*PERFECT DAY FOR A LIE** (嘘を吐くには完璧な日)

志乃原七海

第1話:俺たち詐欺師、なんだってできる!



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### BOYS are BACK, in.Town

**第1話:俺たち詐欺師、なんだってできる!**


1972年、ロンドン、バークレービルズ。

霧が波止場の錆びた手すりを濡らし、石炭の匂いと潮風が混じり合う、そんなありふれた朝。俺、ショーンは安宿の軋むベッドで目を覚ました。隣のベッドでは、兄貴のジョニーが器用にタバコの煙で輪っかを作っている。


「よぉ、ショーン。今日の朝飯はどっちにする? 金持ちのポケットか、それともパン屋の裏口か」

「どっちも飽きたよ、兄貴。たまにはさ、レストランでステーキでも食おうぜ」

「上等だ。じゃあ、そのレストランのオーナーを騙して奢らせるか」


ジョニーはニヤリと笑い、火を消したタバコを耳に挟んだ。

俺たちは兄弟で、孤児で、このバークレービルズじゃちょっとした有名人だ。「何でも屋」なんて聞こえのいい看板を掲げてるが、やってることは詐欺にスリ、イカサマ賭博。生きるためならなんだってやる。殺し以外はな。


俺たちの今日の仕事は、単純明快。競馬場でカモを見つけて、有り金をひねり出すこと。

ジョニーが立てた計画はこうだ。俺がわざとスリを働き、被害者に捕まる。そこにジョニーが颯爽と現れ、仲裁に入るフリをして俺から財布を取り返し、被害者に返す。感謝する被害者に「お詫びに」と近づき、「絶対に当たるレース情報がある」と偽の情報を売りつける。完璧なシナリオだ。


安物のツイードジャケットを羽織り、俺たちは競馬場の喧騒に紛れ込んだ。葉巻の煙、怒号、そして人々の欲望が渦巻いている。これだよ、これ。俺たちの戦場だ。


「ターゲットは3時の方向、グレイのコートの旦那だ。懐が膨らんでやがる」

ジョニーの囁きを合図に、俺は人混みをかき分け、ターゲットの背後に忍び寄った。新聞に気を取られている。チャンスだ。指先がコートのポケットに触れた、その瞬間――。


「こいつ!スリだ!」


計画通り。

男の太い腕が、俺の襟首を鷲掴みにした。


「待った、待った!旦那さん、落ち着いてくれ!」


タイミングばっちり。救世主のようにジョニーが現れる。

「こいつは俺の弟で、ちょっと頭が足りないんだ。ほら、ショーン、返しなさい!」

ジョニーは俺の懐から財布を抜き取り、男に手渡した。中身を確認した男は、まだ疑わしげながらも腕の力を緩める。


「本当に申し訳ない。お詫びと言っちゃなんだが…」

ジョニーの口から、蜜のように甘い言葉が紡がれていく。男の表情が、みるみるうちに警戒から興味へと変わっていくのが分かった。よし、食いついた。


計画は完璧に進むはずだった。

だが、その時だった。


「あら、ジョニーじゃない。こんなところで何してるの?」


背後から聞こえた、鈴を転がすような女の声。

振り返ると、そこに立っていたのは、血のように赤いコートをまとった女だった。波打つ黒髪、挑戦的な瞳。その美しさは、この薄汚れた競馬場ではあまりにも浮いていた。


マリア。

この街の裏通りで、宝石のように輝き、毒蛇のように危険な女。俺が、どうしようもなく惹かれている女だ。


ジョニーの眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。完璧な計画に生じた、たった一つの計算外。

ターゲットの男は、美しいマリアの登場に気を取られている。


「よぉ、マリア。散歩かい?」

ジョ- ニーは平静を装って笑う。


「ええ、少しね。…ねえ、そこの旦那様。その男の話、信じないほうがいいわよ」

マリアは俺たちのターゲットに、悪戯っぽく微笑みかけた。

「だってこの二人組、この街で一番の詐欺師なんですもの」


男の顔が、再び怒りで真っ赤に染まった。

やられた。マリアの気まぐれ一つで、俺たちの今日の飯はパーだ。


「逃げるぞ、ショーン!」

ジョニーの叫びと同時に、俺は男の手を振り払い、駆け出した。背後から罵声が飛んでくる。人混みをかき分け、裏路地へと転がり込む。


「あの女…!」

壁に手をつき、息を切らす俺の横で、ジョニーはなぜか笑っていた。


「まあ、今日のところは引き分けか。ステーキはお預けだな」

「笑ってる場合かよ、兄貴!」

「いいじゃねえか。退屈よりはマシだろ?」


ジョニーは空を見上げ、新しいタバコに火をつけた。

「なあ、ショーン。俺たち、なんだってできると思わないか?」


その言葉は、まるで魔法のようだった。

金も、家も、親もいない。持っているのは、互いへの信頼と、このどうしようもない街で生き抜くための悪知恵だけ。

だけど、兄貴が隣にいれば、本当に何だってできる気がした。


俺は頷き、兄貴からタバコを一本抜き取った。


「ああ。いつか、本物のステーキを腹いっぱい食ってやろうぜ」


1972年、バークレービルズ。

これが、俺たちの日常。

まだ何も知らなかった。

この先に待つ、とんでもない儲け話も、恐ろしいギャングも、そしてあの女が俺たちの運命を根こそぎ変えてしまうことも。


ただ、この終わらない悪ふざけのような毎日が、永遠に続くと信じていた。

俺たち孤児二人、今日を生きる。それだけで、十分だったんだ。

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