が、何を考えているのか、俺には分からなかった。諦めるのか? いつものように、「割に合わねえ」と笑い飛ばすのか?


外はすっかり夜になっていた。霧が濃くなり、パブの窓ガラスを濡らしている。

長い沈黙の後、ジョニーはタバコの火を灰皿に押し付け、静かに言った。


「…ショーン。計画を立てるぞ」


「兄貴…?」

俺は耳を疑った。


ジョニーは、まるで子供が悪戯を思いついた時のように、不敵に笑った。

その瞳は、恐怖ではなく、とてつもない獲物を見つけた狩人のようにギラギラと輝いていた。


「キングスマンがなんだ。俺たち二人なら、悪魔だって騙してみせるさ」


その瞬間、俺の心臓が大きく高鳴った。恐怖と興奮が混じり合った、痺れるような感覚。

そうだ。これだから、兄貴といるのはやめられない。


1972年、バークレービルズ。

俺たちの運命を変える、巨大な“お宝”の噂。

それは、地獄への片道切符か、それとも天国への招待状か。


どっちに転んだって、退屈よりはマシだ。

俺は空になったグラスに、ツケで一番高いウイスキーを注いだ。

今夜は、最高の夢が見られそうだった。

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*PERFECT DAY FOR A LIE** (嘘を吐くには完璧な日) 志乃原七海 @09093495732p

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