納棺師の私
藍沢みや
第1話
数多くある職業の中で、私は納棺師という職を選んだ。何故かって?それは簡単でくだらない考えーー数年前に亡くなった二郎伯父さんの葬式に行けなかったから。
二郎伯父さんはうつ病で、首を吊って死んだ。ーー私は、自殺したご遺体を見るのが怖くて逃げたのだ。
それが心残りで、今日も仕事をする。
納棺師の仕事は、二手に分かれてやる。女性役ーー湯灌の際、体を洗い、湯灌が終われば、着替えをし、化粧を施す。至ってシンプルだ。男性役ーー湯灌の際、頭を洗い、湯灌の浴槽の片付けをする。簡単そうに見えるが、かなりの力仕事だ。
そんな仕事を、私は今日も続ける。
朝起きて顔を洗い、納棺師の衣装、黒いスーツに着替えたら、部屋を飛び出す。今日も遅刻ギリギリだ。職場に着いたら挨拶をして、配車表を見る。すると、今日は遠藤さんとペアだった。向かうご自宅は、ここから少し遠いところ。私がたまに行くモスバーガーあるところだ。今日は施行が一件しか入っていない。ラッキーだ、なんて思っていると、遠藤さんが声をかけてきた。
「今日は縊死だから、時間かけていいからね」
そう言われて、ハッとする。ーー二郎伯父さんと一緒だ。でも、不思議と怖さはなかった。
「はい」
そう答えると、遠藤さんは悲しそうな顔をしていう。
「まだ五十歳で、お子さんもいらっしゃるんだ。気をつけて施行しよう」
「はい」
かなりシビアな施行になるな、と思いつつ、準備をしてハイエースに乗り込んだ。
到着した家は特に派手さもなく、無難な塗装をした二階建ての家だった。インターホンを鳴らし、施行をしにきた旨を伝え、駐車場にハイエースを停めた。
「この度は誠にご愁傷様です。お悔やみ申し上げます」
深々と正座でお辞儀をし、線香をあげる。少し煙ったい匂いが、今日も髪につくなぁと考えながら、ご遺族に施行をご覧になるか聞こうとすると、
「好きにしてください。良いように」
そう言って奥さんであろう人物は、襖を閉めて出ていってしまった。
「できるだけのことをしよう」
経験が数年上の遠藤さんに促され、施術を始めることにした。
「首の跡、濃いですね。それに硬直も強い」
そう言って、顎の辺りを指でほぐす。縊死だから、舌が出てしまっている。それを長いピンセットで押しやると、どうしても硬直で戻ってくる。綿花を色んな穴に入れながら、顎の辺りをマッサージし、なんとか硬直が取れた時、思い切って舌をピンセットで押しやった。すると、中に入る。
「よし。あとはお口を閉じて」
独り言を呟きながら、パレットを開く。何種類かあるファンデーションを混ぜながら、その人の肌の色に寄せる。出来上がったファンデーションを首の跡に置くように塗ると、綺麗に跡が消えた。
「大丈夫そうです。入念にやります」
「うん。これなら良さそうだね。このお父さん、首を吊ってなくなったそうなんだ。コロナ禍で仕事がクビになって、それで亡くなったんだって」
流石だな、と思う。衣装確認の際、そんなことまで聞き出したのか。遺族も、心を許して話したんだなと思うと、自分の経験の少なさを痛感する。
「お子さんは一人。今は大学の授業をリモートで受けているって」
「すごいですね。お父さんが亡くなったばかりなのに…」
辛いだろう。でも、地球は止まってくれやしない。時間もたまらない。自分たちの生活は、終わらない。
綺麗に首元を隠し、再度先輩の遠藤さんに確認してもらう。オッケーをもらい、襖を開けた。
「旅立ちのお支度が整いました」
そういうと、奥さんと見られる人が幽霊のような足取りでこちらへ向かってきた。見たくないのか、目は逸らしている。
「お化粧をさせていただきました。お口も閉じさせていただき、首元はファンデーションを施してあります。気になるところがありましたら、お申し付けくださいませ」
私の心臓は、早鐘を打っていた。何せ、縊死の施行は初めてだったから。
奥さんはそろりとその場に突っ立ち、ちらりと目線をご遺体に向けた。するとーーその場で泣き崩れた。そして、急いで立ち上がり、息子さんの名前を呼んだ。駆け足で降りてくる息子さんの足音が大きくなるにつれて、冷や汗が出る。
ーー大丈夫だった、のだろうか。
バタバタと走って向かってきた息子さんは、ご遺体を見てこう言った。
「いつもの、お父さんだ…!」
そして、私を見る。ーーありがとうございます。ありがとうございます。本当に、ありがとう。
嗚咽混じりにそう言って、彼はその場に崩れ落ちた。なんでだよ、お父さん。と言いながら。
私達は、次の施行もないことだから、とゆっくり帰った。帰り道に寄ったコンビニで、遠藤さんが苺大福をくれた。
「お疲れ様。良い施行だったよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、戻ってお昼にしようか」
「はい」
ーーねぇ、二郎伯父さん。見てる?ごめんね、お葬式行けなくて。ごめんね、役に立てなくて。知らなくて、ごめんね。私、頑張るよ。ありがとうって言ってもらえるように。
頬張った苺大福は、少しだけ酸っぱかった。
納棺師の私 藍沢みや @myachi
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